第19話 迷惑をかけちゃったから

「ぐるるるっ!?」


 自分の腕を受け止められたことに驚いたのか、巨大熊がそんな声を漏らす。

 そしてその意識は厨房から俺の方へと向いたようだ。


「ぐるるるあああぁっ!」


 自分よりずっと小さな人間を払い飛ばすことができなかったのが、よほど腹に据えかねたのかもしれない。

 巨大熊は苛立ったように雄叫びを上げると、腕にさらなる力を込めてきた。

 毛に覆われているにもかかわらず、膨れ上がった筋肉がはっきりと見て取れるほどである。


「力比べなら俺も負けないぞ」


 俺も対抗して腕に力を入れる。

 筋肉が膨張し、腕が二回りも太くなった。


「ぐるる……」

「ふむ、拮抗しているな」


 力と力がぶつかり合い、お互い小刻みに腕が震えてはいるが、どちらから相手を押し込むことなく、腕の位置は完全に静止していた。


「あ、アームグリズリーと腕力勝負をしているだとっ!?」

「しかも互角って……っ?」


 調教師の青年とアーシアが信じられないとばかりに目を見開いている。


「これで本気か?」

「っ!?」

「俺の方はまだまだこんなものではないぞ」


 俺は立ち上がった。

 さすがに座ったままだと力が出しにくいからな。


「とりあえず全力の50パーセントだ」

「~~~~~~っ!?」


 巨大熊の上体が傾いだ。

 慌てて体勢を整えようとするが、その間にもぐいぐいと押されて足だけでは耐え切れなくなったのだろう、慌てて逆の手を床に付いて身体を支えた。

 それで再び拮抗する。


「ならば60パーセントまで上げてみるか」

「っっっ!?」


 ずりずりずり、と巨体が地面を滑っていく。

 どうやらこれくらいの力で十分のようだな。


 俺はそのまま巨大熊を押し続けて、店の外へと出してやった。


「そこで大人しくしていろ」

「くうぅ……」


 敵わないと悟ったのか、巨大熊は情けなく喉を鳴らして項垂れた。


「アームグリズリーを腕一本で押し出しただと!? ななな、何なんだ、お前はっ!?」

「そんなことより調教師ならちゃんと従魔を管理しろ」


 店から飛び出してきた青年に、俺はそう忠告する。

 彼は一瞬何か反論したそうな顔をしたが、さすがに自分の非を理解しているのか、


「きょ、今日のところは、これで失礼する……」


 他の魔物も引き連れ、すごすごと帰っていった。


 店内に戻った俺は先ほどの席に座り直す。


「ふむ、料理はまだか?」


 そう思って厨房の方へ目をやると、調理をしていたはずの夫婦が呆然とこっちを見ながら立ち尽くしていた。

 そのとき、やたらと焦げ臭い匂いが漂ってくる。

 彼らもハッと我に返って、


「お、お父さん、焦げてる焦げてる!」

「わあああっ!」


 それから料理が出てくるまで、さらに十分くらいかかった。






「ごちそうさま」

「あ、お金は要らないわ」


 ようやく食べ終えて代金を支払おうとすると、そんなふうに言われた。


「迷惑をかけちゃったから」

「そうか?」


 降りかかった火の粉を払っただけだが。


「それに本当に助かったわ。あのままだと店が大変なことになってただろうし……」


 従魔にした直後の魔物はまだ言うことを利かないことも多く、慎重な扱いが必要で、普通は店に入れたりはしないという。

 今日のところは……と青年は言い残して去っていったが、アーシアは「今後は出禁にしてやるわ!」と苛立たしげに叫んだ。


「それにしても、あなた調教師じゃなかったの……?」

「調教師だぞ。だが同時に剣士でもあり魔術師でもある」

「……はい?」

「おーい、アーシアちゃん! 注文お願い!」

「あ、はい! 今すぐ行きます!」


 店内はいつの間にかかなり混んできていた。

 客に呼ばれて、アーシアは話を中断する。


「詳しいことは次に来たときに聞かせてもらうから! だから必ずまた食べに来なさいよ!」


 そう慌てて告げてから、彼女は急ぎ足で注文を取りにいった。


 店を出る。

 すでに空は茜色に染まり始めていて、平原に出ていた連中が戻ってきたのか、街には活気が出てきていた。


「平原に挑戦するのは明日からだな」


 とりあえず今日はどこかの宿に泊まることにしよう。






 翌朝、俺は大平原へと足を踏み入れていた。


 所々に雑草や低木が生えているのと、魔物と思われる影が動いていることを除けば、本当に何もない。

 あとは遥か遠くに、平原の中心の目印となっている赤茶けた岩が見えるくらいだろう。


「おいおい、兄ちゃん。まさか一人でこの平原に挑もうってのか? そりゃあ、無謀ってもんだぜ」


 不意に後ろからそんな声が聞こえてくる。

 振り返ると、なかなか立派な装備に身を包んだ四人組がいた。


「あんたたちは?」

「オレたちはAランクパーティの〝フロントライン〟」


 どうやら冒険者のパーティらしい。

 三十前後の男たちだけで構成されており、いかにも熟練といった雰囲気だ。


「そしてオレはリーダーのブレイクだ」

「そうか」

「って、待てよ、おい!?」


 特に用事はないのでさっさと先に進もうとすると、慌てて呼び止めてくる。


「この大平原は最外部ですら、危険度B以上の魔物がゴロゴロいるまさに魔境だ。そこへたった一人で挑もうなんざ、どう考えても自殺行為だ。悪いことは言わねぇから、考え直した方がいいぜ。オレたちは兄ちゃんみたいな若い奴が死んでいくのを何度も見てきたんでな。老婆心ながら忠告させてもらったってわけだ」

「ふむ、生憎とそんな気はない」

「……そうかい。まぁ、どうしてもって言うなら好きにすればいいがよ」


 彼らは互いに顔を見合わせながら、やれやれといった様子で肩を竦めた。


 言われなくてもそうさせてもらおう。

 俺は先へと進んだ。

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