第8話 女皇陛下の命令は絶対

「空を、飛んだ……?」

「ああ」

「えっと……そうなると、もしかして職業は《魔術師》とかでしょうか?」


 彼女は面食らったような顔をしてから、恐る恐る訊いてくる。


「いや、俺は《無職》だ」

「いやいやいや、《無職》は空を飛べないでしょう!?」

「飛べるぞ? 頑張ればな」


 それより少しのぼせてきたようだ。

 そろそろ上がらせてもらうとしよう。



     ◇ ◇ ◇



 青年が浴室から出ていった後。


「ど、どういうことですか……?」


 湯船に浸かったまま、彼女は一人混乱していた。


「で、ですが、とりあえず本人が《無職》と言っていたわけですし、きっとそうなんですよね……? 嘘を吐く理由も分かりませんし……」


 むしろ空を飛んでここまできたという方が嘘なのかもしれない。

 いや、きっとそうだ。

 恐らく何らかの特別な手段があり、それを隠すために適当なことを言ったのだろう。


「と、とにかくカエデ様にご報告しなければ!」


 彼女はすぐさま連絡を取った。


『ん、分かった。お手柄』

「あ、ありがとうございますっ」

『私もすぐにそっちに向かう』

「え? カエデ様自らっ?」

『当然。に横取りされたくない』



     ◇ ◇ ◇



「ご利用ありがとうございましたー」


 翌朝、幼い看板娘に見送られながら宿を出た。

 すると宿のすぐ外に、俺を待ち構えていたかのように立つ一人の少女の姿があった。


 見た目の年齢は十五、六といったところか。

 東方人らしい小柄さで、黒髪だ。

 表情が乏しく、感情の伺えない二つの瞳で俺をじっと見ている。


 ふむ。

 只者ではないな。

 なにせ、まったく隙がない。


「私はカエデ。皇国八将軍の一人。あなたが《無職》のアレル?」

「そうだが?」


 頷くと、彼女は淡々と言った。


「女皇陛下の命令。付いてきて」


 まるで決定事項であるかのように告げられたが、生憎と俺はその女皇とやらに何の用もない。


「断る」


 第一、会ったこともなければ、どこにいるどんなやつなのかも知らない。


「それはダメ。女皇陛下の命令は絶対」

「だからその女皇陛下ってのは何者だ?」

「私の主君。皇国の建国者。いずれ全世界の支配者になるお方。女神」


 よく分からないが、とにかく面倒そうな相手であることだけは分かった。


 そういえば、皇国ってどこかで聞いたことがあるな……?


 と、そこで俺はあの店主の話を思い出す。


『ほんの数年前にできたばかりだってのに、今や各地を次々と支配下に置いて大国になってる国があるんだ。そこではどんな不遇な職業でも平等に扱われるばかりか、むしろ手厚い保護をしてくれるらしいんだよ。娘にとってはまさに夢のような国だ』


 なるほど。

 それが皇国か。


「そんな国のトップが俺に何の用なんだ?」

「分からない。でも最重要任務。女皇陛下はずっと《無職》のアレルを探しておられた」

「そうか」

「付いてきてくれる?」

「だが断る。これから実家に帰るところだしな」

「……そう」


 少女は小さく頷くと、


「だったら強引にでも連れていく」


 次の瞬間、その言葉を残して姿が掻き消えた。

 ふむ、〈縮地〉スキルだな。


 彼女は俺の背後へと回り込むと、意識を刈り取ろうと首筋へ手刀を放ってくる。


「えっ?」


 しかし俺はすでにそこにはいない。

 彼女のさらに背後へと回り込んでいたのだ。


「そっちがその気ならこちらも容赦しないぞ? 降りかかる火の粉は払わないとな」

「っ!?」


 俺の蹴りが彼女を吹っ飛ばした。

 十メートルほど飛んで地面に激突し、さらにごろごろと転がっていく。


「っ! カエデ様っ!?」


 どこからか小さな悲鳴が聞こえた気がした。


「隠れていないで出てくればどうだ?」

「……っ?」


 俺が声をかけると、身を潜めていた連中が息を呑むのが伝わってきた。


「最初からバレているぞ」


 すぐに家の屋根や壁の陰から姿を現す。

 全部で十人ほど。

 いずれも黒い装束に身を包み、顔を布のようなもので隠している。


「……なぜ分かったのですか? 我らは全員が《忍者》。〈隠密〉スキルで気配を消していたはず……」


 そのうちの一人が訊いてくる。


「幾ら気配を消したとしても、そこに人がいる事実を消すことはできないからな。つまり〈隠密〉スキルも完璧ではないということだ。それが一人ならまだしも、十人も集まれば小さな違和感が重なり合ってさらに察知されやすくなる」

「そ、そんな……」

「あと、あんた昨日からずっと俺を監視していただろう?」

「っ!?」

「都市の入り口でりんごを売っていたよな。その後、宿まで付けてきていたし、しかも客として風呂にまで入ってきた」

「ど、どうして分かったのですっ!? 完璧に変装していたはず……っ!」

「しゃべり方や声、動きの癖を見ていればすぐに分かるぞ?」


 俺が教えてやると、彼女は愕然としたように一、二歩後ずさった。


「へ、変装だけは得意なつもりだったのに……も、もしかして、そう思っていたのは私だけ……?」


 どうやらショックを受けたらしい。


「……サクラ。今はそんなことより、捕獲に集中」

「っ! か、カエデ様っ。ご無事だったんですね!?」


 先ほど蹴り飛ばした少女が何事もなかったかのようにこちらへと戻ってくる。

 加護もほとんど減っていない。

 まぁ受け身も取ったようだったし、あれくらいではノーダメージだろう。


「相手はただの《無職》じゃない。全員でかかる」

「は、はいっ!」


 直後、一斉に躍り掛かってきた。

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