第36話 杖でもちゃんと斬れるだろう?

 完全放任……いや、放置主義の黒の学院には授業がない。

 なので俺はもっぱら一人で図書館に籠って魔導書を読み漁っていた。


 外観はもちろん内装もボロボロなのだが、本の数と質は非常に充実している。

 ちなみに魔力を帯びているせいか、建物の割に本の劣化が大人しいのもありがたい。


 入学(?)から半年ほどが経ち、俺はすでに三分の一程度を読破していた。

 お陰で黒魔法についてはかなり詳しくなっている。

 むしろ授業を受けるよりよっぽど捗っているだろう。


 もちろん魔法というのは、ただ本を読んで知識を頭に入れるだけでは習得したとは言えない。

 そのため図書館には、魔法を実際に使用するための特別室が設けられていた。

 そこなら魔法を試しに使ってみても問題ないようだ。


 俺は十分ほどで読み終えた『人間を異形の怪物に変える魔法』という物騒なタイトル(中身もだが)の本を元の位置に戻すと、次の本を手に取った。


「ふむ? 変な本だな? タイトルも著者名も書いていないぞ?」


 ずっしりと重たい、なかなか読みごたえのありそうな本だ。

 それ以外は一見すると何の変哲もない魔導書のようなのだが、表紙には何も書かれていなかった。

 裏表紙や背表紙も同様だ。


 開いてみた。


「っ!?」


 次の瞬間、本の中から膨大な魔力が溢れ出し、全身の毛が逆立った。


「……なんだ、これは?」


 本の中身はすべて白紙だった。

 立ち上がりながら周囲を見渡す。


 先ほどまでと同じ図書館の光景。

 いや――


「何者だ?」


 本棚の上に、さっきまではいなかった存在があった。

 足を組んで優雅に座っているのだ。


 人間?

 それにしては気配がおかしい。

 あれはもっと禍々しい存在だ。


「なるほど。悪魔か」

「ご名答だぜェ」


 パチパチパチ。

 そいつはワザとらしく大きな音を立てて拍手をしてみせた。


 見た目は二十代前半くらいの人間の男だ。

 線の細い身体つきに、真っ白い肌。

 黒い髪は天に反逆するかのように鋭く逆立てている。


 鋭い目付きの瞳は赤みを帯びていて、真っ赤な唇を楽しそうに歪めながら俺を見下ろしていた。


「ありがとよォ。テメェのお陰で外に出ることができたぜェ。オレ様としたことが、忌々しいことにその本の中に封られちまってよォ」


 どうやら俺が本を開いたせいで出てきてしまったらしい。


「にしても、まさかこれほど長い期間、閉じ込められるとは思ってもみなかったぜ。この学院の連中ときたら、今まで誰一人として手に取らねェでよォ」


 まぁ奥まったところにある本棚の、さらに目立たない一番下の段の端っこにあったしな。

 俺のように順番に読破しているような人間でなければ、なかなか手に取ることがないだろう。

 この学院の連中は自分の専門分野にしか興味がなさそうだし。


「繰り返すが、テメェのお陰でマジで助かったぜェ。オレ様の恩人だ。……やっぱ何か礼をしなくちゃなんねェよなァ?」

「別に要らないが」

「そうツレナイこと言うなって。……ところでオレ様、これから故郷の魔界に帰還したいんだが、そのためには新鮮な生贄が必要でよォ? ――そ、こ、で、だ」


 悪魔は赤い目で俺の身体を舐めるように見回し、勿体ぶったように溜めてから言った。


「テメェをこのオレ様の生贄にしてやろうじゃねェか! それが助けてくれたお礼ってわけだ! ヒャハハハ!」


 生贄?


「なァに、その肉と血を触媒として使わせてもらうだけだ。魂までは奪いはしねェ。もっとも、その魂は永遠に地上を彷徨い続けることになるだろうけどなァ! ヒャハハハ!」


 俺はきっぱりと言う。


「ふむ。悪いが断らせてもらうぞ」


 なぜ俺がどこの馬の骨とも知らない悪魔のために犠牲にならなければならないんだ。


 悪魔は、ククク、と喉を鳴らした。


「残念だが、テメェに拒否権はねェんだよォ!」

「勝手に言ってろ。――エクスプロージョン」


 俺は悪魔を狙って魔法を放つ。

 だが……


「……? 発動しない?」


 術式は間違っていないはずなのだが、魔力が思うように集束せず、不発に終わってしまう。


「ギャハハハッ、無駄無駄無駄ァッ! テメェはすでにオレ様が展開した結界の中にいる! ありとあらゆる魔法を封じる、魔法使い殺しの結界だぜェッ!」


 先ほどから全身をねっとりとした何かが覆っているような違和感があった。

 どうやらすでに俺はこいつの術中にはまっていたらしい。


「魔法頼りの魔法使いにとって、魔法を封じられるのは手足を縛られるも同然だろォ? もうテメェは何もできねェよなァ? もちろん逃げようとしても無駄だぜェッ!」


 確かに、これでは魔法を使えそうにないな。


「だったらこれで戦えばいいだけだ」


 俺は腰に差していた杖を抜いた。


 魔法使い御用達の補助杖である。

 これがあると魔法の方向性を定め安いらしく、生徒の大半が所有しているのだが、俺は必要ないため持っていなかった。

 すると、それを知った青の学院の教師ヘンゲルが、なぜかプレゼントしてきたのだ。


 まだ一度も使っていないが、一応こうして腰に差して持ち歩いていた。

 せっかくなのでこいつを利用させてもらおう。

 もちろん魔法の杖として使うのではない。


 俺は杖を剣のように構えた。


「ギャハハハッ! 魔法の杖を打撃用の武器として使うってかァ! なかなか考えたじゃねェかァッ!」


 悪魔は馬鹿にしたように嗤う。

 そんなもので戦えるとは露ほどにも思っていないといった雰囲気だ。


「知っているか? 真の剣士は剣を選ばない」

「ヒャハハッ、そいつを剣士が言えば多少は説得力があったかもしれねェけどなァ? 生憎と、テメェは魔法つ――」


 俺は床を蹴って、悪魔との距離を一瞬で詰めた。

〝縮地〟である。


「――かい?」


 完全に油断していたからか、悪魔は反応すらできていなかった。

 俺はその無防備な身体へと、魔法の杖でを繰り出す。


 ズバッ!


 右肩から左の脇腹にかけて、悪魔の胴体がすっぱりと切断された。


「どうだ? 杖でもちゃんと斬れるだろう?」

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