第21話 耐えればいいだけだと思うが

「先生」

「どうした、アレル?」

「その術式、上から三行目が間違っているぞ」

「む? ……本当だ。よく気づいたな」


 俺の指摘を受けて、授業を担当している講師――バッカスという名の中年男性である――はすぐに術式の誤りを書きなおした。


 赤魔法の授業である。


 入学して一か月が経った。

 だが授業では相変わらず基本的なところを進んでいて、俺には簡単すぎる。


 まぁほとんど出てないし、別に構わないのだが。

 今日のように、たまに進捗の確認がてら受けにくるといった感じだった。


 最初はバッカスからなかなか授業に出てこないことを軽く咎められたりもしたが、俺には必要ないと分かったのだろう、今では幾らサボっても完全にスルーされている。


「そもそもこの魔法だったら、そこまでややこしい術式にする必要はないぞ」

「なに? どういうことだ?」


 口頭で説明するのは面倒なので、俺は前に出た。


 バッカスが黒板に書いた術式は、全部で十行・八十三文字にも及んでいた。

 ちなみに初級の上の方のレベルの魔法である。


 俺は不要な部分を可能な限り削ぎ落とし、よりシンプルになった術式をその横に書く。


 僅か六行五十一文字になった。

 およそ三十パーセントの削減である。


「まさか、こんな長さの術式でも発動できるというのか……?」


 訝しげに眉根を寄せるバッカス。

 しばし難しい顔でその術式を睨んでいたが、やがて感嘆の息を吐きながら頷いた。


「なるほど……確かに……原理的には不可能ではない……」


 さすがは講師を務めるだけあって、それなりに理解が早いな。

 生徒たちはまったく分かっていないようで、ぽかんとしている。


 スキルのアシストを得られない俺の場合、術式は簡潔な方がありがたい。

 なので試行錯誤の末、極限まで無駄を削ぎ落としていったのである。


「だが、これでは魔力の暴発の危険がある。安全性を考慮すれば、やはりこっちの術式の方が良いだろう」


 バッカスが書いた術式は、スキルのアシストによって半自動的に形成されるものだ。

 というか、授業で習う術式は基本的にすべてそれだ。


 しかしスキルが教えてくれる術式というのは、どれも安全マージンがかなり大きく取られているのである。

 バッカスが言う通り、それは魔法の発動に失敗した際、魔力が暴発する危険を防ぐためのものだった。


 魔法の発動は失敗することがある。

 そして失敗した場合、行き場を失った魔力が破裂してしまうのである。

 当然、術者はもろにそれを喰らってしまうのだが――


「……? 別にそんな心配は要らないだろう?」


 なぜなら女神の加護がある。

 加護がマックスの状態であれば、たとえ暴発しても死ぬことはないはずだ。

 もちろん魔法の規模にもよるが。


 なので俺には暴発を怖れる理由がまったく分からない。

 そもそも使えば使うほど、魔法が失敗する確率は下がっていくため、なおさら怖れる必要はないはずだった。


「加護があるといっても痛みはあるだろう……」

「耐えればいいだけだと思うが……?」


 俺がそう言うと、バッカスは信じられないものを見るような顔をした。

 ちらりと視線を向けてみると、生徒たちも同じ顔をしていた。


「?」


 確かに幼い頃は痛みを嫌ったものだが、今ではむしろ心地よく感じられる。

 大人になると普通そうなるのではないのか?


 たとえば苦い食べ物。

 子供の頃は食べられなくても、大人になると美味しく感じるようになるものだ。


「それはたぶん師匠が特殊なだけの気がしますけど……」


 まぁ生徒の大半は十代前半だし、まだその段階に至っていないのかもしれない。

 ……バッカスはおっさんだが。


「痛いのが嫌なら、ちょっとした工夫で暴発の威力を下げることができるぞ」

「なんだと? そんな方法があるのか?」

「込める魔力量を最初は少なくするんだ。暴発するときはこの段階で暴発するから、いきなり大量の魔力を使うより被害は遥かにマシになる。問題なさそうなら十分な魔力を込めてやればいい」

「そ、そんなやり方が……」


 どうやら知られていないらしい。


「前々から新入生離れしているとは思っていたが……一体どこで学んだのだ?」

「実家だ」

「実家……」


 というか、今のは俺が自分で試行錯誤した結果、たまたま発見したんだけどな。

 発動までにかかる時間が若干長くなるため、普段はまったく使わないが。


 バッカスはしばし何かを考えるように顎鬚を摩っていたが、やがてこんな提案をしてきた。


「アレル、進級試験を受けてみないか?」

「進級試験?」

「そうだ。恐らくお前がファーストグレードにいる意味はないだろう」

「セカンドグレードに進級する試験は年に一度しかないのではなかったのか?」

「ああ。普通はな。だが講師が認めた生徒だけ、特別に時期に関わらず進級試験を受け、合格すれば次のグレードに進むことができるようになっている」


 なるほど。

 そんな便利な制度があったのか。


「願ってもないことだ。もちろん受けよう」

「そうか。ではすぐに申請しておこう。早ければ数日後には試験を行えるだろう」


 やり取りを聞いていた講義室内がざわめくが、そんな中、


「ま、待て!」


 受験の際に喧嘩を売ってきた……ロイス? だったか?

 そいつが立ち上がって教壇前まで降りてきた。


「その試験、この僕にも受けさせてくれ!」

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