第19話 わたし、見ちゃったんです

 わたし、見ちゃったんです……。


 昨日の真夜中のことでした。

 わたしは尿意を覚えて、目を覚ましてしまいました。


 現在わたしは緑の学院の寮に住んでいます。

 最近建て替えた新しい校舎もあるのですが、この寮の建物はかなり年季が入っていて、昼でもどんよりとしています。


 特にトイレは怖くて、昼間でも入るのに躊躇してしまうほどです。

 なのでいつもわたしは校舎の方のトイレを利用しています。


 ですが、さすがに夜中に校舎まで行く気にはなれません。

 わたしは意を決し、寮のトイレへと向かいました。


 その途中の廊下ですら、いかにも〝出そう〟な雰囲気で、わたしはビクビクしながら進んでいました。

 どうか何も出ませんようにと、心の中で必死に祈りながら……。


 しかしそんなわたしを嘲笑うかのように。

 突然、廊下の窓がガタガタと揺れ始めたのです。


 ひぃっ、とわたしは情けない悲鳴を漏らし、同時に下の方も漏らしそうになりました。

 それでもどうにか耐えます。

 乙女としてそれだけは絶対に避けなければなりません。


 きっと今のは風の仕業です。

 わたしはそう自分に言い聞かせます。

 そしてやめておけばいいのに、恐る恐る窓の外へと視線を向け――


 見てしまったのです。


 朧な月明かりの中、空に浮かぶ影を……






「ひいいいいいいいいいいいいいっ!!!」


 わたしはそのときのことを思い出し、思わず悲鳴を上げてその場に蹲りました。

 頭を抱えるわたしへ、馬鹿にしたような声が降ってきます。


「はっ、いい歳してまだゴーストが怖いのかよ、コレット」


 顔を上げたわたしへ、幼馴染みのカイト君はいかにも面倒臭そうに非難してきました。


「そんなことのためにわざわざ呼ぶんじゃねぇよ。なんでおれがこんな夜中に付き合わなくちゃなんねぇんだ」

「だ、だって……最初はクーファちゃんにお願いしたんだけど……そしたら、カイト君にも手伝わせようって……」


 わたしが暴露すると、同じく幼馴染みのクーファちゃんがちょっと慌てた様子で声を上げました。


「こ、こういうのは男がいた方がいいって相場が決まってるからよっ」

「んなこと言って、単にお前もゴーストが怖いだけだろうが」

「は? そんなわけないし! ていうか、あなたこそ本当は怖いんじゃないの? そういえば昔、一人でトイレにすら行けなかったっけ」

「そ、そんな昔の話を持ち出すんじゃねぇよ! まだガキの頃じゃねぇか!」


 言い合いを始めてしまうカイト君とクーファちゃん。

 この二人、昔からこうなんですよね……。

 しょっちゅう喧嘩していて、わたしは常に仲裁する立場でした。


 でも喧嘩してもまったく尾を引かないので、実は意外と仲が良いのかもしれません。


 と、そんなことより。

 昨晩のことで、二人にわざわざわたしの部屋まで来てもらったのです。


 このままでは眠れそうにありませんし……。

 結局、昨晩はあの後、一睡もできなかったのです。


「どうせ見間違えただけじゃねぇのか? もしくは夢とか。ゴーストなんて、そうそう遭遇するものじゃないだろ」

「た、確かに見たんですっ! それもはっきりと!」

「ふーん。で、本物だったらどうするんだ?」

「……た、倒します!」

「ねぇ、コレット。ゴーストって倒せるんだっけ?」

「わ、分かりません……」


 もしかしたら専門家を呼ぶ必要があるかもしれません。

 その場合は、黒魔法の使い手の中には死霊術を扱う人もいるそうなので、黒の学院に行けば良さそうです。


「そもそも寮で起こったことなんだしよ、おれらじゃなくて学院側に訴えればよかったんじゃねぇか?」

「……み、見間違えただけだったら、恥ずかしいですし……」

「やっぱ見間違えかもしれないんじゃねーか」


 まだ入学して間もなく、こうしたことを頼める友達もいません。

 ……わたしが極度の人見知りだということもありますが。

 頼れるのは幼馴染みの二人だけなのです。


「そういや、そのときトイレの方は大丈夫だったのか?」

「……さあ! まだちょっと早いですけど、一度寮内を見回ってきましょう!」






「ほ、本当に何か出そうな雰囲気があるわね……」


 薄暗い廊下を進みながら、クーファちゃんが小声で呟きます。

 少し声が震えているようにも思えます。


 すでに寮生たちは寝静まっているようで、物音はほとんどありません。

 わたしたちの足跡がやけに響きます。


「で、ですよねっ? これだと一人で夜にトイレに行けなくても仕方ないですよねっ」


 クーファちゃんの後ろに隠れながら、わたしは言います。

 ぜひトイレは各部屋に備え付けていただきたいものです。


「こ、これくらい、どうってことねぇだろ」


 と、なぜかわたしたちから少し遅れて付いてくるのはカイト君です。

 明らかに強がっています。頬が引き攣ってますし。


 おっかなびっくり、わたしたちは廊下を前進していきます。

 亀のような速度です。


 やがて、問題の場所まで辿り着きました。


「な、何にもいねぇじゃねーか」


 カイト君が窓の外を見ながら言います。

 まだ昨日よりも早い時間だからでしょうか、確かに窓の外には暗闇が広がっているだけでした。


「や、やっぱり見間違いだったのよ、きっと」


 クーファちゃんがいかにももう帰りたそうな顔をして言った、そのときでした。


 ガタガタガタっ!


 窓がいきなり揺れ出したのです。

 そう、まさに昨晩とまったく同じ現象です。


「た、ただの風だって!」


 カイト君が裏返り気味の声で断じますが、次の瞬間……わたしたちは見てしまいました。

 暗闇の中に浮遊する、謎の影を。


「「「で、出たぁぁぁぁぁぁぁっ!?」」」


 大声で叫んでしまいました。

 狭い廊下にわんわんとその声が反響します。


 もしかして、その声に反応してしまったのでしょうか。

 影がゆっくりとこちらへ近づいてきます。


「こ、こ、こっちに向かって来るぅぅぅっ!?」

「わわわ、分かってるわよっ! 攻撃っ! 攻撃よっ!」

「ファっ、ファっ、ファイっ……」

「おおおっ、落ち着きなさいよっ!」


 わたしたちは恐慌に陥りながらも、接近してくるゴーストへ攻撃魔法を放とうとします。


 そのときゴーストの方から、聞いたことのある声が聞こえてきました。


「ふむ? そんなところで何をやってるんだ?」


 あ、アレルさん!?

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