第7話 耳を塞いだ方がいいぞ

 岩陰からのっそりと姿を現したその巨体に、乗客の一人が叫んだ。


「と、トロルだっ? トロルが出たぞっ!」


 トロルはでっぷりと肥え太った人型の魔物だ。

 その見た目通り動きは遅いものの、握力だけで岩をも砕く圧倒的な怪力を誇っている。


 しかし、あれがトロル……?


「いや待て……さすがにあれはデカすぎないか!?」


 俺もちょうどそう思っていたところだ。


 通常のトロルでも、身の丈は三メートルに達することがある。

 しかし今俺たちの前に現れたトロルは、目算だが軽く五メートルを超えているようだった。


 その大きさのせいで、まだ百メートルは離れているというのに随分と近くにいるように錯覚される。


「まさかトロルキングか!?」

「ふむ。そのようだな」


 トロルの上位個体だ。

 キングオークのように群れを率いたりはしないものの、単体でそれに匹敵する脅威度を誇ると言われていた。


 トロルキングが俺たちの存在に気づいたのか、まるで嗤うように不気味な顔を歪ませた。

 直後、こちらに向かって近づいてくる。


「馬を全力で走らせろ! 逃げるんだ!」

「へ、へいっ!」


 乗客の怒号に応じ、御者が鞭を入れる。

 馬車が一気に加速した。


 確かにトロル種は足があまり速くない。

 馬車を全力で飛ばせば、逃げることも不可能ではないだろう。


「よ、よし! 少しずつ離してきているぞっ!」


 トロルキングとの距離が徐々に開き始めた。

 やがて追い付けないと悟ったのか、トロルキングは立ち止まってしまう。


 安堵の表情を浮かべる乗客たち。

 先ほどの少年少女たちもホッとした様子で、


「けっ……お、おれが魔法で倒してやろうと思ったのによっ」

「カイト、声が震えてるわよ?」

「た、助かったです……」


 俺はそんな彼らに注意を促した。


「いや、安心するのはまだ早いぞ」


 足を止めたトロルキングだが、そこからはまだ嫌な空気が漂ってきていた。

 あれは決して獲物を諦めてしまった感じではないと、俺の直感が警鐘を鳴らしている。


「は? 何言って――」

「む。どうやら耳を塞いだ方がよさそうだぞ」


 俺が忠告するが早いか、トロルキングはその巨体がさらに膨れ上がるほど大きく息を吸い込むと、



「オアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」



 凄まじい雄叫びを轟かせた。


「「「~~~~~~~~~~~~~~~っ!?」」」


 空が震え、大地が揺れた。

 その圧倒的な〝威圧〟に、精神の弱かった乗客が気を失って倒れ込む。


「ヒヒイイイイインッ!?」


 馬が嘶きを上げた。

 御者が必死に宥めようとするが、恐怖に支配されてしまったのか、出鱈目に走り出した馬を止めることはできない。

 馬車が左右に大きく揺さぶられ、街道を逸れた。


 整備されていない道で足を挫いたのか、突然、馬が引っくり返るように横転した。

 それでも馬車はしばらく惰性で進んでいたが、やがて岩に激突して停止する。


「いたた……な、何だったんだ、今のは……?」

「み、耳が痛い……」

「ふええ……」


 中には気絶している者もいるが、少年少女たちを含めて乗客は無事のようだ。

 御者台から投げ出された御者も、地面を転がっているが頑張って立ち上がろうとしているのでどうにか生きているらしい。


 トロルキングは相変わらず腹立たしい笑みを浮かべながら、ゆっくりとこちらに向かって近づいてきていた。

 乗客たちは慌てて逃げだそうとするが、


「ひっ……」


 腰を抜かしてしまったのか、大半は怪我もしていないというのに立ち上がることすらままならない。


 先ほどの咆哮のせいだな。

 あれで相手を恐怖させ、動けなくしてしまうというのがトロルキングの作戦だったのだろう。


 そんな中、護衛として馬車に乗り込んでいたはずの男が一人だけ走り出した。


「あっ、護衛が逃げやがったぞ!?」

「おい待て! あの魔物を倒してくれよっ!」

「馬鹿言うな! あんなのと戦えるわけねぇだろ!」


 非難の声を無視し、任務を放棄してさっさと逃げていってしまった。

 まぁ誰だって命は惜しいし、彼の判断を責めることはできないだろう。


「くそっ! こ、こうなったら、おれの魔法で燃やしてやる……っ!」

「カイトっ!?」


 トロルキングに立ち向かったのは、先ほどの少年だった。


 ふむ。

 なかなか勇敢じゃないか。

 ……足が生まれたての小鹿のようにガクガク震えているが。


「ふぁっ、ファイアボールっ!」


 少年が発動したのは球状の炎を撃ち出す初歩の赤魔法だ。


 赤魔法はその性質上、高威力になり易い反面、命中率がやや劣る。

 しかし的が大きく、動きが鈍ければその欠点もあまり気にならない。


 一メートル近い直径の炎球は、トロルキングの巨体目がけてまっすぐ飛んでいく。


「ファイアボールはファイアボールでも、魔力をすべて注ぎ込んだ一撃だ! 幾らトロルキングでも――」

「オアアアッ!!」


 ゴウッッッ!


「なっ!?」


 トロルキングが再び雄叫びを響かせると、それにより発生した衝撃波によって、少年が放ったファイアボールがあっさりと消し飛ばされてしまったのだ。


「う、うそ、だろ……?」


 少年がその場にへなへなと腰を折る。


「カイトの魔法ですらまったく効かないなんて……」

「わ、わたしたち……こんなところで死んじゃうんですか……?」

「そんなことにはならないから安心しろ」

「「えっ?」」


 俺の言葉に、少女たちがこっちを振り返る。


「カイト、だったか? お前が少しだけ時間を稼いでくれたお陰で、仕留められそうだ」

「な、何言ってんだ、あんた!? 《無職》に何ができるってんだよ!?」


 声を荒らげる少年を後目に、俺は頭の中で組み上げていた術式を起動する。


「エクスプロージョン」


 直後、トロルキングの巨体が爆炎に包み込まれた。

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