第4話 これはただのめすぶたです

「ライナじゃないか。どうしたんだ?」


 妹と言い合っていた赤い髪の少女に声をかける。

 こちらを振り返った彼女は、一瞬目を丸くしてから、


「っ……! やはりいたではないか! なぜうそを――」

「……ちっ」

「今、舌打ちしなかったか!?」

「きのせいなのです」


 ミラは白々しく言ってから、なぜか俺をジト目で睨んできた。


「にーさま、だれなのです、このめすぶ……このおんなのひとは?」

「めすぶ……今、何か酷い罵り方をされそうになった気がするのだが……」

「それもきのせいなのです」

「ライナだ。剣の都市で一緒だった」

「……そうですか……かわいいいもうとをほうちしておきながら……ほかのおんなと……」


 何かぶつぶつ呟いているが、声が小さいのでよく聞き取れなかった。

 ライナが恐る恐る訊いてくる。


「こ、この子は一体誰なんだ?」

「妹のミラだ」

「い、妹か……そうか……」

「? どうしたんだ?」

「いや……色々と大丈夫かと思って……」


 ライナが何とも名状しがたい顔をしているが、何のことか俺にはよく分からない。


「ま、まぁまだ子供だし、そういうものだろうな! ――そんなことより、だ! 貴様っ、なぜ勝手にギルドを出て行ったんだ!」

「む? 勝手にではないぞ。ちゃんと脱退届を出しておいたしな」

「私は何も知らなかったぞ!?」

「そういえば言わなかったな」

「せめて挨拶くらいしていけ! ……きゅ、急にいなくなったら心配してしまうだろう!」


 ふむ。そういうものだろうか?


「それに随分と騒ぎになったんだからな? 剣神杯の優勝者が都市を出るなんて、過去に例がないぞ」

「前例は無視する主義だから仕方がない」

「……まったく、貴様というやつは……」


 ライナは呆れたように溜息を吐く。


「それで何の用だ? というか、お前も実家に帰ってきたのか?」

「半分正解だ。父が自警団を引退するらしく、久しぶりに帰ってきた」


 ライナの父親はこの街の自警団長をしていた。


「そう言えばお前はファザコンだったな」

「……貴様、もっと身近に似たようなのがいることに本当に気づいてないのか?」

「何の話だ?」

「いや何でもない……。って、私はファザコンではないぞ!」


 む?

 ミラが俺の腰に抱きついてきたぞ。


「どうした、ミラ?」

「……ぶう」


 ライナとばかり話していたせいか、少しふて腐れているようだ。


「にーさまのばか……」


 俺はミラを抱き上げる。


「悪かったな。機嫌を直してくれ」

「……きす」

「ん?」

「きすしてくれたら、ゆるすです」


 キスか。

 それくらいならお安い御用というやつだな。


 俺はミラのおでこに唇を押し付けた。


「なっ……」


 なぜかライナが瞠目している。


「ききき、貴様っ、兄妹で何をしているんだ!?」

「? 兄が妹にキスするくらい普通だろう? 口にならともかく、おでこだしな」

「ふ、普通であって堪るか!」


 まぁ姉さんが俺にキスしてこようとしたら、全力で撃退するけどな。


 そのときミラが一瞬、俺に抱き上げられたままライナの方を振り返った。

 俺にはどんな顔をしているか見えなかったが、


「っ!? 今、完全に勝ち誇った女の顔をしていたぞ!?」

「何言ってんだ? ミラはまだ五歳だ」

「そうなのです。にーさま、きっとあのおねーさん、あたまおかしいのです。はやくおいはらって、にどとあわないほうがいいです」

「おい!?」

「うぅ……にーさま……あのおねーさん、こわいのです……」

「よしよし。大丈夫だ。兄さんがいるからな」


 ライナのやつ、五歳児相手に何をそんなにムキになっているのか。


 涙目になっているミラと一緒に家に入ろうとすると、ライナが呼び止めてきた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 私は別に貴様だけに用があったわけではないっ!」

「ふむ?」

「貴様の母、ファラ殿に話があってきたんだ!」







「ふふふ、アレルちゃんも隅に置けませんねぇ。こんな美人さんを彼女として連れて来ちゃうなんて」


 ライナを家に上げると、母さんが嬉しそうにそんなことを言ってきた。


「か、彼女などではないっ!」


 慌てて否定するライナだが、なぜか頬が赤くなっている。


「ちがうです、かあさま。これはただのめすぶたです」

「私は豚でもない!」


 だから五歳児と喧嘩するなと。


「確かに綺麗な子だなぁ」


 父さんが同意するように頷く。

 若い女性が家に来る機会など滅多にないからか、いい歳して少し鼻の下が伸びていた。


「……あらあら?」


 それに目敏く気づいたのは母さんだ。

 母さんはおっとりしているようでいて、実はかなり敏感だからな。

 その辺はさすが《剣神》というところか。


「うふふ、お父さん? わたしとどちらが綺麗ですか?」

「ももも、もちろんお母さんに決まっているだろう!? いやぁ、それにしてもお母さんはずーっと若いままだなぁ! まだ二十歳くらいに見えるぞ!」


 笑顔なのに目だけは笑っていない母さんに問い詰められ、父さんはだらだらと汗を流しながら必死に褒めちぎっている。

 父さん、情けないぞ。


 父さんの全力の母さん賛美が功を奏したのか、母さんの笑顔がようやくいつもの調子に戻る。

 それから母さんが視線を転じると、青い顔で傍観していたライナがビクッと肩を震わせた。


「それで話というのは何ですか?」

「は、はいっ」


 ライナは上ずった声で返事すると、母さんに頭を下げたのだった。


「あ、貴方に弟子入りをお願いしたくて来たんだ!」

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