第5話 逆光

 吉次の父は喜一郎と言ったが、果たして吉次が本当に喜一郎の子供であったかどうかは定かでない。戦中戦後の動乱の中で『そういうこと』にされ、育てられた子供は複数いたであろう。

 戦後、喜一郎はまだ幼い吉次の手を引き、とある田舎町で生活を始めた。それをおぼろげに覚えているのは吉次より幾分年上の、かつて近所に住んでいたという老女だけである。

 彼女によれば、喜一郎と吉次は、とても仲の良い父子に見えた。喜一郎はどこかの製薬会社に勤めているらしく、母親の姿は見えなかったという。日中ひとりで寂しそうに過ごす吉次を見かねて、近隣の者たちは何くれとなく気にかけ構ったそうだ。

 彼女が喜一郎について忘れられないという出来事があった。当時まだ高級品であったカメラを手に入れた彼女の父親が、喜一郎と吉次の写真も撮ろうと声を掛けた時のことだ。

 その時、普段穏やかで、彼女の言葉を借りれば『まるで役者さんのような、細面の色男』であった喜一郎が、さっと表情を変えた。さながら般若のような形相であったと。そして聞いたこともない強い口調で拒否をしたのだ。

「今思えば、吉次さんだけでなく、喜一郎さんも、ご本人でなかったのかも知れませんね。だから、証拠に残るようなことはしたくなかったか、誰かに写真は撮らないように命令されていたのかも…。」

 老女の話は続く。強く拒否した喜一郎に、無理強いすることもせずそそくさと退散しようとした彼女の父であったが、その時吉次がわんわんと大声で泣き始めた。写真撮りたい、おとうちゃんと写真撮りたい、と。

「吉次さんのことは本当に可愛がっていらっしゃったから。根負けして、じゃあ、と、渋々私たちを家に招き入れてね。ここから写真を撮ってくれって。」

 ガラス窓を背景に、膝に吉次を乗せた喜一郎の写真。吉次の遺品の中から見つかったそれは、逆光のため喜一郎の顔は暗くはっきりしない。

 喜一郎は確かに製薬会社に勤めていたが、その会社は彼が退職した後、大手に買収されており、それ以上のことはわからなかった。

 問題は、ここ数年で『死亡前後に皮膚あるいは筋肉の異常なひび割れが突如現れた』という報告が何件かあり、いずれの件も調べてみれば、喜一郎が住んでいた場所と同じ、あるいは近隣の県出身者であったこと。その保護者の数名が、件の製薬会社にかつて勤めていたことが確認されたことだ。そしてその誰もが、写真はおろか似顔絵すらほとんど残っておらず、あっても黒く塗りつぶされていたり、切り取られていたりしていた。

 なお、蘇生したのは吉次だけであったが、綺麗な、若々しい皮膚が体の一部に発生したという報告は複数あった。


 小さな暗い会議室で、スクリーンに映し出されたデータを見ながら、ひとりの若い男が手を上げた。

「つまり…その製薬会社で何かが行われた。子供を使って人体実験が行われたと?」

「さぁな」

会議室の奥、モニターの一番近くに座っていた男が応じた。あの日、病院のロビーで刑事に報告書を要求した男だった。部屋に座る十人足らずのメンバーをぐるりと見まわして続ける。

「いかんせんデータが少なすぎる。それに当時の製薬会社でこんな薬が開発されていたなんて、旧日本軍が不死身の兵士を作るために何かしたとか、何なら人間の進化過程の始まりだとか、宇宙人の仕業だとか、そのレベルの眉唾だ。…とは言え事実として、この奇妙な異変は存在したわけだからな。それに…。」

 顎を上げ、次の資料を映し出すようにと促す。

 映し出されたのは、吉次の精密な検査の結果であった。吉次から採取された遺伝子の一部に今まで確認されたことのない変異が見つかったとあった。そして亡くなったみよ子にはなかったが、吉次の息子の義一、孫の知名にも同じ変異が見られたことも示していた。

「感染はしないが遺伝はするようだ。誰が何を考えて彼らを作ったのか、ただの偶然なのかはこの際どうでもいい。だが…。」

 男は立ち上がり、会議室の照明をつけた。その場にいた全員がまぶしさで目を細める。

「今の日本に、不死身の人間は必要ない。」

 会議室に何の感情もこもらない、冷たい声が響いた。


 骨折していた義一はかなり回復していたが、依然入院は続いていた。軽傷の知名も、現場検証が終わっていたとしても、一人であの家に戻ることはできず、病院の好意で同じ部屋に泊まり込んでいた。知名のために荷物も運び込まれた。

 日々テレビを観て、当たり障りのない話をし、時折笑い合えるほどには心身共に回復していた。マスコミ対策として、外部との接触は電話を含め一切絶たれていたが、被害者と加害者の親族となってしまった身で、誰に何を言われるかわかったものではないと、むしろ有難いと思っていた。義一は仕事のことを気にかけていたが、病院から会社に連絡をとってもらい、地位と仕事は保障するから、安心して療養して欲しいという『伝言』を受け取っていた。

 知名はすっかり素直で甘えん坊の女の子になっており、必要もないのに義一の世話をしたがった。二人とも、この平和な時間をやや退屈に感じるほどには精神的にも回復しつつあった。

「失礼します」

 最近交代した、新しい主治医が病室に入ってきた。際立った特徴もなく、中肉中背の、中年の男。手には注射器の入ったトレイを手にしている。

「すみませんが、また検査することになりましてね。今から検査薬を注射させていただきます。」

「また注射…。」

 知名が不満そうにつぶやく。義一は苦笑いしながら、知名の頭に手を乗せた。

 大人の義一だって、こう何度も注射だ採血だということが続き、針をみただけでげんなりしてしまうのだから、知名の態度に強く注意はできない。

 主治医は微笑んで言った。

「すぐ済みますから…。ちょっと眠くなりますので、横になられた方がいいですよ。さあ。」

 まずは義一から。腕を消毒したアルコール綿から独特の臭いが漂って来る。針が刺さる瞬間、ぎゅっと目を閉じる。冷たい液体が血管を通って行くのを感じ、うっすら目を開けた。

「本当に、すぐ、終わりますからね…。」

 天井の蛍光灯を背にした主治医の表情は、逆光のせいか、よく見えなかった。

 

 嫁を殺害した祖父により、怪我を負わされた息子と孫娘が、入院先の病院で急変し死亡したことが地方紙に小さく掲載されたが、そのことを疑問に思う人は誰一人としていなかった。日々起こる多くの凶悪犯罪に隠れて、やがて市井の人々からは完全に忘れ去られていったのである。

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逆光 よしお冬子 @fuyukofyk

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