第2話 退院
「みえ子さん、おかわりいいかい?」
空の茶碗を差し出し微笑む、十代後半にしか見えない少年。この少年が、つい先日病院で息を引き取った老人だと言って、誰が信じるだろう。
「あ、ああ、はい。普通でいいですか?お、お、お義父さん」
嫁であるみえ子は茶碗を受け取る。平常心でいようと努めていても、声が上ずってしまう。確かに面影はあるが、自分の子供ぐらいの見た目の少年が、あの舅と同一人物あるとはどうにも納得できずにいた。
あの日。息を引き取ったはずの男の体は突然ひび割れ、べりべりと音を立てて皮がめくれ上がり、凄まじい唸り声を上げながらベッドの上でのたうち回った。
のたうち回るなどという生易しいものではない。重力を無視したかのように飛び跳ねていた。身体中の皮が次々とめくれ、血が噴き出す。地獄絵図とはこのことだった。
騒ぎに気付いて駆けつけた医師や看護師も余りのことに悲鳴を上げた。次に飛び跳ねる男の体を何とか押さえつけようとしたが、次々と弾き飛ばされ、看護師の一人は壁に頭をぶつけて気絶してしまった。
どれぐらい経ったか、やがて少しずつ男の動きは収まり、ようやく医師たちに取り押さえられて静かになり…そこで気付いたのだ。
血まみれでめくれあがった何枚もの皮の間から、白くきめの整った肌が覗いていることに。
遺族ではなくなった三人…息子の義一(よしかず)、みえ子、孫娘の知名(ちな)は病室から追い出され、奇跡です、臨終ではありませんでした、いや蘇生されました、ですが非常にまれな事象ですので検査が必要です…などと早口に説明され、強引に家に帰されたのだった。
その後何度か病院に訪れたが検査中とのことで面会できず、病院内もざわついていた。売店のアルバイトの子から、東京のえらい先生が来てるらしいという話も聞いた。
一か月が過ぎ、やっと会えた時には、記憶や口調は間違いなく亡くなった男と同じだが、まるで十代の、若々しい容貌になっていたのだ。
みえ子はご飯をよそって、ぎこちなく笑みを浮かべて茶碗を男に返した。
「ど、どうぞ、お、義父さ、ん」
「おう。…うん、みえ子さんのご飯は美味しいなぁ。病院ではろくに食べられなかったんだ。文字通り生き返るわ。ハッハッハ!」
面会できるようになってさらに一か月、医師に呼び出され、こんな提案をされた。
一週間に一度、家族全員検査を受ける事。気になることがあれば記録すること。その代り、治療費は一切いただきません、ということ。
みえ子にしてみれば、その時点で結構な治療入院費がかかっており、入院時点で出た保険金ではまかなえず、死亡保険で葬儀代等と差し引き、若干マイナスか…ぐらいの予定が、死亡保険がおりなくなってしまったのである。
今葬儀代がかからなかったとしても、なかなかに苦しい。ましてや高校生の知名もこれから学費がかかる。そんなことを言葉を選びながらぽつぽつと語った。すると、今までの入院代も随分考慮してもらえることになったのである。そんなことができるのか、言ってみるものだと思いつつ、いえいえそんなつもりじゃ、申し訳ない、と答えた。
勿論申し出は快く受けたのであるが。
三杯目のご飯をおいしそうに頬張るこの少年…吉次(きちじ)を見て、微妙な表情を浮かべているのはみえ子だけではなかった。息子の義一も、自分よりうんと若く見える少年に向かって、今まで通り親父と呼ぶのは違和感しかなかった。もちろん、話せば口調は親父そのもので、言葉の端々がいちいち偉そうなのである。だが顔も声も何もかも若く、まるで親戚の子供が物真似をしているかのように感じていた。
唯一嬉しそうにしているのは孫娘の知名。
「おじいちゃんてイケメンだったんだね!あっでもおじいちゃんって感じじゃないか。ねぇねぇ、キッチーって呼んでいーい?」
今まで吉次が話しかけても鬱陶しそうに一言二言そっけなく返すだけだったのに、甘い声でまとわりついている。食事を終えても、ゲームしよう、ねぇねぇキッチーこれ見て、と甘えっぱなしであった。
歪な形となった家族であったが、とにもかくにもその日、バタバタと退院一日目を終えたのである。
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