逆光
よしお冬子
第1話 病室にて
薄暗い病室。年末の深夜とは言え、暖房はいやというほど効いている。しかし足元がいやに冷えた。家族がここ数年面倒を見て来た、ある年老いた男の命の火が、たった今消えた。
息子、その嫁、そして孫娘がそれを見送った。
息子にとっては典型的な昔ながらの典型的な父親像…年老いて若干丸くなったとはいえ、その分他の、厄介なこだわりが現れた。まず煙たい存在であった。嫁にとっては、多少付き合い辛いが先に亡くなった姑に比べれば余程マシな存在で、体調を崩してから面倒に感じたことも多々あるが、こんなものだろう、という評価。孫娘にとっては、小さい頃はよく遊んでくれる大好きなおじいちゃんだったが、高校生になり他にもっと楽しいことが増えてくれば、独特の臭いが嫌だし、なんだか鬱陶しい、でもちょっと媚びればお小遣いをくれる便利な人、であった。
勿論そのようなことはそれぞれ表には一切出さず、遺族になった者として、ただしんみりと最後の時間を大事に過ごす、そんな家族を演じていた。医師が何がしか告げ、看護師たちと一緒に頭を下げた。そしてしばらくご家族だけで…と、ぞろぞろと病室を出て行った。
「…よく、頑張ったよな」
まず最初に声を発したは息子であった。明日会社に何時に電話しよう、どう話せばいいのかな、などとぼんやり考えながら。
「そうね、もう苦しくないわよね」
嫁はと言うと、親戚に電話して、それから斎場おさえるのってどうしたらいいのかしら、お寺に電話するのが先かしら…と今後の予定についての計画をあれこれ立て始めていた。
「おじいちゃん、お疲れ様…」
孫娘は声を震わせながら、こんな感じでいっか、あーあ、学校がある時期ならラッキーなのにこれじゃ冬休みが潰れるだけじゃん、つーか眠いんだけど…と心の中で文句たらたらである。
三人に共通することと言えば、『そういうもの』だから受け入れるが、これから続くであろう一連の葬儀をさっさと終わらせたい、家族だけの時間なんて別にいらないのにな、という身も蓋もないものだった。
亡くなった男の顔も、見た目こそ血の気はないし勿論ぴくりとも動かないが、ただそれだけで、特別何かが今までと違っては見えない。病室という空間が非日常なのだから、今更何か非日常なことが起こったとしても、特別な思いは特に湧いてこない。
とりあえず、いつ看護師が戻って来るかわからないので、悲しむふりはしておかなければならないと、それらしい言葉を探し、それらしい振る舞いを続けていた。
カーテンの隙間から見える暗い街と車のランプ。それからかすかな冷気が伝わって来る。夜明けまでまだまだ時間はかかりそうだった。
「父さん…」
息子が亡骸の、皺だらけの手を握る。瞬間、ひゃっ、と高い声を上げた。
「どうしたの?」
「なーに?びっくりするじゃん」
女性陣が半分しらけたように声をかける。が、次の瞬間二人も悲鳴を上げた。
亡骸の手から、ずるりと皮が剥けた。息子は思わず皮を投げ捨てる。見れば、亡骸の目はかっと見開き、眉間から鼻に向かってビキビキとひび割れ始める。
そして、亡骸は地の底から響くような唸り声を上げた。
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