第95話 一回だけ会った印象深い人たち

 一回しか会ったことのないのに、何十年経っても忘れられない人っていないです? いつもその人のことを考えているわけではなく、折に触れて「そういえば、ああいう人いたな」って思い出す人。


 もしくは、もう名前も思い出せないのに、「あの人に会わなかったら人生変わってたかも」と思う人。


 人生には、そういう不思議な出会いもあるなぁって思います。


 私にもそういう人が何人かいるのですが、一人は、十代の時に会ったおじさん。


 英語圏の専門学校に留学する計画を立て、どの国にしようか迷ってたときに会ったおじさんです。


 名前がどうしても思い出せないんですが、どんな経緯でその人に会ったのかすら思い出せません。


 ただ、ものすごく明るくていい人だったのは覚えていて、彼はオーストラリアのメルボルンの大学に留学してたことがありました。


 彼が「留学するならメルボルンが絶対オススメ! 教育水準が高いし、学費も物価もアメリカよりずっと安いし(当時の話です)、人もみんなフレンドリーで最高だよ。メルボルンにしなよ」と熱烈に勧めてくださったのでした。


 もし彼に会ってなかったら、メルボルンを選んでなかったかもしれないし、そうしたら夫にも会えてなかったわけで。人生ぜんぜん違ってたかもしれません。


 もう一人は、メルボルンで会った日本人の画家さん。サルバドール・ダリへのオマージュなのか、あの特徴的なヒゲをしたおじさま(とは言ってもおそらく当時三十代だった)。


 日本人コミュニティ向けの新聞を作る会社でアルバイトをしてた頃(私は当時二十歳そこそこでした)、会社の先輩がオフィスに連れてきた男性です。


 ご自身の作品の写真を見せてくださったのですが、ダリっぽいシュールリアリズムを追求した絵……ではなくて、どっちかというと印象派っぽい風景画でした。


 一つの絵が日本円にして五十万円以上で売れるのだと会社の先輩が説明してくださって、「一枚描くのにどのくらいかかるんですか?」と画家さんに質問したら、「三時間くらい」と言うではありませんか!


 びっくりした私に向かって、「僕ね〜、描くのが速いんだよ。アッハッハ!」と豪快に笑われたのでした。


 とってもカリスマがあり、気さくでおしゃべり、かつエキセントリックな人で、「人の一生は三千年くらいあるんだけどね、現世での一生は短いの。本当の人生は肉体が死んでから始まるんだよ」とニコニコ断言してました。


 冗談なのか本気なのかその時はわからなかったのですが、後ほど先輩から「いたって本気」だと教わりました。漫画に出てきたら「オイオイ」ってツッコミ入れたくなりそうなくらい風変わりなアーティストでした。


 読者のみなさまはご存じの方が多いと思うのですが、パーキンソンの法則というものがあります。「仕事は、利用可能な時間を全て満たすように拡大していく」という法則。つまり、同じ仕事を「三週間でやってください」と言われれば三週間かかるし、「三時間で仕上げて」と言われれば三時間かかるっていう……。


 仕事で複数の納期を抱えている時など、この法則を思い出し、「ギャー! 間に合わない!」とパニックになる代わりに「どうやったら納期に間に合わせれるか」と考えるようにしています。


 で、この法則を思い出すときにセットで思い出すのが、ダリのヒゲをした画家さんなのです。「僕ね〜、描くのが速いんだよ。アッハッハ!」と言い放たれた時のあの笑顔。


 長い時間と手間をかけ、こだわって最高のモノを作ろうとする姿勢を否定するつもりは全くありません。また、小説の執筆は、どんなに効率が悪かろうが、私は自分の心ゆくまま、アホみたいに時間をかけて書いています。だって趣味だもーん。


 でも、「時間かければいいもんができるってもんでもないよなぁ」と、経験則から常々思ってもいます。完璧を目指すことで何も進まなかったり、時間がかかり過ぎたりすることも、ままありますよね。

 

 ってことで、今書いているこのエッセイも、更新時間前ギリギリに慌てて書いてます(またかよ)。そして、あのダリおじさんを思い出してほっこりしています。今頃どうしていらっしゃるんだろうなぁ。

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