第79話 長崎旅行で一番印象に残った話

 先週、宿泊研修に行ってきた長女ですが、「楽しかった」と笑顔で帰ってきました! お泊まりのおかげで、クラスメイトの女の子たちとも仲が深まった模様。ハラハラしてたんですけどね〜。心配することなかったようです。


 先週末は長崎へ一泊旅行したのですが、夫は75キロの道のりを自転車で行き、私と子どもたちは快速電車で海の見える路線を堪能。帰りは、夫は遠回りして100キロを自転車走行し、私と子どもたちは去年開通した新幹線『かもめ』に乗って帰りました。


 長崎、よかったです〜! お隣の県としては羨ましくて仕方ないくらい、歴史もおもしろいし、見所もたくさん。書き留めておきたいことがたくさんあるのですが、今回は割愛します。


 一つだけ、長崎旅行で一番印象深かったことを書いておきます。


 ホテルから長崎駅まで、ほんの五分間のタクシーでのことです。白髪のタクシーの運転手さんと世間話をしていて、「軍艦島に行けなかったのが残念だった」と話したところ、運転手さん「まだ人が住んでいた頃の軍艦島へ行ったことがある」と言うではありませんか。


 ご存じの方もいらっしゃると思いますが、長崎県にある端島(通称、軍艦島)は、かつて世界一人口密度が高かったと言われる島で(1960年の最盛期で東京特別区の九倍以上)、海底炭鉱によって栄えていましたが、1974年に炭鉱が閉山し、今は無人島になっています。


 タクシーの運転手さんは、お友達が何人か軍艦島で働いていたので、島へ連れて行ってもらったことが何回かあるそうです。


 タクシーの運転手さんいわく、軍艦島が栄えていた頃は、島の中に学校や病院はもちろん、パチンコ屋さんやスナックなど娯楽施設もたくさんあったのだとか。週に一度の休日、軍艦島から長崎の街へ繰り出して豪遊する方が大勢いて、長崎の街も今よりもずっとお店や人が多かったとおっしゃっていました。


 タクシーの運転手さんが軍艦島を訪ねた時、人口密度があまりにも高くて、上下左右のどこにでも人がいて、会話が全部、住人の誰かに聞こえているような感じだったそうです。


 何千人もの坑員が交代制で地下へ潜るので、全員がいっぺんに地上へ出ると、人が溢れてしまう状態だったとおっしゃっていました(真偽のほうはわかりませんが)。


「そんなに多くの方が住んでいたのに閉山して無人島になったなんて、職も住むところも一度に失くしてしまった方が、たくさんいらっしゃったのでしょうね」と何気なく言ったところ、タクシーの運転手さんは「いやいや、彼らはすごい高給取りでしたから! 職を失っても一生遊んで暮らせるくらいのお金をもらっていたに違いないですよ」とおっしゃっていたのがとても印象的でした。


 このことを両親に話してみたら「うーん……。中国や韓国から強制連行されて働かされてた人もいたし、労働条件が劣悪で、海を泳いで逃げる人も多かったと聞いたけど」と言われて、さらに「うへえ!」と驚く私。


 今回、このエッセイを書くにあたり、ちょっとだけネットで調べてみたら、軍艦島は1810年に石炭が発見されてから様々な時代をくぐりぬけ、人口も変動を繰り返してきた島のようです。


 ダークなエピソードも多く、調べれば調べるほど、高級取りが豪遊していたようなバブリーな島には思えません。


 でも、タクシーの運転手さんが体験したことは、紛れもなく軍艦島の歴史の一端なのだと思います。生き証人というのは、新聞や教科書には載らないことを記憶しているのだなぁと思いました。

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