第50話 「ごめんなさい」も言い過ぎはダメ?

 同僚(女性)と飲み会の席で、すごく真面目な顔して言われたんですよ。

「まりこ、あなたは自分が悪くないときでも謝る。そんなに謝らなくていいんだよ。もう謝らないようにしなよ」


 その同僚(仮にレイチェルさんとします)、ちょっと酔ってました。でも、普段からストレートにこういうことを言うタイプです。

 レイチェルさんいわく、ある調査によると、女性は男性に比べて数倍、謝る回数が多く、罪悪感を抱きやすいそうです。それから、日本人は比較的、よく謝る国民だなぁと私は感じます。


 よく謝ることが「なんで悪いの?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんし、すぐに詫びることが美徳だという考え方もあるかもしれません。


 ただ、オーストラリアの同僚が私のことを気にかけてくれて、「あなたは謝りすぎるから、あんまり謝らないようにしなさい」と言ってくれたことで、とても胸を動かされました。


 レイチェルさんの意見を詳しく書くと、物議を醸しそうなので、ここでは割愛しますが、いろんなことを考えるきっかけになりました。


 せっかくアドバイスをもらったので、気をつけてみたら、私は本当に無意識によく謝ってました! もしかしたら、日本だったら大丈夫なのかもしれませんが、オーストラリアだと懸念の対象になるようなので、レイチェルさんに指摘されてからというもの、謝る前に「本当に自分が悪いかな?」と考えるようにしています。


 ここからは、ちょっと思いついたことを適当に書いているんですけど、日本は自分を低く見せることで「相手を立てる」文化がありますよね。


「あらまあ、ごめんなさい」「いえいえ、こちらこそごめんなさい」みたいなやり取り、日本ではよく見かけるんですけど、これも「相手を立てる」行為の一環なのかな〜って思います。まわりで見てる人たちは、「『ごめんなさい』とより多く言っている人が悪い」とは解釈しないような気がします。


 でも、オーストラリアでは、本当は自分が悪くないのに、相手の顔を立てるつもりで「私の落ち度でしたね、ごめんなさい」と言ってしまうと、「あの人の過失だったんだ」とまわりの評価が下がってしまう可能性があります。


 あ、もちろん、本当に自分が悪いときは、ちゃんと「ごめんなさい」と言うように、オーストラリアでも教育されます。


 謝罪という、とても根本的でシンプルなことが、文化によってニュアンスが違うのはおもしろいなと思ったのでした。


追記:今日は、エッセイの更新日だということをすっかり忘れていたので、この記事はあわてて書きました。あんまりまとまってなくてごめんなさい。


追記2:↑また謝ってます! これは謝罪というか、言い訳ですね。いらんかったな、て気づきましたが、なかなか興味深いのでそのまま載せます。

 

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