第27話 書くことは考えるツール
人に相談してるうちに、「あー、私ったらこういう気持ちだったのか」って考えが整理されることがあるじゃないですか。書くことにも、そういう側面があるなと思います。
文字を書くって、コミュニケーションのツールですけど、他者とのコミュニケーションをする前に、自分とのコミュニケーションだったりしますよね。書いてるうちに、うん、うん、なるほど、そういうこと思ってるわけねって自分で気づいたりね。
エッセイだと、意識化にある考えや感情について、整理することが多いです。例えば、ツイッターや小説などで「おもしろいな」と思うものを見つけたり、日常生活で「あれ?」と引っかかることについて、エッセイを書いていると、そのことについて、なにがおもしろいと思ったかとか、なぜ気になっちゃったのかとか、そのときの状況や時事ネタとつながったりして、考えがまとまったりします。
小説だと、自分とさらに深いコミュニケーションが取れるなと、よく思います。意識層よりももっと深い部分が出てきてしまって、自分でも「えー!」と思うことがあります。
私、こういう価値観だったんだな、とか。あのときのこと、けっこう気にしてたんだな、とか。こういうところが、ずっと疑問なんだよな、とかね。
エッセイじゃこういうことないんですよね〜。小説だと、自分の内面の深い部分がずる〜って出てくることがあります。個人的に、小説を書いてておもしろいのはこのへんです。
よく、キャラクターが勝手に動いてくれるとか言うじゃないですか。私の場合は、意識化で理解していない、自分の内面の森に、キャラクターたちが連れてってくれてる感じです。
プロットなどは、完全に知覚して書いてるんですけど、いったん物語を書き始めると、登場人物の言動に対して、「なぜ」を掘り下げないといけなくなるときなどがあります。そのときに「あー、こういうことか」と自分のプロットの意味がわかったり、逆にプロット変えたりします。
このへん、人それぞれだと思うのですが、同じような経験していらっしゃる書き手さん、多いんじゃないかなと思います。どうです?
自分の過去作を振り返って見ると、「あのときは、ああいうこと考えてたんだなぁ」と思うこともあれば、同じテーマが繰り返し出てきてるのに気づいて、「私にとって、すごく引っかかってる部分なんだな」とか「こういう願望が拭えないんだなぁ」と思ったりします。
そうやって、自分とコミュニケーションを取って表面化したものを、他者にもわかるように、自分なりに書き上げて、届けるわけですが、伝わらなかったり、作者の意図とは違うように伝わったりすることもありますよね。逆に、「我が意を得たり」みたいに共感していただけると、きゃー♡ 繋がったわ。届いたわ。ってなります。
自分では思っても見なかったような解釈をされたらされたで、「そういうふうに思う方もいるんだ!」って、非常に興味深いです。
書くことの「他者に伝える」機能と同じくらい、考えるツールとしての機能も、すごく大切だな、と思ったのでした。すばらしい作家さんって、思想家としてもすばらしいと思うのですよね〜。
執筆を続けることで、いろいろと気づくことも増え、人生が豊かになったりする……かもしれない。うーん……。私の場合、執筆にむちゃくちゃハマってる時期って、他の全てがおろそかになるんですよ。だから、そういう時期は、普段の生活のほうは、豊かどころか魂が半分抜けてる感じです。バランスが難しいです。
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