『短編』『幼い頃、助けられたピーマンです』と嘘をついて恩返しにきたメイドはどう見ても妹の友達なんだけど

宮元戦車

第1話

 ある晴れた日のこと。


 季節は春。街路がいろには桜の花びらが舞っており、新しい始まりを告げていた。


 そんな中、俺は急いでいた。


 夕暮れまでには家に戻らねばならない。


 王に親友が人質に取られていたから――ではない。


 単純にアニメが見たいからだった。


 撮りためていたアニメを思いっきり楽しむ。


 胸をはずませながら街中を走っていると。


「にゃー」


 なぜか猫の声が上から聞こえてきた。


 立ち止まって見上げると視界に広がる白いパンツ色。


 避けるか? いや、ダメだ!


「あ」


 女子の声が聞こえてきたと同時に。


「んがぁ!」


 パンツが顔面に激突げきとつしてきた。


 ――体勢たいせいくずれる。


 視界が暗転あんてんして、体が地面に叩きつけられた。


「~~~~!」


 激しい痛みに声が出ない。


「下に人がいるとは。……まさか女の下に敷かれる趣味ですか?」

「んなわけあるか!」


 がばっと立ち上がって、文句を言おうと思ったが。


「――っ!」


 思わず絶句ぜっくしてしまった。


 目の前にはとんでもない美少女がいた。


 流れるような黒髪はきぬのような美しさで、整った顔立ちは日本人形のような繊細せんさいさがあった。


 制服のリボンは妹と同じ黄色。つまり俺より一つ年下ということだ。


「では、もしかして、かばってくれた、とか?」


 軽く小首を傾げる美少女。普通の女子がやったら非難ひなんされそうだが、この子がやると妙に様になってる。


「まぁ、結果的にはそうなったかも」


 ほぼ偶然だが、つい見栄みえを張ってしまった。仕方ない。美少女には弱いのだ。


「そうですか」


 そう言うと美少女は黙り込んでしまった。


「というか、なんで上から降ってきたんだ?」

「この子がビルの上にいたので」


 ちっちゃい子猫をライオンキングの子供の誕生シーンみたいに美少女が突き出す。


「どうやら上ったら降りられなくなったみたいで」

「だから、助けるために上って……落ちたのか」


 そうですが何か? みたいな顔すんなよ。


「私は困った人を見捨てらないタイプなんです」


 優しい顔をしながら子猫を撫でる美少女。


 ちょっとドキっとするくらい絵になる光景だ。


「……顔赤くないですか? やはり、猫と美少女は最強の組み合わせということでQEDですね?」

「べ、べべべべ別に。……ま、次は気をつけろよ」


 照れ隠しでついぶっきらぼうになってしまった。


「はい」


 そんな俺の内面に気づいたらしく、美少女はくすりと笑った。こういう無表情っぽい子が笑った仕草にも弱いんだよ。俺!


 もうちょっと話したいという気持ちもあったが、どこからともなく流れてきたアニメのOPの幻聴げんちょうを聞いて目的を思い出す。


「んじゃ、俺はこれで」


 立ち去ろうとしたが。


「待ってください」

「え?」

「助けていただいてありがとうございました」

「ああ、うん。気にしないでくれ」

「この恩は忘れません」

「いや、気にしなくていいけどさ」

「あの、お名前を教えていただけますか?」

「ふ、名乗るほどの者じゃないさ」


 そう言って、俺はクールに去る。


 一度言ってみたかったんだよね。


 どうせもう会わないんだ。格好かっこうつけてもいいだろ。


「……」

「……」

「いや、なんでついてくるの?」


 ぴったりとくっついてくる。


「恩を返そうかと」

「別にいいって」

「家事でもなんでもします」


 ……マジで? 一瞬、エロことが頭に浮かんだ。って、駄目だ駄目だ!


「気にしなくていいって!」


「――あ」


 少女を振り切るように俺は駆け出した。クールに去るとか言っておいて『やっぱり恩を返してくれ』とは言えなかったからだ。



 ※※※※※※



 それから一週間前。


 そんなことがあったこともすっかり忘れていた頃。


 家でのんびりと過ごしていると、コンコンというノックの音が聞こえてきた。


「はい?」


 家にいるのは妹の乃愛だけだ。


 でも、乃愛はノックするなんて習慣はないんだけど。


「ご主人様」


 部屋に入ってきたのは黒髪の美少女だった。


 え? なんでメイド服着てんの? しかも、若干胸元が空いてるというか、ソシャゲのメイド服みたいに無駄に露出してる。


 ある日、森の中で熊さんに出会ったような唐突とうとつさ。


 いやいや、まずは落ち着こう。


 ゆっくりと呼吸をして、思考をととのええる。


「え、だれ? うちでなにやってんの?」

「先日助けていただいた鶴です」

「いや、助けてないし」

「じゃあ、子供の頃、食べられそうになっていたところ、庭に逃がしてもらったピーマンです」


 じゃあってなんだよ。


「……確かに。夕食のときピーマン嫌いだったから庭に捨てたけどさぁ」


 あれ助けたって言える?


「そもそもどうやって入ったんだよ」


 我が家は俺と妹――乃愛のあの二人暮らしだ。そのため、家の鍵は俺たちしか持っていない。


「乃愛ちゃんが開けてくれました」


 あいつ! 知らない人を家に入れちゃ駄目だって言い聞かせてたのに!


 知らない人……?


 ……というか、待てよ。この子、どこかで……。


 そもそも、どうして乃愛の名前を? しかも、親しそうだ。


 NOW  NowLoading。


 頭の中で検索していると。


「恩を返しに来ました」


 深々ふかぶかと一礼する。


 かがんだ際、胸の谷間が見えた。


「よろしくお願いします」


 即決だった。


 しかし、それも仕方ない。


 孔子曰こうしいわく、『男はおっぱいに弱い』。


 そういうものだ。


「じゃあ、部屋を掃除しますね」

「い、いや、それはいいよ」


 部屋にはアダルトが一杯だ。はっきりいって見られたくない。


「……反応が薄い。おかしいですね」


 メイドが小声で呟く。……聞こえてるけどね。


「では、ギターでも弾きましょうか。リクエストありますか?」


 モテるかなと思って買って結局埃をかぶってるギターをメイドが手に取る。


「ここ壁が薄くてさ。隣の部屋に妹いるから楽器は遠慮してくれ」

「では、乃愛っちに聞いてみましょう」

「へ、なんで乃愛のこと知ってんだ?」


 俺の質問には答えずメイドが部屋から出て行った。


 それからすぐに――。


『乃愛っち。入りましたよ』

『うわぁ! 事後承諾で入ってくるなよぉ!』


 耳を澄ませると乃愛とメイドの声が聞こえてきた。


『いいじゃないですか。私とあなたの仲じゃないですか』

『え、ボクと帆乃の仲って……ただのクラスメイトだよな』


 そうだ。確か乃愛が『帆乃ほの』ってちょっと変わった女子がいるって言ってたことがあるのを思い出した。


 田舎の旧家出身で都会に出てきたばかりだから一般常識にうといらしい。


 でも、乃愛の言葉以外でも何か覚えがある。


 ……再び検索。あの胸は――。


 そうだ。一週間前に上から落ちてきた女子だ。


 すっかり忘れていた。


 そうか。あの時の恩を返しに来てくれたのか。


 ……それにしてはやりすぎのような気もするけど。


『……いや、待てよ。そんな風に言うってことは親友だと思ってたってこと!? マジで? やばい! トゥンクしちゃうんだけど!』

『いいえ。ただのクラスメイトです』

『帰れよぉ!』


 乃愛のクラスメイトか。それなら俺のことだって知っててもおかしくないか。


『ボクさぁ。これからゲームやるんだけど』

『また銃で人を撃つやつですか?』

『言い方ぁ』


 乃愛はFPSが好きだからな。


『邪魔はしませんから』

『もうすでに邪魔なんだけど』


 かなりきつい言い方だ。学校が休みのときは基本的に家に引きこもるインドア派の乃愛は対人スキルが壊滅的なため、しばしば言い方が直接的だ。


『だから、早く帰って』


 しばし沈黙。


 このときの乃愛の気持ちを述べよ。


 答え・ずばり言い過ぎて後悔してるのだろう。


 なにせヘタレだからな。乃愛は自分の言葉に後から気づいて後悔するタイプだ。


『……あ、ででででも、別にゲームやりかったから一緒にやっても――』

『そんなことより相談があるのでゲームやりながら聞いてください』

『……そんなことって。メンタルヘラクレスメンヘラじゃん。気になってゲームなんかできないし』

『では、邪魔しないように応援します。敵と遭遇そうぐうするたびに一曲弾きましょうか』

『兄貴の部屋にあるギターで?』

『いえ、ギター弾けないので』


 じゃあ、なんのために隣の部屋行ったの!?


『歌ってあげます。「てんてれてれてれ、てってってんて。ぽへ」』

『笑点かよぉ。敵と遭遇するたびに笑点流れてたら気が抜けるじゃんかぁ』

『ところで乃愛っち』

『なに?』

『ここからが本題なのですが。あなたの言う通りメイドの恰好でせまったのですが、先輩の反応はイマイチでした』


 なるほど。ギターの件は口実か。


『照れてんでしょ。あいつドーテーだから』


 あのメイド服は乃愛の差し金か。


 ぶっちゃけよくやったとめたいところだ。


『もっと積極的に迫ってみたら? とりあえず、上目遣うわめづかいで迫れば一発でしょ』


 帆乃の上目遣いか。


 ほんの少し照れたように赤くなった頬、緊張で少し震えている赤い唇、外国人の血が混じっているらしく、青みがかった黒い瞳。


 普段の無表情とは違うギャップ萌えで胸がつらぬかれたような感覚だった。


 いかんいかん。想像でノックアウトされるところだった。


『先輩だけに特別な話があるんですみたいな感じで』

『なるほど。でも、それだけだとちょっと物足りなくないですか?』

『そだね。なら、『ここだけの話~』とか美味しい話みたいに持っていけば絶対食いつくって』

『さすが乃愛っち』

『へへ、ゲームでこういう展開慣れっこだからね。長年の経験ってやつだね。あとゲームで対人関係も習ったし。はっきりいってゲームがあればなんでも経験値つめるよね』

『ゲームで義務教育終えないでください』

『いいじゃんかよぉ。役に立ってるんだからさぁ』


 乃愛は生粋のゲーム少女だからな。


 ……ぶっちゃけちょっとやりすぎだろって思うくらいに。


 部屋から出て行く音が聞こえた。


 コンコン。


「先輩、ちょっといいですか?」

「ああ、いいよ」


 幾分か自信を取り戻したように帆乃が部屋に入ってきた。


「なんでしょうか?」

「ようやく思い出した。乃愛のクラスメイトの帆乃……だったよな?」

「違います。捨てられた人参です」

「ピーマンだろ」

「似たようなものでは?」

「子供に不人気ってことだけな」


 どうやらあくまでも白を切るつもりらしい。


「前に一度会ったことがある」

「……」


 素知らぬ顔。ポーカーフェイス選手権で優勝できそうなレベルだ。


「上から落ちてきたのを助けたことがあったよな?」

「バレましたか。そうです。謎のメイドの正体は帆乃でした。ぱぱーん」


 さして驚くこともなく淡々と告げる。


「……恩を返すつもりなら別に必要ないって」

「恩じゃありません」

「だったら、なん――」


 言い終わる前に唇を帆乃の白い指が塞ぐ。


「決して恩ではありません」


 もう一度同じ言葉。


 でも、今度はどこか決意が秘められているように感じられた。


「だから」


 帆乃がそっと俺の傍に近づいてくる。


 女子に近づかれるとドキッとしてしまう。


「先輩」


 帆乃は下から覗き込むように――睨んできた。


「……なんでガンつけてくるの?」

「上目遣いです」


 想像と違う!


「ドキドキしますか?」

「別の意味でドキドキしてるよ」


 怒られてる気分になってくる。


「あの、先輩だけに特別――な」


 緊張からごくりと生唾を飲み込む音。


「儲け話があるんです」

「胡散臭い!」

「ドキドキしますか?」

「マルチに誘われたみたいでドキドキする」

「……トキメキは?」

「ない」


 断言できる。


「……少し待っていてもらってもよろしいでしょうか?」

「いいよ」


 というわけで作戦タイム。


 帆乃は出て行き、俺は再び一人になった。


 帆乃の白い指に触れられた唇が熱い。


 今の俺なら唇でやかんを沸騰させることができそうだ。


 それくらいの熱。


 でも、帆乃の意図が分からない。


 俺に恩を返したいわけではないらしい。


 では、なんのためだろうか。



 ※※※※※※



『乃愛っち。作戦失敗でした』

『入って来るならいきなりじゃん』

『どうやらセクシーがカンストして先輩の腰が引けてしまったみたいです』


 嘘だろ。


『嘘でしょ』


 ……心の声と乃愛の声がかぶった。これが兄妹のシンクロニシティ。


『お、帆乃がセクシーではないと? セクシーコマンドー一級ですよ? 武力で勝負つけます?』

『セクシーで勝負つけろよぉ。考え方が戦闘民族じゃん』

『では、先輩に近づける他の手段は何かありませんか?』

『えー、だったら同じ趣味とかで攻めればいいんじゃない?』

『先輩の趣味ってなんでしょうか?』


 俺の趣味か。今はアニメだけかな。


『ボクもあんまり詳しくないからなー。昔は男の子ーって感じの趣味してたねー。ライダーごっことか友達にやってたよ』


 それ幼稚園の頃の話だろ。


『だから、男の子が好きそうなもの詰め合わせで攻めれば?』

『わかりました。とりあえず、ライダーベルトとトゲトゲの肩パッドと刀を持ってアバンストラッシュ決めてきます』

『物理的に攻めんのかよぉ! 死ぬわ! そういうんじゃなくてさぁ。もっと可愛くさぁ。キュンな感じで出来ない?』

『刀は武士の魂なので捨てられません』

『メイドじゃん!』


 乃愛のくそでかため息がここからでも聞こえてくる。


『まぁ、お兄ちゃんなら無難にアニメとかのほうがいいんじゃないかなぁ。あ、ボクの部屋、結構そろってるから持って行ってもいいよ』


 アニメかぁ。最近見てなかったからな。


『なら、秒速5センチメートルを薦めましょう』

『脳が破壊されるぅ』

『そこで『ご注文はうさぎですか』』

『脳が回復するぅ』

『ここで『スクールデイズ』』

『脳が破壊されるぅ』

『まちカドまぞく』

『破壊と再生を繰り返すな!』

『何が生まれるんです?』

虚無きょむだよ!』


 普通のアニメでいいんだけどなぁ。


『でも、日常系のアニメとかいいかもね。ボクも弱ったときなんか女の子同士がほわほわするやつ見るし。とうといよねぇ』


 それはわかる。


『ここで日常をもっと愉快ゆかいにするためにピエロを登場させましょう』

『デスゲーム始まりそうじゃん!』


 ピエロが登場する日常系って何?


『では、目立たないように女の子たちが集合している地面の排水溝はいすいこうにピエロをさりげなく登場させましょう』

不穏ふおんすぎるじゃんかよぉ』


 全然さりげなくない。


『じゃあ、中年男性を登場させましょうか』

戦争ぼくらのウォーゲームだよ!』


 乃愛の大きなため息がここまで聞こえてきた。


『もうわかんないよぉ。お兄ちゃんの興味引きたいならいっそ脱げばぁ? 女子の裸って最強じゃん。って、そんなこと――』

『なるほど。それはいいですね』

『え、マジで!? ちょ、ま――』


 乃愛が止める間もなく帆乃が部屋から出て行く音が聞こえた。どうやら、この部屋に来るつもりだ。


 ……え、マジで? 脱ぐの? ……帆乃の裸かぁ。


 想像中。


 ほっそりとした腰回りと浮き出たあばら、小柄な身長の割にはふくよかな胸、柔らかそうな尻。


 うん、最高じゃん。


「戻りました」


 ノックの音と同時に帆乃が部屋に入ってくる。


「ああ、うん」


 今まで帆乃の裸を想像していたため、つい生返事になってしまった。


 駄目だ駄目だ。


 恩につけこんで女子の裸を見るなんて駄目だ。


「とりあえず、乃愛っちからアドバイスを頂きました。――脱げ、と」

「いやいや、それは駄目だろ」

「止めないでください。これで喜んでいただけるなら不肖ふしょう帆乃・脱ぎましょう」


 そう言って帆乃は胸のスカーフを外す。


「恥ずかしいのであまり見ないでください」


 頬を染めて視線を逸らす帆乃。恥ずかしがっている姿は初めて出会った女の子みたいだ。


 やばい、心臓の音がめっちゃビートを刻んでる。


「あ、わ、悪い」


 慌てて顔を背ける。


 って、そうじゃなくて止めないと!


 視線を戻したとき、帆乃は胸のスカーフを外して床に落と――。


 ズン!


 家が一瞬きしんだ。


 馬鹿な。これほどの重りを身に着けて今まで過ごしてきたというのか。


「ふぅ、これで体が軽くなりました」

「セリフがバトル漫画なんだけど」


 帆乃は手を首に当てて、コキコキ鳴らす。


「ようやく本気が出せますね」


 仕草が『ターバンとマント外したときのピッコロさん』だから全然萌えない。


「……あまり喜んでいませんね」

「そりゃね」


 あんまり変わってないし。


「なら、右腕だけで戦いましょうか?」

「そんな謎のハンデで喜ぶかよ!」


 世話するんじゃないのかよ。


「というか、なんでそんな重い物つけてんの? 修行?」

「家にいたとき、花嫁修業してましたから」

「花嫁修業で『重り』って……。 スキルツリーの選択間違ってない? そこを伸ばしても行きつく先は『武道家』とか『戦士』だよね」

「どんな職業にもある程度の体力は必要かと」


 STRきょくぶりするレベルだけどね。


「……どうやら、これも失敗みたいですね。そういえば、この家ってご両親は不在なんですよね?」

「……ああ、二人とも海外で仕事だ。乃愛から聞いてたのか?」

「いいえ。メイド歴一日の私にすればまるっとお見通しです。家政婦は見たということですね」


 そんな浅い経歴のやつにも見破られるのかよ。


「で、ご飯は普段何を食べてるんですか?」

「……カップラーメン」

「それはいけません」


 といってもなぁ。


「俺と乃愛だけだとどうしてもそういう簡単なものになるんだよなぁ」

「もっと栄養があるものにしてください。そうですね。軽くイノシシでも狩りに行きますか」


 連れション感覚で狩りに誘うな。


「もっとあっさりしたものにしてくれ」

「難しいですね。そういえば、夜は何か食べたいものはありますか?」

「……特にないかな」

「一番選択に困るやつですね」


 我ながらそう思う。


「ちょっと聞いてくるので待っていてください」


 再び部屋を出て行く。


『乃愛っち。来ました』

『うわぁ。また来た』

『ログインボーナスください』

『勝手にログインしてきたじゃんかぁ。……鮭とばならあるけど』

『ピピ、女子力五……。ゴミですね』

『美味しいじゃんかよぉ』


 美味しいのは認めるけど中年男性みたいな食生活だな。


『もっと女子っぽいこと言ってください』

『スマホがなんもしてないのに壊れたぁ』

『お、女子力五十……。なかなかですね』

『……こんなんでいいんだ』


 というか、もっと可愛いセリフ言えよ。


『というか、さっき本当に脱いだの?』

『隣の部屋なのに聞こえないんですね』

『そりゃそうでしょ。壁に耳をくっつけないと聞こえるはずないじゃん』


 実は俺の部屋のベッドは乃愛の部屋のほうにぴったりとくっついているため、ベッドで寝ていると自然と聞こえてしまうのだ。


『脱ぎました』

『え、ど、どどどどどうだった? エッチなことしたの?』

『乃愛っち。鼻息が荒くてキモいです』

『だって、気になるじゃんかよぉ』

『あと汗もすごいです』

『人と話すことないから仕方ないじゃんかよぉ』

『それと目つきもいやらしいです』

『オーバーキルしてくるじゃんかよぉ。死体に鞭打むちうちは楽しい?』

屈伸くっしんしたいほど楽しいです』

あおるなよぉ』

『そんなあなたに質問です』

『弱った心につけこんでくるじゃん。悪魔かな?』

『乃愛っちの好物ってなんですか? やっぱりカレーとかハンバーグですか?』

『味覚が小学生じゃんかよぉ。好きだけどさぁ。……まさか用意してくれるの? 元気出せって?』

『いえ、まさか』

『さっきから気持ちがジェットコースターだよ』

『ということはやっぱりお兄さんのほうもカレーとハンバーグが好きってことですか?』

『兄だからって好きなものが一緒とは限らなくない?』

『なるほど。そういうものなんですね。一人っ子なのでわかりませんでした』

『お兄ちゃんは……何好きなんだろ。かすみとか空気とか好きなんじゃない?』


 仙人か。


 おい。お前妹だろが。


『さっきから思ってましたけど全然先輩のこと知らなくないですか? 本当に兄妹ですか?』

『あんま仲良くないからね』

『意外ですね』

『まー、ボクはほぼ引きこもり同然だしー。そんなもんじゃない?』


 俺もインドア派だが、乃愛は更に上をいっている。


 風呂すら一週間に一回。ご飯だって基本はカロリーメイト一筋だ。


 しかも、ゲームをヘッドフォンでプレイしているせいで乃愛の部屋からはほとんど物音が聞こえない。


 たまに生きているのか心配になるくらいだ。そのため、こうやって聞き耳を立てて生存を確認していることもある。


 まさか女子の会話に聞き耳を立てることになるとは思わなかったけど。


『正直、女の子の手料理ならなんでも喜ぶと思うけどねぇ。でも、帆乃って料理駄目でしょ』

『おっと、それは偏見へんけんでは?』

『調理実習の時、包丁をナイフみたいに逆手で持ってたのに料理得意なわけないじゃんかよぉ』


 それ完全に戦闘スタイルだ。


『最悪、カップラーメンでもいいんじゃない?』

『それはつまらないですね。もっとアレンジを利かせましょう』

『それ料理の初心者がよく失敗するやつじゃん。余計なことせずレシピ通りに作るのが一番美味しいって』

『でも、何かのアレンジはしたいです』

『絶対普通にしたほうが美味しいって』


 俺もそう思う。


『ですが、ここで先輩に料理上手だと思われたいんです』


 いや、別に料理が下手でも構わないんだけど。


 大事なのは心だ。


 ……いや、さすがにげすぎて真っ黒になった卵焼きとかは食べられないけどさ。


『帆乃……。うん、ボクも女だからね。その気持ちはわかるよ。わかった。ボクも付き合うよ!』

『さすが乃愛っち。で、料理経験は?』

『……調理実習の時、食べる係だった時点でわかってくれよぉ』


 乃愛が料理してる姿を見たことないからなぁ。


『なるほど。戦力で考えると乃愛っちは料理力1といったところですね。私は蛇をさばけるので料理力2ですね。ということは料理力が高い私が主体で料理を考えます』

『料理力1しか変わらないのにマウント取ってくるじゃん。というか、蛇がさばけるって料理力じゃなくてサバイバル力って感じじゃんかぁ』

『では、早速料理を作りに行きましょう。キッチン借りていいですか?』

『ボクはいいけどお兄ちゃんにも聞いてよ。前にお兄ちゃんのミキサー使ったら怒られたことあるんだよね』


 無断で借りて洗わらないで放置したからだろ。


『わかりました』


 部屋から出て行く音が聞こえた。


 おっと、こっちに来るんだな。


 素知らぬ素振りで対応しないと。


 今まで話を聞いてたなんて知られたら怒られるどころじゃない。下手をすれば嫌われるレベルだ。


 ただそれでも、乃愛が楽しそうに会話をしているところを聞くのは嬉しい。姑息こそくだが、二人の会話をもっと聞きたいという気持ちもある。


 乃愛は俺と仲が良くないし、仲が良くなりたいとも思っていないようだが、俺自身としては仲良くなりたいと思っていた。


 いつも距離を感じていた。


「ちょっといいでしょうか?」

「ん? なんだ?」


 今気付いたというように手にしたスマホを置く。


「キッチンを貸していただきたいのですが」

「ああ、別に構わないよ。何か作ってくれるの?」

「はい、私の得意料理を披露ひろうするつもりです」

「へー、何の料理?」

「それは秘密です。またあとで来てください。本当の料理を見せてあげましょう」

「料理漫画の勝ち確定演出かくていえんしゅつだ!」

「すみません。言ってみたかっただけです」


 ちょっと期待してたのに。


「ですが、期待していてください。味は本物です。タイトルをつけるなら『令和最新版 史上最高料理 最新技術搭載』といったところです」

「サクラレビュー多そう。途端に怪しくなってきたよ」


 だが、珍しく自信満々な表情だ。どうやら料理が得意というのは本当みたいだ。


「わかった。キッチンは好きに使ってくれ」

「ありがとうございます」


 部屋から出て行った帆乃を見送ると同時に俺の腹がはらぺこ協奏曲を奏でる。


 まともなご飯なんて久しぶりだな。


 ふと気が付けば、自然と笑みが浮かんだ。自分で思ったより楽しみにしてるようだ。


 空いた時間は適当にスマホでゲームをして過ごす。


 すると。


 コンコン。


「先輩調味料借りていいですか?」

「いいよ」


 コンコン。


「先輩、冷蔵庫に入ってる生麺なまめん貰ってもいいですか?」

「いいよ」


 度々たびたび、帆乃が声をかけてくる。


 一件傍若無人ぼうじゃくぶじんのメイドのようにも思えるが、実は律儀りちぎなんだよな。


 麺を使うってことはラーメンかな。


 コンコン。


「ちょっとチェーンソー借りてもいいですか?」

「待った。料理に使う道具か?」

「でも、豚とか牛を解体する工場にチェーンソー置いてあるイメージありますよね?」

「ゲームだと殺人鬼がいるステージだろ! そもそも我が家にチェーンソーはない!」

「わかりました。――乃愛っち。チェーンソーはないそうです」


 キッチンにいる乃愛に向かって帆乃が叫ぶ。


「ええー、このうちって調理道具もまともに揃ってないのー!?」

「チェーンソーは調理道具じゃないだろ!」


 思わず叫び返してしまった。


「お兄ちゃん使えなーい」


 チェーンソーある家庭のほうが少ないだろ。


「仕方ありません。乃愛っち。家にあるものだけで仕上げましょう。それでは失礼します」


 なぜか貴族っぽくスカートの端と端を摘まみ上げて優雅ゆうがな仕草で一礼する。


 それメイドというよりも令嬢れいじょうの仕草だろ。


 相変わらずメイドを勘違かんちがいしてるなぁ。


 さてと、あとは夕食まで寝てようかな。


 ベッドに寝転がって目をつぶる。


 そのとき、枕の下から小さな声が聞こえてきた。


『うわ! なにこれ! マジでやばいって!』

『お、さすが乃愛っち。料理は火力ということですね』

『んなわけないじゃん! 家をレアで焼くわけじゃないんだけど!』


 帆乃と乃愛の声が聞こえてきた。相変わらずさわがしいな。


 そういや、この部屋の下はキッチンだった。


 ……ちょっと心配になってきたな。


 俺は部屋から出ると、一階のキッチンに向かう。


 ドアの前にたどり着くと。


『どうにかしてよ! やばいって! マジで怖いんだけど!』

『フライパンから手を離せばいいのでは?』

『やばい、怖くて離せない! 助けて!』

「おいおい! 大丈夫か!?」


 声をかけて中に入ろうとするが。


『お兄ちゃん!? 開けなくていいから!』

『そうです。今裸エプロンなんで開けないでください』

「なんだって!?」


 開けようとするが。


『開けたらマジで殺すから! 絶対殺す! 末代まで呪ってやる!』


 お前の末代でもあるだろ。


「というか、裸エプロンで料理するなよ」

『し、仕方ないじゃん。ノリでやっちゃったんだから』


 ノリで脱ぐな。


 お兄ちゃんとして将来が心配になってきた。


『大丈夫です。先輩、私が見てるんで』


 ……火災警報器は鳴ってないから大丈夫なのか。


『乃愛っち。落ち着いてください』


 どうやら帆乃は冷静なようだ。


『火を見つめて』

『う、うん』

『火を恐れるは獣の所業しょぎょう。汝は人。火を受け入れよ』

『我は……人。――って、自己啓発セミナーやってんじゃないんだよぉ! 火を克服こくふくする方向性にするんじゃなくて単純に火を消してよぉ!』

『どこで消すんですか?』

つままんでひねれば消えるから!』

『こうですか?』

『あん♪ って乳首を摘まめって言ってんじゃないんだよぉ! ボクの命の火を消す気!?』

『前々から乃愛っちの乳首を摘まめばどうなるのか気になってたので』

『タイミングおかしくない!? そういう状況じゃないんだけどぉ!』

『でも、手が離れましたね』

『ほんとだ! ――よし! 消えた!』

『危なかったですね』

『ほんとだよ!』

『で、この黒いのが乃愛っちの料理ですか?』

『二人の共同作じゃんかぁ。なんでボクだけに押し付けるんだよぉ』

『そうですね。では、『愛を知らぬ悲しき獣』とでも名付けましょうか』

『料理につける名前じゃないじゃんかぁ』

『では、『地中海風愛を知らぬ悲しき獣ゴルゴンゾーラ』とでも名付けましょうか』

『ゴルゴンゾーラってチーズの名前だから。あとこれカレーだから』


 生麺使ってなかった?


『この悲しきモンスターはどうしましょうか?』

『名前違うじゃんかぁ。とりあえずお兄ちゃん行きだよね』

『そうですね』


 ……悲しきモンスターを俺が食べるのか。


『さすがにこのままだと見栄みばえが悪いので何か添えましょうか』


 見栄えの問題か?


『じゃあ、弁当で残ったパセリ入れとく?』


 それ乃愛が嫌いだから残したやつだよね?


『お、いいですね。ついでにケチャップで何か絵を描いてください』

『無茶ぶりするじゃん。描くけどさ』


 なんだかんだで乃愛は付き合い良いよな。


『じゃん! できたよ!』

『なんですか? これ? ベネッセのロゴ?』

『ボクと帆乃だけど』

『……無難にメッセージ入れておきしょう』


 乃愛は絵が苦手だからな。


『いいと思うんだけどなぁ。で、なんてメッセージ?』

『手短に申し上げます。この木曜日にウィキペディアの中立性を守るためのご寄付をお願いします。読者の98%は見て見ぬ振りをして、寄付をしてくださいません。もしあなたが今年すでに寄付をしてくださった特別な読者なら、心から感謝いたします』

『全然手短じゃないやつじゃん』

『冗談です。……本当は……』


 どうやら小声で話しているらしく内容が聞こえない。


『マジで?』

『はい』

『別にいいけどさ。それ普通に言ったら駄目なの?』

『……それはできません』

『なんで?』

『……恥ずかしいので』


 珍しく弱ったような声だ。


 普通の人なら気を使って詳しく聞かないだろう。


『恥ずかしい? なんで? なんで?』


 でも、乃愛は違う。


 空気を読むということを知らないため、ずかずか踏み込んでくる。


『……』

『……あ、別に言わなくてもいいかもというか言い過ぎたっていうか』


 そして後から失言しつげんに気づいて、罪悪感ざいあくかんを抱くタイプだ。


『ま、まぁ、気にしなくてもいいって』


 何を書いてくるつもりなんだ。


 ちょっと怖いがドキドキしているのも事実だ。



 コンコン。


 ノックの音が聞こえてきた。最初に比べれば遠慮えんりょがなくなった音のような気がする。


 ドアを開けて帆乃が入ってきた。


「先輩。餌の時間です」

「言い方はご主人様に対するものじゃないよな?」


 ペットみたいに言うな。


「先輩みたいなペットなら飼ってみたいです」

「俺は嫌だよ」


 後輩のペットになるなんて俺のプライドが許さない。


 ……後輩の世話になっている時点で説得力はないけどさ。


「私、ペットと一緒に寝るタイプの女子なんですけど」

「……それでも嫌だ」

「お、ちょっと迷いましたね。さすがは先輩。自分に正直ですね」

「いいから、ご飯ってどれ? 一緒に持ってこなかったのか?」

「こういうのは演出が大事なのです。ちょっと待っていてください」


 開いたままのドアから廊下に出るとお盆を持って戻ってきた。


「お待たせしました」


 目の前にはパセリが置かれた皿。


「……弁当で残ったパセリだけ? いじめか?」

「前菜です」


 ……仕方なくパセリを食べる。ぱっさぱさだよ! 口の中でぱっさぱさダンスしてるよ!


「お待ちかねのメインディッシュです」


 さて、何が書いてるかな。


 楽しみにしていると。


『好きです』


 帆乃に目を向ける。


 珍しく頬を赤く染めていた。


「……」

「え、マジで?」

「マジです」

「ど、どうして?」

「先輩が強い人だからです」

「だって、先輩は私が上から落ちてきたとき、避けませんでしたね」

「それは……避ければ、お前が怪我しただろ」

「そういうところが好きです。だから、ずっと探してました」

「そんなこと急に言われても」

「……そうですか」


 そう言うと、帆乃はさっと背を向けた。


「……どこか行くのか?」

「正体がバレたのでもうここにはいられません。昔話の定番ですよね」


 言い終わると、部屋から出て行こうとする。


 一瞬、嫌な思いがよぎった。


 このまま行かせてしまうともう会えないような。


 別れと終わりの気配。


 この気持ちが恋なのかわからない。


 それでも。


 唇に触れた白い手の感触と熱が今でも残っている。


「待ってくれ!」


 俺の気持ちがはっきりしていない以上、好きとは言えない。だから。


「お前ピーマンだろ! それ鶴じゃん!」


 ツッコミを入れた。


「まさか、ツッコミを入れるために呼び止めたんですか?」

「……他に引き留める言葉が思いつかなかったんだよ」

「でも、先輩は優しいので罪悪感を抱えた私があのまま出て行かせるはずがないと思ってました」

「なんで俺のことがそんなにわかるんだよ」


 俺は帆乃のこと知らないのに。


「ずっと見てましたから」

「え」

「嘘です」


 一瞬、ドキッとしてしまっただろ。


「……なんだ」

「残念そうですね」


 いたずら猫みたいな表情で帆乃が覗き込む。小悪魔の尻尾みたいなのが見えるよ。


「別に」


 心が読まれていることが気に食わず、つい素っ気ない態度を取ってしまった。


「それも嘘です。だから、また会いに来ます」


 帆乃が目を細めて薄く笑った。それを見て、何故か知らないが、胸の熱が再び熱くなった。




 それから数日後。


 学年が違う帆乃とは会う機会はない。


 もう会えないかも。


 そう思っていたが。


「おかえりなさい」


 部屋に入るとメイドがいた。


 ……なんかデジャブだぞ。


「え、なんでまたいるの?」

「なんでとは? また来ると言いましたよね」

「言ったけどさ。俺が幼い頃助けたピーマンなんだよね? 正体ばれたらもう来ないんじゃないのか?」


 あの感動的な別れはなんだったんだ。


「今の私はあのときの私ではありません」

「どういうこと?」

「今の私は先輩に幼い頃ゴミ箱に捨てられた――もとい、助けられたウエハースの妖精です」


 そういえば、おまけのシール集めていたとき捨てたかも。


「そんなわけで今日は掃除をします。安心してください。乃愛っちの部屋から『掃除で裸・男ら・まん菊門きくもんを花瓶にする収納術』というBLゲームを参考資料として持ってきました」

「絶対参考にならないだろ」

『あー、ボクのゲームがないいいいい! あれ見られたら生きていけないじゃんかよぉぉぉ!』

「無断で持ってきたのか」

「てへっ」


 無表情に舌を出す。


 とんでもないメイドだ。


『お兄ちゃぁぁぁぁぁん!』


 ドタドタと足音を立てて妹がやってくる。


 さて、なんて言おうか。


 いつの間にか俺の唇の端には笑みが浮かんでいた。




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『短編』『幼い頃、助けられたピーマンです』と嘘をついて恩返しにきたメイドはどう見ても妹の友達なんだけど 宮元戦車 @miyamotosensya

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