EP1・山岳の街 5
5
カフェ〈波止場〉を出た私たちは、サーシャ・アベニューを南下する。山岳地帯の森林を伐採して作られた町の道は基本的にどこも坂道だ。下へ下へと降りるほど、海に近づいていく。私は首を少し捻り背後の風景を見た。なだらかに慣らされた山腹には、棚田状に建物が並んでいた。金持ちや権力者サマたちは現時点で1番安全な山頂付近で暮らしている。津波でも起きれば標高1900メートル以下の住宅地は真っ先に沈むというのに、防波堤の設置もしない。
まったく。どうして人は偉くなるとこうも高いところに住みたがるようになるのだろうか。永遠の謎だ。
日に焼けて灰色になったアスファルトを踏み鳴らし5分ほど道なりに歩けば、足元がコンクリートから柔らかい土へと変わり、私たちの周囲から建物が一切なくなった。代わりに『立入禁止区域』と書かれた看板と鉄線が張り巡らされたフェンスが、海を阻むように横へ横へと続いている。
フェンスの向こう側1キロメートル先に大きな建物と港が見える。アレが〈シー・ガル号〉の船着場および格納庫、サルベージ9番施設だ。直径700メートルのパイユート港が広がっており、貿易船や旅客船が出入りできるモアランド州唯一の場所でもある。
私とヘルクはそのまま進みフェンスに近づいた。一部分だけゲートになっていて、ゲートの前にはモアランド州海洋管理警備軍の監視塔が建っている。ここに駐屯している海洋管理警備軍の仕事は、サルベージ船や貿易船、旅客船に出入りする人間の管理。そして許可なく海岸に侵入する市民や海賊の捕縛だ。
屋上で見張りをしていた警備員が私たちに気づいたようで、トランシーバーに話しかけた。すぐに監視塔の扉から別の警備員が出てくる。
肩に階級が刻まれたパールグレーのシャツ、濃紺のスラックスに同色の制帽、黒い編み上げブーツ。茹だるような熱気の中、袖も捲らずに軍服をかっちりと着込んで帽子のツバを下げている彼は、肩にスプリングフィールドM14を引っ提げている。その中身が麻酔弾から実弾に変わる日が来ないことを祈るばかりだ。
「許可証は」
聞き慣れた低い声に、私はウィンドブレーカーに刻まれたエンブレムを見せた。灰色の菱形の枠から、白いカモメが翼を広げて今にも飛び出さんとしている。コレが〈シー・ガル号〉乗組員の証だ。ヘルクも私と同じように左半身を向けて腕章を見せた。どことなく、気まずそうに目を伏せて。
「チッ。今日はお子ちゃまもご一緒かよ。なあ、エルピス?」
嫌味を隠しもせずに舌打ちを響かせた警備員は、右手でクイと帽子のツバを持ち上げた。短く切り揃えられたレディッシュの髪、日に焼けて赤くなった頬と鼻先、軍服の上からでもわかるたくましい体躯。そして不機嫌に吊り上がった瞼からのぞく瞳は、深緑の翡翠。
「あの、兄さん……。そんな風に、い、言わないでよ」
兄さんと呼ばれた警備員はまた1つ舌打ちをかました。そう。彼はヘルク──ヘルケインの兄、オーテイン・L・アーク。ヘルクとは違いコーラルの遺伝子がしっかりと容貌に現れている。ヘルクと同じ翡翠の瞳は父親譲りだ。コーラルとは似ても似つかぬこの短気な性格も、父親譲りだと私は信じている。
「お子ちゃまが来ていい場所じゃねえって散々忠告したはずなんだがな。それとも、わざわざその見目麗しいご尊顔の鼻頭を折られにきたのか?」
「で、でででも、ここは僕の職場で、その、し、仕事はきちんとしないと、いけないから、」
「ああ?」
オーテインはヘルクの胸ぐらを掴み上げ、鋭い眼光を突きつける。対するヘルクは両手を胸の前でワタワタと振り、体を小刻みに震えさせている。さながらサンサヘビに睨まれたウオノミガエルと言ったところか。
私はヘルクの胸ぐらに伸びる手をギュッと鷲掴んだ。
「アーク2等海士、彼は我が〈シー・ガル号〉の整備士です。このまま侮辱及び恐喝行為を続けるのであれば、海士長に報告いたします。ほら、見張りの隊員もあなたの行動を見ている。すぐに着古されたツナギから手を離されたほうがよろしいかと」
「ほう? ゴミ拾い屋ごときがオレに楯突く気か。エルピス」
オーテインは興味深そうに片眉を上げた。私は「とんでもない」と返した後「しかし」小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「サルベージ計画に携わる者は、みなイルネティア中央協議会からの勅命を受けて海に臨んでいる。モアランド州お抱えの警備軍、それも2等海士が易々と手を出して良い相手ではないと思いますが」
サルベージ隊員はけして軍人などではないが、階級に換算すると1等海曹に相当する。
「海でゴミ拾いをしているわけではありません。
私たちは最前線で命を張っている。監視塔で日がな一日海やフェンスを眺めているだけの警備軍とは違い、自然と階級は高くなるものだ。
オーテインはまたしても舌打ちをかます。10秒に1回は舌を鳴らさないと死ぬ病を患っているようだ。可哀想に。
「……オマエらなんかすぐにでも吊り上げれるんだからな」
オーテインは渋々とヘルクから手を離す。よほど苦しかったのか、ヘルクは膝に手をついて咽せながらも必死に息を吸い込んでいた。私はヘルクが落ち着くのを待ってから、彼の手を引いてオーテインの横を通りゲートを潜る。私たちを見送る彼の瞳は、恨みを凝縮したかのように険しく。
「なんでヘルクが……」
吐き捨てられた言葉は、波の音にかき消された。
サルベージ9番施設はゲートの先、左手奥の海岸にあり、ガレージは海に面している。イルネティア合衆国にはサルベージ施設が現在13個存在し、9番施設は16年前に設立された、その名の通り9番目のサルベージ施設だ。潮風に晒されたコンクリートの壁面は劣化して所々剥げ落ちている。しかし定期的な舗装により建築物としての役割は衰えていない。
「テメェら遅かったじゃねーか!」
施設の前でエルドレッドが手を大きく振っている。ガハハと大きく口を開けて笑う姿は、真昼の日に照らされて目に痛いほど眩しい。
私たちはエルドレッドに合流した。
「ゲートでバカに絡まれてましてね」
「だと思ったよ」
エルドレッドは蓄えた髭を撫でた。
「オーテインの野郎今日は一段と機嫌悪いからな。まあ朝っぱらから水死体の回収してりゃ八つ当たりもしたくなるだろうさ」
「ならサンドバッグでも叩いてろっての」
私の後ろからヘルクが元気よく挨拶をする。
「おはようございますエルドレッドさん」
「おはようヘルク。つってももう昼だがな! さあ中に入ってくれ」
エルドレッドは気前よく笑って海洋面とは間反対に設置された小さな扉を開けた。中では早番だった船員が中で忙しなく動いている。ガレージにはトレーラーで海水から引き揚げられた〈シー・ガル号〉が他の整備士に洗浄、補強を施されているところだった。普段は海に隠れている船底が現れていて、改めて見る〈シー・ガル号〉の全貌は圧感の一言に尽きる。
船尾でエンジンにオイルを差していた船員がヘルクの存在に気づいた。彼は作業を放り出して足早に駆け寄ってくると「おはようございます」と軽く会釈をする。
「ヘルクさん。早速で悪いんですけど、音叉の修理に取り掛かってもらえますか」
「もちろんです」
会話もそこそこに2人は連れ立って船尾へと移動した。私はリュックを下ろし中身を取り出してエルドレッドに渡した。肥え太った財布だ。
「今日の分です」
「いつも任せちまって悪いな」
「いえいえ。分け前は6:4でいいですよ」
「0:10なら考えてやらんでもない」
「無賃金労働はポリシーに反します!」
エルドレッドは「はいはいそうかい」と私を軽くあしらって中身を抜き取ると、ぞんざいにオーバーオールのポケットにねじ込んだ。そして空っぽになった財布を私に手渡した。ついさっきまで手にずっしりと重みを感じたというのに、今は羽のように軽い。血涙が出そうだ。
私は涙を飲んで財布をリュックにしまうと、〈シー・ガル号〉へと近づいた。早朝からの作業の賜物か、船底は綺麗に洗浄されていてクズクイフジツボ1つ付着していない。しかし先日イルカモドキと衝突した際わずかに凹んだ痕だけは、生々しく存在を主張していた。
「凹んだだけでよかったぜ」
エルドレッドが感慨深く〈シー・ガル号〉の傷痕を見つめる。私は「ええ」と頷いた。
「あの強靭な口先で穿孔されていたら、私たちは今頃オーテインに回収されていたでしょう」
ボリボリと頭をかいてエルドレッドは額に皺を寄せた。
「シャイアン州のサルベージ隊が航海中、興奮したイッカクマジリ5体と遭遇。衝突を避けられずやむなく戦闘を開始。イッカクマジリを1体殺すごとに船員のうちランダムに1人、原因不明の即死を遂げ、全て殺し終わる頃には船上には5名の死体が転がった」
「サルベージ計画が始動してわずか1ヶ月の出来事でしたよね」
「ああ。あっという間に国際間、国民に情報は伝わった。『USを殺すと道連れにされる』ってな」
エルドレッドは船底の傷痕に手を沿わせた。
「当時はUSについてほとんど解明されてなかった。だからUSを怖がったお上たちは、国際条例で『US及び海洋には一切の危害を加えてはならない』と制定した。向こうは俺たちを容赦なく殺しに来てるのによお、理不尽極まりねぇもんだよな?」
いつも乗組員を導く大きな背中が、今は丸く小さく見える。よく見ると彼の栗毛に白い筋が何本か混ざっていた。
(そうか、もうそんな年齢なのか)
私はエルドレッドに寄り添い、背中に優しく手を当てた。
大厄災以後、放射線は人体に甚大な健康被害をもたらした。それらは皮膚紅斑や脱毛、癌、神経障害、DNAの破壊による骨髄症候群まで多岐にわたる。最先端の医療技術が詰め込まれた病院は海の底、適切な治療を受けることもままならず。結果的に人類の平均寿命は53歳まで下がった。旧世紀には、顔の皮膚がシワクチャで腰が90度近く湾曲した100歳越えの〈老人〉がゴロゴロと生きていたらしい。旧世紀、恐るべし。今では想像もつかない。
しかしまあ、そんなに長く生きていて『人生』そのものに飽きないのだろうか。私なら30年で飽きる自信があるのに。
「船長、ヘルクが呼んでますよ」
修理が終わったようで、ヘルクが船尾から私たちに手招きしている。
「……そうだな」
エルドレッドは傷痕をそっと撫でると、背中を真っ直ぐ伸ばした。
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