EP1・山岳の街 6

 6



 午後3時、音叉の試運転のため、パイユート港からテハチャピへ出航した。修理と出航の用意をしている間に上空は薄い雲で覆われてしまったが、この程度なら雨は降らないだろう。気圧計も異常なし。航海に支障はない。〈シー・ガル号〉はエルドレッドの指示のもと、18ノット(※約時速32キロ)で順調に海を渡っている。

 出航から50分。ゴーグルを首に引っ提げた私は、甲板に座って波に揺られていた。初夏の潮風は生温かく、深く息を吸うと、海の亡霊が引き連れてくる死の匂いが鼻腔に充満した。ヘルクも隣で三角座りをしてプラチナブロンドをなびかせている。


「USって何が目的なんだろうね」


 突然ヘルクが口に出した。

「急になんですか」私は眉根を寄せてヘルクを見た。彼はクレーンの向こう側、遠い水平線を見つめている。


「人間を海に身投げさせたり呪い殺したり。でも実際のところ、物理的に危害を加えてくる種類は20にも満たない」

「まあ……そうですが……」


 ヘルクはつま先に視線を落とした。太陽が雲に隠れて空が薄暗くても、翡翠の瞳は輝きを失わない。


「今日お店に来た人言ってたよね? 声が聞こえるって」


 恐らく真珠を買った男のことだろう。

「ええ」私は頷いた。ヘルクは「僕が思うに、」と言葉を紡いだ。


「USは人間のことを呼んでるんだよ。海に来て欲しいって。きっと何か伝えたいことがあるんじゃないかな」


 それは随分とドラマチックなことだ。本当であれば、だが。


「海洋生物の成れの果てが何を伝えたいと? そもそも、海に潜った人間は例外なく死んでいるんですよ?」


 たたみかけるように問うと、ヘルクは目尻をへにゃりと下げて「それは……、その……、」と言葉を濁した。


「憶測でものを言う暇があったら仕事の準備をしてください。もうテハチャピに着く」


 私は立ち上がりヘルクを見下ろした。彼は「でも、」やら「だけど、」と接続詞をモゴモゴと呟いている。私は彼の右手を引っ掴み強引に立ち上がらせた。


「さっさと、行け」


 ギロリと睨みながら親指でブリッジを指せば、本日2回目のウオノミガエルは逃げるように駆けて行った。



 目的地のテハチャピに到着してエンジンが切られた。船の揺れが収まり完全に停止したことを確認してから、私は船縁へ移動して海面を覗く。テハチャピの深さは約600メートル。日が陰り黒ずんだ海面の下で、USたちが息を潜めている。私はゴーグルを装着して電源を入れた。準備は万端だ。


『エルピス、はどうだ。オーバー』


 腰のベルトポーチに入れていたトランシーバーがノイズを発した。エルドレッドからの無線だ。トランシーバーを手に取り、側面のスイッチを押して応答する。


「危険度0のUSがちらほらと居ます。そっちはどうですか。オーバー」

『こっちも同じだ。できれば危険度2〜4のUSがいれば、試運転にちょうどいいんだが、危険性の高いUSは変な波長を発しているせいで、ほとんどが魚探レーダーに映らねえ。まったく難儀なもんだぜ。オーバー』

「役に立たねえポンコツですね。オーバー」

『ちょっと聞こえてるよ!? 機械を侮辱するなんて許さないからね! それに魚探は超音波を利用している機械で円錐状に広がっているから深くなるほどエコーが帰ってくるまでの時間が──』


 エルドレッドの横で聞いていたのだろう、ヘルクがすぐさま食いつき騒いでいる。もちろん無視だ。私は船縁を反時計回りにゆっくり伝いながら海中を観察する。──いた。船首から1500メートル先、ゴーグルが捉えることができる最大の距離に黒い影を発見した。


「いました。2時の方向、高速でこちらに進行しています。現在の距離1300。オーバー」

『了解。こちらのレーダーに反応はない。種類はわかるか? オーバー』


 私は真っ直ぐ〈シー・ガル号〉に突っ込んでくるUSの特徴を確認した。体長は6メートルほどか。凸凹した歪な胴体の左右に2つずつヒレがついている。尾は横に平たく薄く、頭部には先端が鋭く尖ったツノが生えて──、


「船長! イッカクマジリです! 危険度5! オーバー!」


 慌ててトランシーバーに叫ぶ。イッカクマジリはUSの中でもとりわけ凶暴で、視界に入るモノは船だろうが同族だろうが自慢のツノで串刺しにしてしまう。そしてヤツのツノは旧世紀で1番の硬度を誇っていたウルツァイト窒化ホウ素をも穿孔する。サルベージ隊の間でも悪魔と恐れられているUSだ。実際に遭遇したのは初めてだが。


『冗談だろ!? テハチャピは浅いから危険度4以上のUSは居ねぇはずだぞ!?』


(私だってそう思ってたよ!!)


 驚愕をあらわにするエルドレッドの声を右から左へと流して、迫り来るイッカクマジリの姿に冷や汗を流した。

 感染症の分類のように、USも種類によって危険度が7段階に分けられている。海の亡霊を除く人的被害が全くないUSは危険度0に分類。攻撃はしてこないが毒性を持っているUSは1。被害有りまたは状況によっては攻撃してくるUSは2から4。イッカクマジリのように攻撃的かつ殺傷力の高いUSは5。物理的な殺傷力は一切持たないが、一定の範囲内の人間の精神を崩壊させるUSは6。人語を発するUS──確かな遭遇者はおらずただの噂止まりだが──は7とされている。


『海流に乗って移動したってのか!?』

「それしか考えられませんね! 距離は1000、このままだとぶつかる! はやく音叉を起動してください!」


 私はトランシーバー越しに怒鳴りつけた。その間にもイッカクマジリはさらにスピードを上げて〈シー・ガル号〉に直進している。船との距離は700メートルもない。


「まだか!?」


 焦ったくなり振り返ってブリッジを確認した。窓の向こう側ではエルドレッドが私を見つめて静かに頷いた。


「ようやくですか。まったく、ハラハラさせるんじゃねえよ」


 私は海中へと視線を戻し、腹を括った。あとはヘルクの技術を信じるだけだ。



 ──♫〜



〈シー・ガル号〉の船底を中心に、音叉が放つヴァイオリンの音色が広がる。有名なクラシック音楽のように美しい旋律ではなく、どこか調子の外れた、不協和音の混じったものだった。

 USアンダーストリングスの放つ波長は弦楽器の音に似ているらしく、彼らの名前もそれに由来している。ヘルクはその波長に近しい音を再現してUSの行動をコントロール、もしくはコミュニケーションをとろうと試行錯誤した。その結果生み出されたのが音叉tunerだった。音叉はUSの波長を真似て、あらゆる弦楽器の音を再現することができる。そして旋律はUSに通ずる唯一の『』に変化するのだ。

 音は海中をかき分けて〈シー・ガル号〉から400メートルの位置にいるイッカクマジリに当たった。脇目も降らず直進していたイッカクマジリは突然、ピタリと進行を止める。そして苦しそうに体をくねらせてその場で3回ほど旋回してから、何事もなかったかのように海底へと帰っていった。


「……ふぅー、」


 私は張り詰めていた息をゆっくりと吐いた。同時に膝の力も抜けたようで、その場にドサリと尻餅をつく。汗ばんだ額が気持ち悪い。私はゴーグルの電源を落として顔から外すと、前髪をかき上げてぬるい風を感じた。いまだ鳴り響くヴァイオリンの奇抜な旋律と混ざり合ってたいそう不快だ。


「僕が作った音叉は凄いだろ」


 そう言って嫌味ったらしく上から覗き込んできたのはヘルクだ。先程の『ポンコツ』呼ばわりを相当根に持っているようだ。うざい。


「仕事が遅い。あと少しで船に孔が開くところでしたよ」

「仕方ないだろ? イッカクマジリに会うのは初めてだったんだから、専用の旋律がなかったんだよ。それに、急ピッチで拵えて、しかもきっちり追い払えたんだから、僕に何か言うことあるんじゃないかな?」


 ヘルクは私の隣にしゃがみ、ニコリと笑いかけてきた。不気味な笑顔だ。黄金比率が不気味さに拍車をかけている。そしてうざい。

 私は片膝を立ててその上に肘をついた。


「はいはいすごかったですわたしたちをすくってくれてありがとうございました」

「感謝の気持ちがまったくこもってない! ダメですやり直し!」

「崩れろ黄金比!」

「あだだだだっ鼻を摘むのやめてってばぁ!」


 鼻から手を離してやると、ヘルクは身体を丸めて「ひどい」と愚痴をこぼしながら鼻をさすった。間抜けな姿だ。だがしかし、地球上で対US用の機械を創り上げたのは、ヘルクただ1人だ。


 音叉は〈シー・ガル号〉乗組員がコーラルの雑貨店に卸した遺物、精密機械にヘルクが魔改造を施したものである。音叉のおかげで〈シー・ガル号〉乗組員の生還率は世界のトップを保持している。しかし他のサルベージ隊はUSの餌食になり続けている。死傷者をこれ以上増やさせないためにも、音叉の設計図は中央研究所に提供するべきなのだろう。


(だが……)


 音叉の基盤になったのは中央研究所が破棄命令を下した汚染物質だ。もし設計図を提供すれば、ヘルクが『遺物に触れて海の亡霊に取り憑かれた、精神異常者』と判断される可能性があるし、〈シー・ガル号〉乗組員は危険物保持及び密売で情状酌量の余地なく処刑されるだろう。絶対に、乗組員以外の人物に知られるようなことがあってはならないのだ。私たちなんかとつるんでいるばかりに、彼の才能は世に出回ることはない。

 本当に、宝の持ち腐れだ。


「……歯痒いもんですね」


 ポツリと呟く私を見てヘルクは「何が?」と首を傾げた。私は「別に何も」と返し灰色の空を見上げる。

〈シー・ガル号〉はパイユート港への帰路を渡り始めた。

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