EP1・山岳の街 3
3
サウスシティ5番ストリートの市場は、6番ストリートの闇市場と違って至極普通のモノばかりが並べられている。衣服、装飾品、靴、日用品。全てが人間の生活を支えるのに必要なモノであり、その性能は2000年代にはあと一歩及ばない。〈オーブン電子レンジ〉やら〈エアコン〉なんて代物はコーラルの雑貨屋でしかお目にかかれまい。
「お昼何食べようか」
ヘルクが屋台を見回して言った。その背中では機材が詰め込まれたリュックがガチャガチャと音を立てている。相反して私のリュックは軽く、膨れた財布が1つ入っているだけ。中身は全てコーラルの店で現金に錬成された。しめて3029ネロ。これが全て私の懐に入ってくれれば嬉しいのだが、心優しきエルドレッドの手で貧困層の住民に均等に分配される。
いくばくか気分が落ち込んだ私はぞんざいに返した。
「何食っても変わらんでしょう」
「変わるよ! ……味が」
「味なんてどうでもいいです」
「まったく、お金以外にも興味を持たないとだめだろ!」
説教めいた言葉とともに、ヘルクは私の手を引いて〈本格的! 牛肉味! 太るほど美味いフルフル!〉と安っぽいセリフの書かれた甲板の屋台に向かった。店主は店頭で笑顔を振り撒き、声溌剌と呼び込みをしている。まるで骸骨のような身体をプルプルと震わせて。
「何が太るほど美味いだ! 詐欺も大概にしろ!」
「い、いやほら、彼は肉派じゃないのかも。それかもともと太りにくい体質とか」
憤慨する私を宥めながら、ヘルクは「あ! あそこなんか美味しそうじゃない!? 初めて見る屋台だよ?」と慌てて別の店を指した。〈モアランド州至宝の一品・フルフルオムレツ味店〉。店主は若い男性だ。その店主から嬉しそうに商品を受け取った年端もいかない少女は、早速一口頬張った。
「お、美味しいね」
少女は必死に作り笑いを浮かべ、お世辞を述べた。
「……ありがとう、小さなレディ」
店主は腕で顔を隠し泣いた。
「……」
「……」
私もヘルクも、2人の心暖かな劇場──というよりも少女に慰められる哀れな男を無言で見つめた。
先に痺れを切らしたのはヘルクだ。
「やっぱりサーシャさんのところに行こっか……」
「そうですね」
私が異を唱えることなどなく、結局いつもの店に行くことになった。
モアランド州サウスウェストシティ8番街。ウィルソン州で工業施設が2番目に多く、建ち並ぶ工場の煙突から噴き出す黒煙で青空は澱んでいる。石炭臭く日当たりも抜群に悪いが、ここからサーシャ・アベニューを南下すると私が所属するサルベージ船〈シー・ガル号〉の港がある。そして港に繋がる道はここしかない。
私たちはサーシャ・アベニューの途中にあるカフェの扉を開いた。15坪程度の店内はモダン調の家具で揃えられており、壁には色とりどりのタペストリーや絵画、そしてたくさんの写真が飾られていた。店主の趣味だ。
ちょうど昼飯時ということもあり、それなりの人数がコーヒーや食事に舌鼓を打っていた。窓際のテーブル席では若いカップルが談笑している。窓の向こうの景色が灰色の工場であることが残念で仕方ない。
「いらっしゃい! 空いてる席に座ってね」
絹糸のようなブロンドを揺らして壮年の女性が私たちに声をかけた。彼女はサーシャ・リベラシオン。私たちがいるカフェ〈波止場〉の店長であり、サーシャ・アベニューの所有者でもある。マリンブルーの瞳と竹を割ったような性格が魅力的な、モアランド州でも数少ない有権者だ。
私とヘルクはカウンター席の右から2つを陣取る。右から私、ヘルク。いつもの定位置だ。
「2人ともいらっしゃーい! ……っゔわぁ!」
そしてウェイトレスが何もない場所で躓きトレーを空中に放り出して、コップに入った水を私たちに浴びせてくるのも、いつものことである。
パシャリと冷たい水が私たち──いや私にかかる。私の背後ではゴツンッといい音が鳴った。あれは額からイッた音だ。
「……」
「え、あ……、2人とも、大丈夫かい?」
「……」
「おーい……」
「殺します」
「待って落ち着いて正気を保って!」
「今日こそ殺します!」
「いつものこと、いつものことだからぁぁぁ!」
殺気を放ち席を立とうとする私を、ヘルクが懸命に阻止しする。その足元で顔面から床にコンニチワをかましたのは、この店に住み込みで勤務してもう4年になるパセリ・プセマだ。ウェーブがかかったビリジアンの髪を後頭部で結い上げており、尻尾の根本にはヒマワリの造花がデカデカと咲いている。しかし今は花びらが萎れて見えた。
「うゔぁぁぁん! ごめんなざぃ! パセリまたエルちゃんに水かけて寒い思いさせちゃったぁぁぁ! うわぁぁああん!!」
パセリは内股に座り込み、その場でわんさか泣いた。その声の大きさは130デシベルを軽く超えている。耳が痛い、難聴になるまでのカウントが見える。ここはエンジン工場か?
私はため息を吐くと、椅子を回転させて彼女の方を向いた。
「うるさいですね今すぐ泣き止まないと〈シ・ーガル号〉に連行してカリフォルニア湾に放流しますよ」
パセリはピタリと泣き止んだ。脳内がお花畑の彼女も、さすがに
(ようやく静かになったか)
ああ、ポタポタと前髪から滴る水が鬱陶しい。私は目を閉じて痛む米神を右手の指でグリグリと揉んだ。その手を温かなモノが包み込む。不審に思って目を開ければ、パセリが飴色の瞳を輝かせて、私の右手を両手でギュッと包み込んでいた。
「カリフォルニア湾! パセリ行ったことないの! きっと素敵なところだわ、見たこともないモノがたくさんあるに違いないわ! ねぇ連れてってパセリを連れてってお願い!」
そうだった、この鈍臭い少女はこういうヤツだった。冷や汗を流すヘルクの横で私は天井を仰ぐ。シミを数えた。1、2、3……ふぅ、落ち着いた。大きく深呼吸をしてから、空いていた左手でカウンターに立てかけられたメニューを掴んだ。
「アンタはウェイトレスだろうが!! グズグズしてないでさっさとオーダーを取りやがれ!!!!」
メニューでパセリの右頬を全力で叩く。スパァンッと良い音が鳴った後、パセリはまた130デシベルを放った。
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