EP1・山岳の街 2

 2



に取り憑かれてるわ」


 真珠に耳を傾け続ける男に、コーラルは困ったように呟いた。


「USに汚染された物質と長く接触していたみたいですね」

「まさか! 初めて見るお客さんよ?」

「ほら、右耳よく見てください」


 私が促せばコーラルも男の右耳に視線をやった。


「あのピアスも、ですよ」


 右耳で真珠の声を聞く男。その耳たぶではもう一粒、純白の真珠が輝いていた。コーラルは「あらら」と呟き、呆れたように肩をすくめた。


「この国でサルベージ品を扱ってるのは私のところだけだったと思うけど……いったいどこの店で買ったのかしら」

「さあ。海辺に侵入して拾ったのかも」

「……はぁ。サーシャのお得意様だったんだわ」


 私は腕を組んで男を見つめた。


「しばらくはトリップしたまま戻ってこないでしょうし、この状態で店から追い出せば巡回中の警察にバレて足がつく可能性があります」

「言われなくても鎮まるまで隠しておくわ」


 コーラルはやれやれと首を振り、譫言を呟く男を店の奥へと押しやっていった。

 そう。これこそがサルベージ計画に引っ付いてきた思わぬ事態である。

 放射能を吸収し、進化し、知能までも獲得したUSたちは、人類には解析不能なを発するようになった。中央研究所の職員らが研究を積み重ねた結果USの波長は人体に有毒であり、また遺物に蓄積し汚染することが発覚した。波長に汚染された人物は遺物に終着するようになり、最期には海に身を投げるのだ。この一連の現象を『に取り憑かれている』と研究員の1人が発言し、瞬く間に世に広がった。

 遺物の種類によって汚染度合いは変わる。高性能なものであればあるほど汚染され、逆に低性能であれば汚染されることはほぼない。例えばコーラルがリサイクルしようとした〈スマホ〉は高性能で、私が今朝ぶっ壊した目覚まし時計は低性能。不可思議なことに海産物は例外なく全て汚染物質である。

 悲しいかな。サルベージ船乗組員がUSに接触する危険を冒してまで引き上げた文明の大半は、汚染物質として処分行きとなった。また海岸線から内陸1キロメートルまでは一般人立入禁止区域に指定される。サルベージ計画自体は結果的に良好であり、文明は1500年代から1900年前期まで戻ったが、そこから進む気配は今のところない。


 コーラルと入れ替わるように、ヘルクが機材一式を詰め込んだリュックを引きずって出てきた。汚れをしっかり落と新しいツナギに着替えており、左袖上腕部には〈シー・ガル号〉のエンブレムが刺繍された腕章を付けている。彼の胸元には、コーラルと同じシルバーのロザリオがぶら下がっていた。

 汚れさえ落とせば世界に通用する美貌だな。私は彼の容姿に改めて感心する。ヘルクはリュックを背負うと私の隣に立った。心なしか黄金比率の表情は暗く見える。


「海の亡霊に取り憑かれちゃった人、最近増えたよね」


 私は椅子から降りた。


「朝刊ではモアランド州だけでついに300人を超えたと書いてありました。今朝、警備隊の目を掻い潜って海岸に侵入したのは8人、生還者0だそうです」

「約3600人の中からもう300人か……。イルネティア全体だともっといそうだね」

「そうですね」


 モアランド州だけで300人超え。大衆向けの情報は可愛らしい数字に留めているが、現実はそんな生易しくはない。実際のところ人口の半数以上が海の亡霊に取り憑かれているはずだ。先程の客のように警備隊にバレていないだけで。

 海の亡霊に取り憑かれたからといって、すぐに理性を失うわけではないのだから。


「きっとこの店で買い物をした人も混じっているんだろうなぁ」

「遺物だけが汚染物質ではありません。潮風も汚染されている。ただ息をしているだけで、私たちは海の亡霊に取り憑かれるリスクがある」

「ははっ、」


 ヘルクは乾いた声で笑った。


「生き残った人類が滅亡するのも時間の問題なのかもね」


 物憂げに目を細める彼を、私はただ見つめ返すだけだ。


 人類は緩やかに、しかし確実に海の亡霊に侵食されている。やがて人類は全て海の底に沈み、陸地が静けさに支配される日がくるだろう。

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