EP1・山岳の街 1

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 私が住むモアランドは面積217平方キロメートル、人口3600人、アメリカ改め新立イルネティア合衆国の南部に位置する小さな州である。9つの街から構成されており、特にサウスシティ6号ストリートは、闇市場の開催場所でもある。

 闇市は朝からとても賑やかだ。ゲテモノ麻薬イワクツキの商品まで、ありとあらゆるものが客の心を掻き立てている。


「エルピス、今日は一段と気合入ってるねぇ!」

「おはようございますコーラルさん。私はいつも通りです」


 真っ黒なタートルネックのノースリーブ、両脚の側面にポケットが2つずつ付いた作業ズボン、撥水性抜群のハイカットブーツ、左の上腕部に〈シー・ガル号〉のエンブレムがついたブカブカのウィンドブレーカー。腰には草臥くたびれた茶色のウエストポーチを携えている。そんなオシャレとは程遠い姿の私に軽快に声を投げてきたのは、雑貨屋を営んでいる豊満な躯体の女性、コーラル・アークだ。レディッシュの髪をなびかせてる彼女の胸元で、シルバーのロザリオが揺れている。

 私は挨拶もそこそこに店に入る。コーラルの店のテントの中には怪しげな先客がいた。黒い帽子に黒い服、黒い靴、黒いマントを羽織った全身黒色コーディネートの男だ。右耳につけている純白の丸いピアスが、男の格好とひどく不釣り合いだった。彼は商品に穴が開くんじゃないかというほど見つめて検分している。

 闇市にある雑貨屋が普通の雑貨屋であるわけなどなく。ここでは私たち〈シー・ガル号〉がサルベージし、シエラネバダ州中央研究所に献上し、中央研究所の所長サマが『新世紀の人類にとって不必要』と処分するように命じたヤバいモノを売っていた。

 何故そんな重要機密に該当するモノがコーラルの雑貨屋に転がっているのかと問われれば、こう答えるしかあるまい。エルドレッド率いる〈シー・ガル号〉乗組員が横流ししているからだ、と。


「たくさん持ってきましたよ。どれも普通のルートじゃお目にかかれないモノです」


 ニヤリと笑い店内に入り背中で存在感を放つ大きなリュックを下ろす。ドスンと重量感満載の音が鳴った。コーラルはリュックの中身を想像してヘーゼルの瞳を輝かせた。


「早速中を見ても?」


 私が「どうぞ」と答える前にコーラルはリュックを漁り始めた。もともと彼女に売りつけるために持ってきたモノだが、せめて了承くらいはちゃんと得てほしい。


「あら、コレは何かしら? 複雑なスイッチがたくさんついているわねぇ。あらあら! コレは大ばば様が日記に記していた〈スマホ〉ってモノだわ! たしか耐水性だったはずだから、充電器さえなんとかできれば──」


 コーラルは品漁りに夢中だ。今、彼女の世界にあるのは、旧世紀の残骸とそれらをリサイクルするためのツテ。ただそれだけ。いつ現世に帰ってくるかは不明。

 私は端っこの方に置かれていた丸椅子に腰掛けて店内を見渡した。テントの壁沿いに並べられた棚には、文明の遺物がたくさん並べられている。どれを見ても、今私たちが使っているモノより遥かに高度で複雑怪奇なモノばかり。旧世紀の人類はこれらを日常的に使用していたらしい。私には1つたりともまともに扱えそうにないが。


「また母さんが熱中しちゃってる……。エルピス、いつも待たせてごめんよ」

「ヘルク」


 テントの奥に置かれた棚の後ろから少年が現れて私に謝罪した。緩くウェーブがかかったプラチナブロンドの髪、突き通った肌と鼻筋、私を見つめる瞳はまるで本物の翡翠のようだ。コーラルとは類似点が一切ない少年だが、彼──ヘルケイン・R・アークは正真正銘コーラルの息子である。


「気にしないでください。むしろあの姿見ていると、ヤバいモノを卸していることを再確認できて、興奮してきます」

「危機感どこに捨てちゃったのさ……」


 私はガックリと肩を落とすヘルクに「海に捨ててきました」と返してから、改めて彼の整った容姿にフウ、と息を吐いた。感嘆ではない。素材の無駄遣いを嘆いているのだ。先ほどまで機械のメンテナンスでもしていたのか、軍手をはめていた手はもちろん、ツナギ、革靴、ゴーグル、そして黄金比率のご尊顔やプラチナブロンドまでオイルや煤で黒ずんでいる。ヘルクは「機械が大好きなんだ!」と喜んで真っ黒に汚れに行くが、周囲の若い女性たちは「そんな仕事はやめて!」と血涙を流す。

 はっきり宣言しよう。宝の持ち腐れである。


「ああ、そうだ」


 品卸し以外にも用事があったことを思い出しに声をかけた。


を修理してもらってもいいですか?」

「まさか、また壊されちゃったの?」


 不安そうに小首を傾げる仕草はまるで天使のようだ。薄汚れてさえいなければ、だが。


「そのまさかです。USアンダーストリングスが船底に突進してきましてね。アレは多分、前回と同じくイルカモドキでしょう」

「やっぱり! イルカモドキには聴覚がないから音叉が効かないんだよなぁ……」


 ヘルクは落ち込んだ顔をすると、汚れた軍手を嵌めたまま後頭部をグシャグシャとかいた。おいおい、さらに髪が汚れるぞ。


「乗組員のみんなは無事だった?」

「もちろん。船長が水中閃光弾数発おみまいして追っ払ってくれました」


 これ以上プラチナブロンドが汚れるのを防ぐべく、私は椅子の上にあぐらをかいて右手でピースサインを作った。乗組員の安否が確認できて落ち着いたのか、ヘルクは「道具用意してくるからちょっと待っててね! あと顔と身体拭いてくる」と、また棚の裏に戻っていった。

 手持ち無沙汰になったなあ。そう感じた私は枝毛を数えて暇潰しをすることにした。毛束を掴んで注意深く観察する。手入れとは無縁の艶のない毛先は、箒のように何本に裂けていた。この細い髪のどこにそんな容量があったのやら。

 人体の神秘に感動する私の前を全身黒色コーディネートの客が横切る。彼は至ってスマートに、コーラルに声をかけた。


「マダム、こちらを頂いてもよろしいかな」

「──え、あ、あっ! ええもちろんよ。お会計ね」


 コーラルは男から商品を受け取った。


「コレの値段は……2080ネロよ」

「ふむ、妥当だな」


 男は上着のポケットからコレまた真っ黒な財布を出し、札束をコーラルの手に乗せる。しかしまあ2080ネロとは。3ネロで1食分だぞ(※1ネロ=約200円)。約7ヶ月分に相当する食費を払ってまで何を買ったのやら。


「まあ想像はつきますが」


 札束を受け取ったコーラルは改めて商品を男に渡した。真っ白に輝く球体──真珠だ。男は真珠を手のひらの上で転がし、そのまま右の耳元へと持っていった。


「言語を話すUSがいると、最近噂になっているんだ」


 恍惚とした表情で目を瞑る男の言葉に、コーラルは律儀に返事をする。


「まさかぁ。知能があるとは聞き及んでましたが、USは元が海洋生物ですよ? いくら進化したとはいえ口腔構造が人間とは根本的に違いますから。発語は無理でしょう」

「いいや事実だ。それに私は小さい頃彼らと言葉を交わしたんだ。親も友人も、寝惚けていたんだとまともに取り合ってくれはしなかったがね。ああ……そういえば私の幼馴染ともう1人だけ信じてくれた者がいたか。とにかく、あれは間違いなく現実だった。そうさ、夢などではない、アレは現実だ!」


 返答に困っているコーラルの前で、男は「ああ……彼らの声が聞こえるよ」と真珠に耳を傾けていた。私はその姿を見て、またか、とため息を吐いた。


 大厄災以後、海抜は約1800メートル上昇し、人類は生活圏を失った。しかし生き残った人類は実に強かであった。己らを導くのに相応わしい統率者を選び出し、培っていた知識や技術を活用して標高1800メートル以上の山岳地帯を切り拓き、再び生活圏を確保したのだ。それが大厄災から108年後で今から238年前のこと。新世紀元年の始まりでもある。

 だが残念なことに大厄災の爪痕は大きく、文明は1600年前まで退行していた。そこで提案されたのがサルベージ計画だった。簡単に説明すると、海底に沈んだ遺物を引き上げて新世紀の文明の発展に役立てよう、という計画らしい。人類はこの計画に両手を上げて大喜びをし、新しく着任した大統領もサルベージ計画の書類に承認の判子を惜しみなく押した。

 そうして設立されたのがシエラネバダ州中央研究所だ。ホイットニー山頂を拠点とし、海からサルベージされた遺物を研究している。

 しかし、サルベージ隊に引き揚げられた遺物は、思わぬ副産物を連れてきた。

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