第11話 戻せない現実は、か弱き弱者を追い立てる

「……どうして?」

 白いカーテンレースに囲まれたベッドに寝ている私は、事態が飲み込めずにいた。

「無謀にも俺に喧嘩を売って返り討ち。保健室コースだ。だいたいそんなガリガリな奴に負けるかよ。くそっ」

 ベッド脇のパイプ椅子に座っている埃で汚れた制服を着た、顔に絆創膏を張った女子が、私に何かを言っていた。

「保健室? なんで?」

 自体が飲み込めない。尋ねる私に彼女は苛立つようにこちらを見て、「俺が知りてえよ!」と怒鳴ってきた。

「こら。舞」

 しゃあっと音を立ててカーテンレースが開き、長身の美女が舞……そうだ、喧嘩相手の日村さんと、確か一緒に住んでるって噂の……。

「つ、塚本さん?」

 まさかの人物が私の名前を呼んで笑顔を送ってきた。

「うん。目が覚めた? この指何本かわかる? あと家の舞が悪さしたみたいで、本当にごめん。けがは無い? ほら舞も謝って」

「うっせえ。保護者か!」

「半分保護者みたいなものでしょ。それとも私は周囲で噂されている、舞の飼い主って紹介したほうが良かった?」

「ちっ。飯作ってるからって偉そうにしてんなよ! 飯だけなら花の方が旨いから!」

「それ言う? 言っちゃう?」

 日村さんは喧嘩腰に立ち上がり、学校のマドンナ、プリンスともいえる塚本さんと信じられない会話をしている。その光景に私は「どうして……」と呟いていた。それが耳に入ったのか、日村さんが「あ?」と私の方を見てきた。

「私は……何もないのに。どうして貴女は、簡単に」

「知るかよ」

「私は!」

 鬱陶しそうに返事をする彼女の傲慢さに私はベッドから起き上がり、反論しようとした。だけど打撲をしたように体が痛み、上手く起き上がることが出来なかった。

「おっと、俺が殴ったんだ。しばらく痛みは残るぜ」

「勝ち誇らない。ほら謝る」

「お、おい! 頭抑えんな!」

 まるで不出来な妹のしりぬぐいをするように、塚本さんは日村さんの後頭部を手で抑え、半ば無理やりに私へ謝罪させていた。

「そもそもこいつからだから! 正当防衛成立してるから!」

「病人相手にやりすぎ」

 日村さんの弁解に塚本さんは一切譲歩していない。そして私の方を見て、「怪我はない?」と心配してくれる。その表情はクラスメートがたまに妄想している、心配してくれる塚本さんだった。

「だ、だいじょうぶ……です」

 2次元もしくは2.5次元専門だったはずの私が、なぜか彼女に見つめられるのは恥ずかしかった。

「花ちゃんも心配してたからさ、大事なくて本当に良かった」

「あー、花のやつ怒ってるだろうなあ」

 やっぱり友達なんだ。この二人は……。

「それより喉乾かない?これ飲める?」

 塚本さんはそう言うと、常温の紙パックのスポドリを私に渡してきた。

「い、いらない……」

 私が断ると彼女は「そっか。じゃああとで喉が渇いた時にでも飲んでね」と言って、

「意識も戻ったみたいだし、保健室の先生を呼んでくるね」と日村さんの手を握って保健室から去った。

「手を掴むな!」

「握ってるの。舞は暴れん坊だから」

 嵐が去った様に静かになった保健室にはしばらくして、年配の懐が広そうな笑顔を絶やさない保健室の癒しともいえる養護教諭の先生がやってきた。

「あ、あの……」

 教室に戻ろうとした私に対し、先生は「次の授業から戻ればいいわ。痛みはどう?」とだけ言い、私に対し過度に干渉しようとはしなかった。

 少しして痛みにも慣れた私はベッドで上体だけ起こして、先ほど塚本さんが置いていったジュースを見ていた。その姿を見て何か思ったのか先生は「食欲はある?」と私に問いかけてきたので、私は首を横に振った。

「あまり……」

「そう。まあ若いうちは多少の無理は効くし、いい経験になるといいわね。起き上がれるなら、こっちに来ない?」

 先生はまるで親戚のおばさんのような優しいほほえみで、事務作業用の机の傍に先ほどまで日村さんが座っていたパイプ椅子を配置し、私と会話をしたがっていた。傍によると、個包された一口サイズの和菓子アソートを私に見せ、「食べる?」と問いかけてきた。

「いえ……食欲無いので」

「そう。まあ食べたい時に食べるといいわ」

 マグカップに淹れてくれた暖かい緑茶のぬくもりだけを手で感じている私に、先生はミニどら焼きやミニ羊羹を差し出してきた。私はそれを机の上に置いたまま、ここに来るまでの記憶を思い出そうとした。だが思い出せるのは、一方的に私が悪かったような記憶。でも、その原因はあの子だ。おそらく学校で一番幸運で幸せを享受しているのに気が付かずに、手を引かれて保健室を出ていったあの子。

「今日は早退します」

 私がそう言うと保健室の先生は「じゃあ鞄を貰ってくるわね」と言い保健室から出ようとした。だけど私は首を横に振り、「大丈夫」と手帳型のスマホを見せた。手帳型ケースのカードケース部分には家までの定期が入っている。鞄にお弁当も入っていないし、一日学校におきっぱなしで困るものは入っていない。そう伝えると、先生は苦笑して分かった。と私の意志を尊重してくれた。だけどその意思を簡単に揺らぐ存在が、申し訳なさそうにはかなげな声で「失礼します」と礼儀正しく部屋に入ってきた。一番会いたくない人物だ。彼女は遠慮がちに、先生に声をかけた。

「先生……」

「はいはい。終わったら呼んでね」

「先生!」

 ここにいて欲しい私の願いはむなしく、望んでもいない二人きりの空間が出来てしまった。

「あ、う……」

 言葉が出ない。まだミートボールが詰まっているのだろうか。そんなはずはない。アレはもう吐き出した。なのに窒息するように私は声が出ない。助けを求めようにも、先生はいない。いるのは何を考えているのかわからない、大好きな、先ほど心配してくれた学園一の麗人よりも憧れた、傍にいたかった、相手だ。

「え……」

 何度やってもうまくしゃべれない。そんな私に、彼女は深々と頭を下げた。

「私のせいで、怪我までさせました。ごめんなさい」

 違う! そう言いたかったが、混乱した私はただただ彼女の言葉を耳に通す事しか出来なかった。

「舞が、宝華が、迷惑をかけました。でも、全部私が悪いの。私が、私が彼女たちを拒んでいるから。」

 私はこの後彼女が言っていることが、何のことか全く理解が出来なかった。ただ理解できたのは、やはり彼女と私は住む世界が違うという事だった。

「だから、もうこういうことをさせないように舞にはキツク言っておくし、治療費が必要ならいくらでも払うから、大友さんには迷惑かもしれないけど、この秘密をばらされても仕方ないけど、私と彼女たちの関係性は黙っててほしいの」

 お願いします。そう言って深々と頭を下げる彼女に対し、「わかった。だから顔をあげて」そう言えたらどんなにかっこよく、理想的な自分でいられただろうか。

「い、嫌だって言ったら?」

 この時の私は、彼女の願いに素直に同意は出来なかった。だって、やっと、やっと彼女が私を見てくれたから。

「そっか」

 彼女もわかっていたかのように、私の反応に特に驚くような反応を見せることは無かった。

 だから私は、いくら侮蔑されようが、蔑まれようが、彼女が放った蜘蛛の糸にすがるように、脅迫をするように、畜生のように、

「な、なんで私が言う事を聞かなきゃいけないの?」

 と強気に、いまにも破裂しそうなほどに信じられないくらい脈打つ心臓の鼓動を隠しながら、必死に優位性を保ったふりをしながら、

「わ、私たち親友だよね?」

 と彼女に確認をした。

 冷静になった今でも、どうしてこのタイミングで口からこぼれたのだろう。そう思わずにはいられない。だって、今こんなことを言ってしまったら、彼女が何と言うかなんて目に見えているから。

「そうだね。私たち親友だよ。大友あずささん」

 一切動じずに言葉を紡ぐ彼女の姿に、私は得も言われぬ快感を覚えてしまい、彼女を抱きしめた。だってそうだろう。塚本さんや、日村さんが手に入れられなかった彼女を、私は手に入れることが出来たのだから。そう信じたからこそ私は無意識のうちに彼女の背中に回した手に力を入れ、彼女と唇を重ねていた。

 人の唇はこんなに柔らかいのか。私はついばむように、彼女の唇と自分の乾いた唇を数度重ねた。

「これで、満足?」

 耳元で囁かれるよな小さな声に私はハッとなり、彼女の体を離した。

「ち、違うの。こ、これは」

「大丈夫」

 弁明しようとする私に対し、彼女はただ何もなかったかのように、視線を隠すような長い前髪を整えながら、

「大友梓さん、お願いします。親友として、私の秘密を誰にもばらさないでください。もちろんタダとは言いませんから」

 とだけ言い残し、保健室を去ろうとした。だけど私は喧嘩の時以上に体から力を振り絞り、彼女の枝の様に細い腕をつかんだ。

「キスだけじゃ、たりませんか」

「ち、違うの。わ、私は……こんな関係に、なりたかった、わけじゃ、ないの」

 やるだけやって許されるのはゲームの中だけ。そんなこともわかっていなかった私は、傷物にしたくせに自分の傷をなめてもらうために、彼女に対して懺悔をした。

 どんなことを言ったかは覚えていない。だけど彼女は私を拒まなかった。そして仲間にいれてくれたのだった。そのヒミツの花園に。アニメの世界のような豊潤で、芳しい世界に。

 それは本心か、それとも口止めをするためか、私にはわからない。

 塚本さん曰く、私が住むようになってから定期的に花さんも家に来るようになったらしい。それがどういう理由かは知りたい自分がいる。でも知っちゃいけないような気がする。

 日村さんとは一緒に暮らすことで、たまに話すようにはなった。だけどいつも、私は彼女を怒らせてしまう。

 味覚が戻らないまま彼女たちと生活をともにし、夜には罪悪感でうなされる私を一番心配してくれた日村さん……。一生懸命様々な料理で私を元気づけようとする塚本さん。彼女の兄で、私が厄介になる際に、すべて団どってくれた塚本さんのお兄さん。そんな彼女たちを前に私が私を取り戻したのは、いみじくも甲斐甲斐しく接してくれた彼女たちではなく、夏休み前にやってきた、彼女のお陰だった。

 私とは似ても似つかない天使のような見た目で、それでいて私そっくりな悪魔のようなおぞましい心を持った転校生、水瀬ライラと出会ってからだった。

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