第9話 醜悪なドブネズミ
『私たちって親友になれそう』
この一言を言えたら、どれだけ楽だったのだろう。
怖い。怖い。怖い……言えない……。だって、この楽しい関係が無くなるのは嫌だから……。
一緒にお弁当を食べ、授業の愚痴や昨日見たアニメや本の話をする。そんな私の話を嫌な顔せず、むしろ興味をもって接してくれるこの恩人を、どうして対等に思えるのだろうか。
自分が嫌になる。だけど、この表情は読めずとも、私を特にいじるわけでもなく、蔑む様子も無いこの友人だけは、嫌になることは無い。けどどうしてだか、いつも距離を、壁を作ってしまう。
他の同級生とは中学生の頃に、部活動や学校行事後のクラス会の打ち上げで入ったプリクラで、『一生マブダチ』や『ズットモ』など書き込んでプリクラヲ撮ったりしたことがある。
そう。プリクラに誘おう。ふざけて、おどけたふりをして一緒に撮ってもらおう。だめだ。彼女はそういうのを一時的に拒みはしなくても、その後が怖い……。この関係を、崩したくない。
それが私の一方通行な思いで出来た、砂上の楼閣のような関係であっても、この城は壊しちゃダメなんだ。きっといつか、花さんだって私の想いに気づいてくれるはず。
だけどそんな私の思いは、しょせん一方通行だったことをこの後知ることになった。
一方通行の愛は、たくさん捧げてきた。
盆と正月ならぬ、盆と年越しは全力で愛を捧げ、様々な物資を調達してきた。汗にまみれ、滴る汗がシャツを濡らし、乾かせば塩が取れそうだと思うくらいの汗じみを作る戦場を、経験してきた。それは目に見える愛の形として、私の手元に残るから。
だからアニメは好きだ。本が好きだ。ゲームが好きだ。
私の愛を、余すところなく受け止めてくれるから。
だけど現実は違った。
花さんは、私と住む世界が違ったのだった。あの事件以後、花さんは否定するが、無理がある。
花さんがこの学校のプリンスともいうべき女生徒と小柄な不良少女に絡まれて、名物なヒステリック教師と大立ち回りをしたあの日以後、私とお弁当を食べる花さんの姿は無かった。クラスではあの話題で持ちきりだからだ。
私はかけた心を埋めるように、近くでグループになってお弁当を食べていた女子たちの席に混ざり、いつもと代らぬ見た目のお弁当をいつもより味気が無いような気持で食べていた。
「ねえねえ、聞いた?」
「あーあれでしょ? ジェンヌのお弁当」
「そう! 何入っているのかな」
「あの日村さんが食べている姿を見た子が言ってたけど、結構彩り鮮やからしいよ」
「さすがジェンヌ!」
「一度日村さんにお弁当交換しよう。って思い切って言ったらしいんだけどさー」
「どうなったの?」
「勿論その子は日村さんに、自分のお弁当のメインのおかずを試食してもらって、交換を申し込んだらしいんだけど、『宝華のお弁当の方が旨い』とだけ言って断られたらしいの」
「うっそー。超気になるんですけど」
「でねでね。がっくりとしたその子が日村さんを恨めしく見てると、本当に幸せそうにお弁当を食べてたらしいの。ほら、これが証拠」
ご飯を食べる手よりも、特ダネを掴んだマスコミの様に会話に全力投球している同級生が、私を含むお弁当グループに、スマホの画面を見せてくれた。それはまるで印籠を見せる従者の様に、自信満々な姿だった。その画面をちらりと見ると小柄な少女が頬を緩ませながら、アスパラのベーコン巻を食べているワンシーンだった。
「かわいい」
「美味しそう……」
口々に漏らす感想に、それはどっちが美味しそうなの?と突っ込みたくなる衝動を抑え、私は白米とともに塩じゃけを口にほおばっていた。
「これ見てると、あの不良的な立ち回りが嘘みたいだよね」
スマホを見せてきた女子は楽しそうに弁当を食べている少女、日浦舞の画像を数枚見せてくれた。
「でもこれって、ジェンヌに貢がせてるってこと? ちょっと許せないかも」
恥ずかしげもなく嫉妬心を漏らす別の女子生徒に、少しだけ心の中で同意しつつ、私は
「お弁当はいくらあっても足りないからねえ」
とボケてみた。すると不満を漏らしていた彼女は私をじとりと睨むも、スマホを取り出し「見てよ」と動画を見せてきた。
「これは、お弁当箱を洗ってる?」
動画内では調理室の洗い場で備え付けのスポンジや洗剤で食べ終えたばかりのお弁当箱を洗っている、日村さんの姿だった。だが私はその子よりも、見切れて黙々とお弁当を食べている花さんに目が行った。
「あ、あの」
ほかに動画は無いか聞こうとした矢先、「旦那じゃん! これもう旦那じゃん!」と駄々をこねるように動画を見せてくれた女子は怒り、「私だってジェンヌが作ったお弁当を食べてお弁当箱を洗って、いつもありがとう。って言いたい! ていうか言われたい! いや、ジェンヌにそんなことはさせたくないから、尽くしたい!」と目をバッテンにしたような表情で悔しがっている。
これは何か言うべきだろうか。いや、だけど、何を。そうタメラッテいると、周囲から彼女に対して拍手が沸いた。
「わかる」「マジ同意だわ」「ていうか全てお世話させてほしい」
途端に昼食会ならぬ、妄想会が始まってしまう我がクラスだったが、それを止める人たちは残念ながらこのクラスにはいなかった。
花さん……。
動画内では日村さんと会話をする様子どころか、まるでフードコートで食事をする人たちの様に、ただ同じ場所にいるだけといった雰囲気の花さんを、私は動画越しにしか見ることが出来なかった。
お弁当を持って「来ちゃった」などと言える勇気を持ち合わせていないから。そう思っていると、廊下が騒がしくなってきた。視線を移せば、マスコミに囲まれたように渦中の人物が歩いているのだ。
「宝華様! 私も義理姉妹に!」
「なぜあの子なのですの!?」
乙女ゲーや少女漫画でしか聞いたことの無いセリフを大声で叫ぶ女子達。それに対して笑顔を崩さず何か言っている様子の麗人、塚本宝華さんがクラスの前を通ったのだ。
奇異な視線を向けていたからだろうか、ふいに私と目があった気がした。周囲からは「今私を見てくれた!」「いや、私よ!」「私だってば!」などと叫び、口元をティッシュやナプキンで拭った弁当仲間があっという間に塚本さんの方へ走っていった。
そのためぽつんと一人飯になってしまったが、どこかほっとしている自分がいた。疲れるのだ。やっぱり、人付き合いは……。
「トイレ行こっと……」
私は誰に告げるでもなく独り言を漏らし、別の階のトイレへ向かった。できれば会えたら良いなあと思いながら、向かったトイレは調理室の近くのトイレだ。
女子高ゆえか、昼休みや早朝、放課後に部活動関係者以外でも使用可能な調理室の扉は開いており、もしかしたら花さんがいるのかな。と思いながらも確認する勇気がモテない私は、そのまま調理室手前にあるトイレの個室へ入った。窓際の、一番奥の個室。
共学だったら彼氏彼女で調理室は混んでいたのだろうか。もしそうだったら、人混みが嫌いそうな花さんは今も教室でお弁当を一緒に食べてくれていたのだろうか。そんな事を思っていると、女子トイレの扉が開く音がした。教員だろうか。
「なあ、お前っていっつもそうなの?」
「まあいいや。でも本当に宝華の飯って旨いな。お前が教えたんだろ?」
誰と話しているのだろう。個室内で目をつぶり、私は耳を澄ませて会話相手を調べようとした。一人は先ほどの動画で見た少女、日村舞だろう。だけどもう一人は?
「さっき味見させてもらった豚の角煮も何かスパイシーで美味しかったぜ。宝華といい勝負できるよ。花」
えっ……。
「ひ、人前でその名前を出さないで!」
「大丈夫だって。どこの教室とも離れているトイレなんて、私たちくらいしか使ってねえよ」
「それでも」
「あー、勿体ねえよなあ。宝華とお前がいれば、もっと旨いモノにありつけるのに。なあ花。一緒に暮らそうぜ」
「だ、抱きつかないで」
「いーやーだ。作ってくれるまで離さない」
「じゃ、じゃあレシピ教えるから。宝華に作ってもらって。ね?」
「うーん、でもなあ。宝華ってあんまり脂身ある肉使ってくれないんだよ。あ、そうだ今度家に来いって。秋介だって喜ぶだろ?」
件の麗人を親し気に呼ぶ二人の会話。それは薄い扉一枚離れた先から聞こえる会話とは到底思えないほど、遠く、でも身分の違いを思い知らさせるように明快に私の耳に入ってきた。思わず耳を塞ぎたくなる会話だった。だってそうだろう。私が憧れていた会話を、いとも簡単に達成させる存在がいたから。
「まあ考えといてくれよ。宝華もだけど、俺も歓迎だから」
日浦さんの声だけが聞こえ、トイレから遠ざかる足音が聞こえた。そして鼻歌交じりに入り口近くの個室へ入る音が聞こえてきた。私はまるで路傍の石のように気配を消し、彼女がトイレから出るのをじっと待った。ほどなくして個室から出た音や、手を洗う音。トイレから去る音が聞こえ、私はやっとこの場所から出ることが出来た。
「バカみたい……」
鏡と会話をするように、私はトイレの洗面台に備え付けられている鏡に映る自分の姿を見てつぶやいた。
「角煮……どんな味なんだろう」
大好物の一つである料理名をぼやきつつも、今の私の喉は何者も拒むように、蓋をしているような閉塞感があった。その日私は初めて、食べたものを吐き出した。
空っぽの胃袋や口がすっぱく感じてしまう不快感……。のどが痛い……。だけどそれ以上に、鏡に映る醜悪な姿が私を……。
「ドブネズミみたい……」
ぶくぶく太った、地を這う薄暗い世界がお似合いの醜い存在。
それが今の私だと思い知らされた。
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