第2話 1人目 塚本宝華 ヅカジェンヌのありきたりな非日常
私の名前は塚本宝華(つかもとほうか)。高校一年生。
今はお昼休みを告げるチャイムが鳴り、授業も終わったその時、私はいつものように自販機にお気に入りのパックの紅茶を買いに廊下を歩いていた。この時間学食や購買はごった返すものの、自販機は割と空いている。だからこそ先に自販機へ向かうこの生活にも慣れてきた夏。
「塚本センパイ! これ食べてください!」
後ろから聞こえた声に振り返ると、人は違えどいつもの光景が目に入った。新入生だろうか。先輩って……。
確かに人並み以上に身長もあるし、さんざんあどけなさとは無縁なこの顔や声は大人びていると言われていたことだが、これだけ目立つんだ。いい加減その呼び名は止めて欲しい。
顔を赤く染めながらもおそらく初対面であろう私に対して、同級生であろう小柄な女子が両手を震わせながら、可愛らしい花柄の巾着をこちらに差し出してきた。
「あ、ありがとう」
まだ受け取ってはいないものの、私はその女子生徒の気持ちに対して礼を言った。するとそれを聞いた少女が顔をぱあっと明るくさせて嬉しそうに笑みを浮かべていた。まだ受け取るって言ってないんだけど……。
「うれしいんだけど」
私が断ろうとした矢先、私の言葉を遮るように近くの教室の扉が開き、「ちょっと! ジェンヌへの勝手なプレゼントはルール違反よ!」や、「図々しい子! 何年? どこのクラス?」など弁当を手に持っている女子に対し非難の声や視線が向けられていた。
「あ、でも、私」
怯えながら周囲に対して弁明をしようとする女子を囲む学年様々な女子たち。
失礼ながらもこの罵声で弁当と共に引いてもらえないかなあと淡い希望を胸に抱いていると、あろうことか彼女は無理やりに近い形で私に、おそらくお弁当の入った巾着を押し付けて「どうしても食べて欲しくて!」とだけ言い残し、走り去っていってしまった。
このパターンは久々だ。そう思って少しだけ突っ立っていたからだろうか、おせっかいを焼くように中学時代に同じバスケ部だった同級生の小林さんが、ため息交じりに私の前に立って、その巾着をひょいっと取り上げていく。その姿に周囲から喝さいや処罰内容が聞こえてくる。
「ゴミ箱よ!」
「いや、中身を確認してからよ!」
「模倣犯を防ぐために緊急会議よ!」
など好き勝手な言葉がいつものように聞こえてきて、異常なはずの世界で日常を感じさせてくる。なれって怖いなあ。
「困ったものね。我が高校のヅカジェンヌ、いや、塚本さんも大変ね。まったく……下級生ってば勢いで乗り切ろうなんて、甘い甘い」
「いや、同学年でしょ。私たち一年生だし」
「いいえ。貴女との付き合いという意味で、彼女は下級生って言っているの」
慣れた手つきで弁当を回収し、とんでも理論を語る小林さんは私に、「何も言わないで良いわ。それより、もう部活動はやらないの?」と話しかけてきた。
「あー、うん」
自身の右ひざに視線を移して言葉を詰まらせる私に対し、彼女は追及を止めて「そう。でもたまには部活動見学にでも来てよ。みんな喜ぶから」と勧誘めいた誘い文句を言ってくる。
「ダメよ! 今日はバレー部!」
「いや、吹奏楽部で私たちの!」
小林さんに対抗するように口々に各教室から私の予定を決めようとする声が聞こえてくる。それが徐々にエスカレートしていき、終いには「私と放課後デート」や「お姉さまは私と今日はここへ行くの!」など知らない予定を口々にする声が聞こえてくる。そんな彼女たちの手には、先ほど小林さんが回収した弁当箱の入った巾着ようなものや、私が自販機で買おうとしていた紙パックの紅茶を数本持っている者もいる。売り切れていたらヤダなあ。
「あ、うん。ごめんね。みんな」
昼休みが無くなるからもう行くね。そう言えたらどれだけ楽か。唯一幸運なのは、私が黙るとみんな騒ぐが、私が口を開くと皆目くばせなしに静まり返るのだ。それはある種、カルト宗教の教祖になった気分だった。私は咳ばらいをしつつ、冷静を保ったふりをするためにゆっくり、聞こえやすいように少し声音を下げて、響くように口を開いた。
「いつもありがとう。みんな。でももう部活動もやっていないから、食事制限をしてるんだ。だからみんなの想いには応えられないの。ごめんね。さっきお弁当をくれた女の子も、」
「相川です!」
弁当を渡してきた女子が去っていったはずの廊下の曲がり角から響く名乗り声に対し、
「相川さん、悪いけどお弁当は受け取れないんだ。でも君の気持ちは受け取ったよ。ありがとう。ごめんね」と名指しで謝罪を告げ、背後や周囲に立っている同級生や下級生、果ては先輩たちへの詫びる気持ちで彼女たちを見渡し、少しだけ頭を下げて廊下を去る。後ろから聞こえるひそひそ話や声を一切耳に入れないように、でも敵を作らないように私は彼女たちの方へ一瞬振り返り、気にしてないよと告げるために微笑みを返して、自販機へ向かった。
けっしてお姉さま。や、いつか姉妹の契りを。なんて変な声は聞こえない聞こえない。
自販機の前に立つと、また先ほどとは別の女子生徒が差し入れをするように私にパックジュースを手渡そうとしてきたので、似た様な問答があったのは言うまでもない。
やっとジュースを買えた私は、昼休みや放課後のみ開放されている屋上で、天然芝の地面にハンカチを一枚敷いて、座りながら紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいた。
また買えなかったなあ。
お気に入りの紅茶はやはり売り切れていた。そりゃそうだろう。自販機までの道のりでそれを手にしている女子を多数見かけたのだ。
小さなため息を吐くたびに、周囲から木漏れ日のような囁く会話が聞こえてくる。屋上に来ると、私に会話をしてくる女子たちはいない。ただ遠巻きに私を見ている女子が増えるだけだ。
まるで動物園だな。私が動物。パンダ? キリン? ライオン? それともゴリラ?
適当に人気がありそうな動物を頭に思い浮かべ、私は自分が動物になった姿を想像し、苦笑してしまった。すると周囲から黄色い歓声が飛んできた。思わず驚きそちらの方へ振り向くと、彼女たちは視線をそらし、まるで何事もなかったかのように友達同士で弁当を食べては歓談に興じていた。
その姿は自分のあこがれた姿でもあり、ほんの少しだけ羨ましい気持ちになった。
たまには私も、お弁当食べようかなあ。
今は少し疎遠になった保育園の頃からの幼馴染と机を合わせてお弁当を食べる姿を想像する私。だけどそれは叶わないとすぐに現実に戻され、私は空になった紙パックを手に、立ち上がった。
「うわっ!」
立ち上がった拍子に屋上に一陣の風が駆け抜け、私は思わずスカートを手で抑えた。女子高であるがゆえに、見られて困ることは無いのだが、中学時代は共学だったころの癖だ。
スカートの中身は阻止できたもののの、その代償として先ほど尻に敷いていた自身のイニシャルが刺繍されたタオルハンカチが、風に乗って飛んで行ってしまった。
プレゼントされてて大事に使っていたのになあ。まあ長年使ってたからピクニックシート代わりにも使っていたんだけど。また今度兄さんに会ったら、新しいのねだろうかなあ。
高校入学祝を貰ってないことを口実にそんなことを思って私はちょっとだけショックな気持ちで教室へ戻った。
その後は普通に午後の授業を受けて、放課後だ。何も変わらない、日常。
帰宅部の私は放課後に特にやることは無いため、適当にスクールバッグに教科書などを詰めて校門へと向かう。いつものように靴箱に入れられた様々な手紙を整理し、鞄に詰める。そしてやっと自分の外履きが手に取れる。
シンプルなレザーのローファー。鏡面加工ほど磨いてはいないが、丁寧に手入れをした私のお気に入りの革靴。
それに履き替え、私は手紙片手に校門を後にする。するとまた背後から「よう。ジェンヌ」とひょうひょうとした声が聞こえてきた。振り返ると、青いジーパンに黒のポロシャツを着た無精ひげの顔見知りが、軽薄そうな笑みと共に私につかつかと近寄ってきた。その光景を前に、周囲から悲鳴が響いてくる。
「相変わらずだなあ。ちっとも変わらない。体も。対応も」
「どこの事を言っているか知らないけど、不審者で通報されても知らないよ」
わかりやすい声の主を相手に私は警告するように返答した。すると彼はくつくつと笑い、「怒るなよ」となれなれしく肩を組んできた。さらに
180センチ弱の私より、少し背の高いその男は、「ほれ。落とし物」とジーパンのポケットから取り出した、少し芝生の色が移ったハンカチを私に差し出してきた。
「ありがと。兄さん」
私はそれを受け取り、一応の礼を言って言葉をつづけた。
「でもどうせなら、新しいやつが良いな。そうだ。高校入学祝に買ってよ」
「おいおい、久々に会っていきなりねだり物かよ」
「良いから。車どこ?」
私は渋る兄の手を引き、足早にこの近くのコインパーキングへ向かった。学校から歩いて数十メートル先にあるコインパーキングに止められていたSUVを前に、あれでしょ?と兄に問いかける。
「よくわかるな」
兄はそう言ってポケットから取り出した車の鍵のボタンを押し、キーを解除した。私はその音を聞き助手席の扉を開けて乗車すると、兄は「で、どこが良いんだ?」と私に行き先を確認してきた。
「ファミレス。学校から遠い店」
私の即答ぶりに対し、兄はまるでお気に入りのお笑い番組を見るかのごとく、車内で大爆笑していた。
「悪い悪い。怒るなって。むくれると美人が台無しだぞ」
「ナルシスト。良いから早くしてよ。お腹減ってるの」
無精ひげや髪型さえ整えたら自分だって似た顔のはずの兄に私は苦言を呈し、発車を急かした。だってそうだろう。学校じゃご飯を食べられないのだ。
隣で運転する兄は私の顔を見て先ほどの大爆笑した際に出た涙目を軽くぬぐい、
「悪かったって。お姫様」と頭を撫でてきた。その手は大きく、自分とは異なるごつごつとした手だ。ほんの少しだけ小学生の頃を思い出し気持ちが緩むも、それと同時にぐうう、と車内に音が響いた。
「だっはっは!」
「秋にい!」
私の腹の虫を聞いてまた大爆笑する兄だったが、その仕返しに連れて行ってくれたハンバーグ屋で食べたいものを好きなだけ頼んで仕返ししてやることにした。
「めっちゃ食ったな。少しは遠慮しろよ」
「ご馳走様」
レシートを眺めながらあきれた様子の兄に対し、連れてってもらった隣町にあるハンバーグ屋でハンバーグセットはもちろん、パフェやその他季節のスイーツを数種食べきり、私はだいぶ満腹な状態で車内に乗り込んだ。
「別に良いけど、これが高校祝いで良いのか?」
「そんなわけないじゃん。あ、ありがとー。これ飲みたかったんだ」
私は兄から差し出された紙パックの無糖の紅茶にストローを刺し、口の中の甘さを消していく。甘みの後はやはりこれだ。覚えててくれたんだね。
「相変わらず大変そうだな」
太陽が沈みかけ、夕日が綺麗なドライブを満喫しながら、私は首を縦に振った。
「友達出来たか? 彼氏は?」
「それ聞く?」
「まだ出来ないか」
兄は私の方を見ずに、声音だけで私の気持ちを汲んでくれた。だからこそ私は学校では見せない本音を、兄にぶつけてみた。
「まあね。兄さんなら辛いのわかるんじゃない?」
「俺は器用だったからな。お前と違って」
「酷い!」
前言撤回。言うんじゃなかった。
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