星に願いを、天に誓いを・後
その場を満たす熱気と喧騒に、梓は眉を寄せた。
首都・
対照的に、同じく人混みには不慣れな時雨は目を輝かせていた。
顔の上半分は動物を模した面で覆っていたが、隙間からでも鮮麗な瞳はよく見えた。糺に抱えられ、物珍し気に見回す姿に、初めてでもないでしょうに、と梓は呆れる。
ああ、でも前の祭はもっと規模が小さかったっけ
軽食を出す店はあったが、他は華やかな舞や神輿の巡行を眺めるだけだった。それですら当時の朧にとっては物珍しいことだったが、この祭りを前にするとどうしても見劣りしてしまう。
もう日が落ちるというのに、そこかしこに色とりどりの提灯が吊るされ、昼間のようにとはいかないが、夕暮れ時とは思えないほど明るい。
出店には軽食の他にも、玩具や装飾品なども並び、見て回るだけでもかなりの時間がかかるだろう。
「気になる店があれば教えてください。梓も、欲しいものがあればいいなさい」
頷いた途端、時雨の腹が鳴った。そういえば今日は別邸への移動があったので、昼食を食べたのはいつもより早い時間だった。
まずは食事から、と満場一致で決まり、三人は食事の屋台を探して人混みの中を進んでいった。
食事の出店が並ぶ場所は、休憩がてら座って食べられる場所が併設されていた。運よく空いた場所を見つけ、食事を終えた頃には更に人は増えていた。気温よりも人の熱でくらりとするほどだ。
「今年は例年に比べて、随分と人が多いですね」
糺の言葉に、店主がおや、と目を見開く。
「なんだ、お客さん知らないのかい!首都の人かと思ったら、ひょっとして地方から来たのかな?」
「ええ。仕事で。せっかくならこの子達にも虹鏡を見せてやりたくて」
さらりと嘘をついた糺に、店主が梓と時雨に視線を向ける。少し間があったのは、判断を迷ったからかもしれない。明らかに二十半ばを超えた糺に、未成年と思われる梓、幼子がつける面をした六歳くらいの時雨。一目で関係を見抜くのは難しい。だがすぐに接客業らしく、愛想のよい笑みを浮かべる。
「そりゃあいい!地方とこっちじゃ祭の規模も違うからねぇ。いいお兄ちゃんがいて良かったなあ、二人とも」
梓と糺の間で串肉を食べていた時雨が咽た。その背を叩きながら、慣れている梓は嬉しいです、と棒読みに近い答えを返した。
この三人で間違われるなら、兄妹か親子のどちらかだろうと思っていた。時雨は小さいが、流石に梓が妻や娘には見えなかったのだろう。まあどう判断されても、糺は否定も肯定もしなかっただろうが。
「しかも今年は、俺達も
ゆっくり観光していきな、と皿を片付け去っていく店主を見届けて、梓は声を落とした。
「知ってた?」
「いや、私も初耳だ」
場所を変えよう、と串肉を持ったまま固まっている時雨を、糺がさっと抱え上げる。
大通りを横切り、天灯を上げるという川辺の方へと向かう。まだ人はまばらだが、人混みに疲れたと思しき者達が、ぽつりぽつりと川べりに腰を下ろしていた。
話を聞いてくるといって離れた糺を待ちながら、梓も、時雨も、無言だった。
時雨は未来視で何か視えないかと集中して、梓は湧き上がる怒りを堪えるために。
天地における絶対的な原則。
唯一にして絶対の帝、皇族、神使四家、その序列の中にもうひとつ、四巫という立場が存在する。
恩恵と秩序を遍く届ける風、蔓延る災禍より世を守る火、天落ちてなお世を支える地、生まれ散る命の輪を示す水
それらの力を持つ稀人の中で、最も強い加護を持つ者。
風の
稀人の中でも更に特別な存在。とはいえ神使四家一族の中から選ばれるため、一般には神使四家当主の下か対等あたりの立ち位置と取られがちだ。
だが四巫は、ただ加護が強いだけではない。
更に神から特別な恩寵を受ける。
四巫となる儀式を受けた者は、髪色が皇族ですら永い歴史の中で失われた、天界の主の象徴、太陽の色―――金へと変わる。
そして稀人から加護を取り上げる力、神に代わって、神の力の管理者としての立場を授けられるのだ。
たとえ神使四家当主であっても、四巫が稀人に相応しくないと判断すれば、加護を取り上げられる。
政には関わらず、権力者としての地位はない。だが神の代理人として、帝の命の下、その恩寵を遍く天地に届け、神の意思を体現する者。
神を尊ぶ者にとっては、神と並んで崇拝すべき対象。
そして神を疎む者にとっては、神と並んで唾棄すべき対象。
朧の生まれ変わり達にとっては、最も警戒すべき―――彼女達の死因でもある。
なにせ旭の守り手たちは、神使四家の祖。生まれ変わっても強い加護を持つ連中は、四巫に選ばれることが多かった。
あの金の髪を見るだけで吐き気がする。それほど、彼らが疎ましい。
「・・・なにも視えなかった」
はあ、と息をついて、時雨が肩を落とした。
視えない理由が命に係わることでないというならば、かまわない。だが時雨の力は、時雨の危機には敏感でも、他人の危険には発揮されないことが多い。
「今代の四巫は、彼らの生まれ変わりだと思うか?」
「見ればわかるけど、見たくもない」
魂から嫌悪しているせいか、連中の生まれ変わりは遠目に見ただけでもそれと分かる。
だが遠目にでも目が合ったその瞬間、縁が結ばれ、関わって命を落とす。
生きたいなら、絶対に関わってはいけないのだ、連中とは。
正直、時雨について宮廷に来た時点で出会う可能性はあった。
だが四巫は基本的に神使府の管理する
神事を行う時は不吉、呪い、忌み子と忌避される原因三冠ついた時雨は呼ばれないので、月長宮に籠っていれば良かったのに。
「お待たせしました。梓、何事もなかったか?」
足音もなく、糺が戻ってきた。時雨が飼い主を見つけた犬のように駆けていく。
中身まで外見につられてきたようだ。それとも抱き上げられるのが癖になったのか。
「問題ない。尾行もされてない」
「そうか。念のため、歩きながら話そう」
糺が聞きだした情報によると、四巫の巡行は今日の昼に急に決まったらしい。
その頃にはもう月長宮を出ていたので、情報が入らなかったのだろう。近衛府も警備計画の変更にてんやわんやだったようだ。
「でも、なんで?」
「北嶺家当主の提案らしい。四巫の巡行は、都と稀人に守護と恩恵をもたらす神事だ。民にも恩恵を受ける権利があるだろうと進言したそうだ」
建前上は、と一段と声を落として付け足される。
「北嶺家の新しい当主は、星願祭の出店にかなり出資しているようだ。人を集めたいのだろう」
「・・・当日にか?」
外に出たことのない時雨にだってわかる。人を集めたいのなら、もっと早くに知らせるものだ。
不信感を隠しもしない時雨と梓に、糺は苦笑した。
「ええ、ですからそれも建前です。どうやら四巫のどなたかが、祭りを見たいと言い出したようで」
「はぁ?」
冗談じゃない。歩くだけで周囲を平伏させなきゃ気が済まない連中、外に出すなんて。
だいたい尊い神の代理人様は、恩寵を与えるに至らない、只人などと交われない、と引きこもっていたんじゃなかったのか。
「星願祭の日とはいえ、少し前に落陽が現れたばかりですから。
妥協点なのでしょう。四巫が自由に出歩けるとなると、狙われやすくなります。そのため巡行の進路を変えて、見物出来るように配慮したのでしょう」
「建前、建前とややこしいな」
梓は悪態をつく気も起きなかった。まったく、なぜ今日に限ってそんな我儘を言い出したのだ。
たった一度、外に出たこの日に。
―――あの時のように。初めて許された、祭りの夜に
「噂が広がって、首都近郊の町や村からも巡行を見に人が集まっているようです。大通りはもう移動もままならない状態でした。
おかげでこちらは人が減って、あまり待たずに済みそうですが」
糺が立ち止まった先、川の中州には大通りよりは空いているものの、少なくはない人が集まっていた。年端もいかぬ子供から、腰の曲がった老人まで。天灯と筆を手に楽し気に笑っている。
中心にある天幕に向かうと、少し並んですぐに人数分の天灯と筆が渡された。
「これが空を飛ぶのか、不思議だな・・・この筆は何に使うんだ?」
「天灯の紙の部分に願い事を書いてください。とくに数は決まっていませんが、願い事はひとつが良いと聞きますね」
願い事。呟いて、それきり時雨は固まった。何も描くことはない。
「何でもいいんですよ。食べたいものでも、将来なりたいものでも」
時雨には無理だよ、糺。
声には出さない。糺はきっと分かってる。分かって、聞いている。
「梓」
朽葉色の瞳が、梓に向けられる。
次に向けられるだろう言葉に、反射的に身構えた時、
「朽葉殿ですか?」
聞き覚えのない声に、手は無意識に帯に仕込んだ武器へと向かう。だがそれを遮るように、糺が一歩前に出た。
反応に確信を持ったのか、声の主、糺とそう年も変わらない男は、安堵の笑みを浮かべた。
「お会いできてよかった、あ、これは失礼を。ご家族でおいでだったのですね」
男は中肉中背で、いかにも人が良さそうな顔立ちだった。鍛えているわけでもない。むしろ細身で、吹けば飛びそうな体をしている。
彼は梓と時雨を見て、申し訳なさそうに肩を縮めた。
「無礼は重々承知しておりますが、少しだけお時間を頂けないでしょうか?」
糺は武器に手を伸ばしていない。ということは、本当に知り合いなのだろう。
どうする、と視線を向けると、糺はなぜか後ろに隠れていた時雨を抱え上げた。そしてそのまま、男と話す姿勢に入る。
梓の理解が追いつかないままに、男は居住まいを正して、
「先日、弟の供養を無事済ませることが出来ました。これも全て、三の君からの見舞金のおかげです」
深々と頭を下げた。おそらく、当事者の時雨が目の前にいるとも知らないままに。
「本来なら直接お礼を申し上げるべきところですが、私の官位では難しく・・・今日朽葉殿にお会いできたのも、お導きかと気が急いてしまいました。ご家族の時間をお邪魔してしまい、申し訳ありません」
「お気になさらず。それに礼というなら、葬儀が済んだあとに兵部卿に礼状を託されたでしょう。三の君も安堵されておりましたよ」
ああ、そういえば東儀沙羅が初めて現れた時、菓子と一緒に時雨への手紙を渡されたような。
あれはこの男が書いたものだったのか。
「皇子様に気にかけて頂いて、弟もきっと常世で喜んでいると思います」
男の顔が歪んだ。怒りではない。悲しみはあるが、それだけではない。
彼は泣くのを堪えながら、笑っていた。それは梓には理解できない
「あれ、なに?」
理解の出来ない男は、何度も何度も頭を下げて離れていった。青みがかった黒髪、栗色の瞳、ありふれた只人。何度記憶をさらっても、覚えはない。
「第一皇子の生誕祭の時、僕たちの舟を動かしていた稀人がいただろう?彼の兄だ」
「・・・ああ」
刺客に矢を射られた奴がいたな、そういえば。今の今まで忘れていた、いや、気にも留めていなかった。矢を射られたことは確認した。ほぼ即死、加護も弱い。敵にならないなら記憶に残す必要はない。覚える必要もない存在だった。
だが、時雨は気にしていたようだ。いつの間にか、糺に彼の生死を尋ねていたらしい。
「皇族に関わる仕事で亡くなると、葬儀や家族の生活のために見舞金というのが出せるそうだ」
「それで、なんであんたが」
出すにしても主催の第一皇子だろう。まあ、下っ端も下っ端の稀人の生死など、気にかけていればの話だが。同じ稀人で、同じ加護を持つ同族でもその程度。まして殺されかけた時雨が、なぜ、気になどかける必要がある。
どうせ、呪い子と分かれば見捨てて放り出したのに。お前は、
「初めの襲撃を切り抜けられたのは、彼のおかげだ」
お前は、またそうやって笑う。
「故郷を失くして、同郷だった子供達だけで暮らしているらしい。残った家族が飢え死にでもしたら、幽鬼になるかもしれない。二度も殺されることはないだろ?」
自分はささやかな願いすら無いくせに、お前は他人のことばかり。
お前のそういう所が、私たちは本当に疎ましい。
「ああ、そう」
真っすぐな朝焼け色から目を逸らし、梓は空を見上げた。どうやら時間が来たらしい。
ひとつ、またひとつ、願いを込めた天灯が空へと昇っていく。
梓の天灯には、何も書かれていない。書く気もない。
呪いを与えた天に願うことなど、なにもない。
「梓」
手にした天灯に、糺が火を灯した。真っ白な天灯に、糺は何も言わない。
ただ一度、頭を撫でられた。それだけだった。それで十分だった。
そう。天に願うことなど、何もないのだ。
白紙の願いをのせた天灯がふたつ、天に消えていく。
梓も、時雨も、そんなことはすぐに忘れてしまったが。
どうしようもなかった、と誰もがこの時を振り返って言う。
油断だ、怠慢だ、と好き勝手に囀る者もいた。
そういった、真に無責任な連中は、では貴方はどうやって防ぐのだ?と聞くと、途端に口を噤む。
護衛は白夜城に戻る時には動きやすい服装に戻り、武器も持っていた。
山中は朽葉を警備に置いて、月長宮の周囲も兵部の衛士が詰めていた。
なによりは、花火だろう。
空を彩る大輪の華。耳慣れない大きな音に、紛れてしまったのだ。
いや、もしその音を耳にしたとしても、防げたかどうか。
人は、考えもしなかった衝撃には思考が止まってしまう。
だから宮に戻った彼らを出迎えた衛士が突然、ふらりと倒れた時。
剣でも、矢でも、槍でもない。あらゆる手段で殺された梓すら知らないもので、小さな穴から血を流し、息絶えたものを見たその瞬間に。
「物陰に入れ!早く!」
室内に飛び込む判断を、糺が出来ただけでも上出来だったのだ。
ましてや、その最悪に重ねて
「燃えろ」
神が与えた火が全てを焼いてしまっても、誰にも、どうしようもなかったのだ。
神が創ったこの世界で、その意に反することなど叶うわけがないのだから。
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