挿話 名前のない神様の記憶




「その目でわたしを見ないで!」


金の瞳に浮かんだ拒絶に、少女は身を固くした。次に来る暴力に備えて、手は自然と頭を守る形をとる。

押しのけられ、蹴られ、悲鳴を堪えて唇を噛んだ。声をあげれば主は更に泣いて、少女は殴られる。


「それをさっさと追い出せ」


少女を押しのけた神が、冷徹な声で告げた。乱暴に腕を取られ、引きずられる。

主はもう、少女を見なかった。


主、天界の主、少女を生み出した者、人にたとえるならば母で、父であるもの。



世界の、少女の全て、後に天津天神あまつそらかみと呼ばれる神の悲嘆にくれる瞳はもう、少女を見ていなかった。



「娘を呼べ」


娘、と呼ばれるのは少女ではなかった。少女はそう呼ばれたことがなかった。

代わりに神殿に呼び入れられたのは、少女と正反対の少女。朝焼けの空を映した紫の瞳、主とおなじ太陽を紡いだ金の髪。


少女と同じ目的で、同じように生み出され、正反対の存在である少女。



この世で唯一の片割れは少女に一瞥もくれぬまま、引きずられる少女の傍を通り過ぎていった。






「なんと不吉な、黒だなんて」


生を司る主とは真逆の、死を、常世を思い起こす黒い髪を、神々は疎んだ。


「また主の不興をかったらしい」


美しいものを愛する主に疎んじられる少女を、神々は醜いと蔑んだ。


「なんの務めも与えられないとは、恥さらしが」


尊き主に生み出されながら、何も出来ない少女を神々は見下した。



少女は要らないものだった。なにをしてもいいものだった。存在する価値の無いものだった。


名前すらなく、ただ“それ”と呼ばれる“物”だった。




だから常世の配下に神をひと柱落とすとなった時、少女が選ばれたのは必然だった。

“それ”は天界の神として名を連ねるには許し難い存在で、尊き主の、尊き自分達の傍らに置いておくなど許せない“物”だった。


だから汚らわしい“死”の蔓延る常世に、相応しいに違いない。


神々はそう結論づけて、少女を厄介払いした。

ああ、これで天界は瑕疵ひとつない。美しきものだけの世界になったと、胸をなでおろして。






一寸先も見えない闇の中で、少女は泣いた。

全てを塗りつぶす黒、肌を刺す冷たさ、あちこちから聞こえる悲嘆の声、その全てが恐ろしかった。


なによりも、捨てられたのが悲しかった。


たとえ“物”であっても、主の“物”だったのに。片割れの“片割れ”だったのに。

その全てが無くなってしまった。それが悲しかった。




「―――おやま、賑やかだと思ったら」


はたと、気づけば傍に光があった。

仄かな灯りを持った男が、にまりと笑って見せた。だが、それ以上に。


「・・・天界の連中は何を考えている」


男の後ろに立つ存在は、眩しかった。



足元にまで伸びる、白と見まがう真珠色の髪、主と同じ金の瞳。

どこまでも冷たく、震えるほどに美しい、その神はあまりにも少女の“主”に似ていた。


だからすぐにわかった。この神が常世神。亡者を統べる無の神。少女をこれから使う神。


怜悧な双眸が少女を捉えた。

温かさなど欠片もないそれに、少女は反射的に身構えようとして


「目がまんまる。お月様みたいだなあ」


男の両手が少女の頬を掴んだ。


「ねぇ、そう思いません?」


頬をこねるように摘まみながら、男が問う。殴られなかったことに驚いて目を瞬かせ、目じりに留まっていた涙が零れた。

金の瞳には温度がない。声も変わらず冷淡としている。


だが


「朧月のようだな」


疎まれたこの瞳を何に譬えられたのか、少女は知らない。

だがその言葉に、声に、侮蔑は感じられなかった。


「あ、それいいじゃないですか」


きっかけは、そんな他愛のない話。


「この子の名前」




名前のない神様の終わりは、そんな記憶思い出



ここからは、朧というむすめの記憶だ




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