踊る道化はまだ早い・後




どのように誤解を解いたものか。朽葉で糺が頭痛を覚えたまさにその時、


「・・・間が悪い」


月長宮は更なる修羅場を極めていた。



―――あ、死んだな



無謀にも真っ先に梓に向かっていった襲撃者に、時雨は直感した。未来視を使うまでもなかった。

一番手ごわい相手を奇襲で潰したかったのだろう。そういうものだと、前に梓が言っていた。


ごきりと鈍い音がして、男は糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

巨漢を絞め殺した梓は涼しい顔で、骸を刃の盾とする。そのまま敵に向けて投げ捨て、その隙に別の敵の鳩尾に蹴りを叩き込んだ。嫌な音がした。時雨にも覚えがある。あれは折れたな。


全てを躊躇なく、作業のようにこなす梓を眺めていた時雨の隣。先ほどまで梓と火花を散らしていた男が、けらけらと笑っていた。


「容赦ないなあ」


・・・なにが面白いのだろう?


手が届くか届かないか、という微妙な距離を保ちながら、髭の男は時雨と並んでいる。刺客が現れてすぐ、梓が『壁にしろ』と男を時雨の方にぶん投げてきたので、害はないのだろう。

そもそも彼を派遣したのは糺だというのだから、そこは心配していない。


ただ男は、今まで時雨が接したことのない類の大人だった。


時雨が十一年の生で接してきた大人は、母の親類か父の妃、乳母、糺しかいない。前半は接したというよりは、一方的に色々投げつけられて終わっているので、交流、という意味では乳母と糺だけだ。


侮蔑、嫌悪、慈愛、形は違うが皆、分かりやすかった。だが隣の男はちぐはぐだ。

警護を任された、と言う割に時雨を守ろうという気がない。挨拶がしたいからと近づいてきたくせに、今は見向きもしていない。


それに―――


「怖がらないんだねえ」


麦わら帽子に遮られ、男の顔は見えない。だが何となく、笑っているのだろうと思った。


「君くらいの年の子なら怖いだろうに。偉いねぇ」


褒めるような口調だが、糺とは全然違う。


「それとも、手駒に人殺しさせるのなんて慣れてるのかな?」


嘲るような言葉だが、怒りも不満もない。

それが当然で、時雨はそういうものなのだと、そう決めている声だ。


・・・そうか


時雨は違和感の正体にやっと気づいた。ここに嫌悪か侮蔑があれば、もっとすぐに気づけただろう。

そして気づいたらもう、怖くはなくなった。これは一番慣れている類の大人だ。

嵌めている形が違うだけ。呪い子か、ろくでなしの非人間か、時雨をそうだと決めて疑わない大人。


「ああ。だからどうした」

「いえいえ、なにも!ええ、文句など、何もありませんとも」


いかにも文句があります、という台詞だが、彼は僕を怒らせたいのだろうか?

分かりやすい嘘をつかれたら不愉快になるだろう。たいていは。


「そうか、それなら良かった」


だから殊更朗らかに、無垢に、微塵の悪意もないような―――微かな記憶にある、旭のような声で、返してやった。

梓相手に滑らかだった舌が、ぴたりと止まる。


「君が死んでしまったら、糺に申し訳がない」


は、と男の口から音にならない息が漏れた。思った通りの反応だ。


「なるほど、なるほど。確かにこれは失礼いたしました、尊き帝の御子に俺のような只人が文句などあるはずがありません」


わかりやすいな。大丈夫なのかこの人。


梓が時雨の心の内を知れば、心配する相手が違う、と呆れるようなことを考えながら、時雨は視線を前に向けた。


「このくらいで誰かを殺していたら、きりがない」


死ねと言われながら生きてきて、今更この程度で怒らない。


「君が死ぬのは、僕に関わりないことだ。君が」


梓はとっくに始末を終えて、こちらを見ている。


「梓を馬鹿にしているからだ」


時雨の言葉と同時に、男は地面に叩きつけられていた。


「うわぁ、ちょ、梓ちゃん!?俺確かに美人は好きだけど踏まれて喜ぶ趣味は「朽葉戀十」


声音が少し、糺に似ていた。


「なにをぼさっと突っ立ってた?」


反抗も逃げも許さない、圧のある声だ。


「並んで見学とは、高みの見物気取りか」


普通の人間ならもう口もきけない恐ろしさだが、男はそこまで気が小さくなかった。


「いきなりだったからさぁ、ごめん、ごめん

でもさ、そもそも俺は糺の部下だから。君や第三皇子様にいきなり命令されても、きけない理由もあるっていうか」

「馬鹿なの?」


小気味いい程すっぱりと、梓が切り捨てた。


「私はしぐ・・・三の君に壁にしろとは言ったけど、あんたに命令はしてない」


茜色の瞳がすっと細められる。まだ太陽は高いのに、夜闇で光る獣の目のようだった。


「あんたが破ったのは、糺の命令」


時雨は男にちらりと視線を向けた。この状況でも、彼はまだ笑っている。


「糺に守れと命令されたくせに、何もしなかった。

三の君がお前たちを敷地に入れたのは、糺を信用しているからだ。その糺に従えない奴は要らない。今すぐ消えろ」


そう、笑っている。眉一つ動かさず、全く同じ表情を浮かべている。


ただ、


「変わらないなあ、梓ちゃん」


羨望が混じったようなその一言だけは、今までと違う色を帯びていた。


「そう言われちゃうと、お兄さん何も言えないね」


そしてまた、茶化すような口調で笑う。咄嗟に時雨は耳を塞いだ。


「っってえ!!!」

「私は、今すぐ消えろ、と言ったの。言い訳も無駄口も許していない」


男は額を抑えながら悶絶している。大の大人が涙目で、流石に笑顔を作る気力は失せたらしい。


「だからって鞘で殴る!?君の力で殴られたらお兄さん頭割れちゃうよ!?」

「知るか」


どんどん梓の口調が雑になっていく。次は本気で割るかもしれない。


「梓、そこまでにしておこう」


正直あまり関わりたくはなかったが、時雨はそろりと梓の袖を引いた。


「刺客の後始末もあるのに、これ以上増えたら夕餉に間に合わない」


糺は食事時には戻ると言っていた。今日は梓が好きな魚の味噌煮の準備がしてあることを、時雨は知っている。掃除に手間取って食べられなかったら、きっと後悔するだろう。


「・・・そうね」


茜色の瞳から、やっと殺意が消えた。ほっと息をついたのも束の間。


「え・・・梓ちゃんが、あの梓ちゃんが、糺以外の奴の言うこと聞くなんて」


本気で驚いた様子で、男は梓と時雨の間に視線を巡らせて


「梓ちゃん、実は小さい子が好みっあああああごめんごめんもう言いません!」


梓が足を外すと、男は慌てて立ち上がって距離を取った。

するとどこに隠れていたのか。黒いスーツの男が数人、塀を超えて現れる。梓が身構えないので、糺が付けてくれていたという護衛だろう。

ぼろぼろの髭の男と、不機嫌さを露にする梓。二人に視線を向けられて、男たちは顔を引き攣らせた。気持ちは分かる。機嫌が悪い梓は本当に怖い。


「あんた達、今日の護衛か。もう要らないからそこの刺客もって帰れ。二人生かしてるから、ちゃんと糺に届けろ」


梓と髭の男に何度も視線を送って、男たちは動かない。梓は舌打ちして、髭の男の首根っこを掴んで投げた。


「ぐえっ!」

「さっさと連れて行け。それとも全員折らなきゃ動けないの?腕にするか?足にするか?」


ひっと悲鳴を上げて、男たちは転がっていた刺客を片付け始めた。

髭の男も首を押さえながら、生きていると思しき刺客を担ぎ上げている。あまり強そうに見えなかったが、動きは手慣れているようだった。


「片づけはあいつらに任せて、中に戻るわよ」


草むしりの途中だったが、これ以上は本当に月長宮が血の海になりそうで、時雨は大人しく頷いた。手を引かれて彼らに背を向ける。



「梓ちゃん」



梓は振り向かなかった。時雨は気になって、少しだけ振り返る。


「頼むよ」


彼は、笑っていた。

おそらく今日一番優しく、困ったように、悔し気に、



「今度はちゃんと、



少しだけ怒りを混ぜて、呟いた。









白夜城より北。華やかな邸宅が並ぶ通りを抜けた首都の端に、朽葉の別宅がある。

刺客をのせた大八車を止めて、あーあ、と朽葉戀十こいとは肩を落とした。


「いやぁ、酷い目にあったね」


腫れあがった額を押さえて笑う戀十に、男たちは呑気な、と顔を青くした。


「いいんですか戀十さん、棟梁は自分が戻るまで頼むと仰っていたのに」

「あのまま居座ったって、俺ら全員梓ちゃんに骨折られて使い物にならなかったって

それにあの子達が嫌がったら辞めて良いって、糺も言ってたし」

「・・・嫌がったのは戀十さんが意地の悪いことするからでしょう」


あんな小さな子に容赦ない、と顔を顰める男には、同じくらい小さな子供がいる。といっても同じなのは見た目だけで、第三皇子より年は下だったはずだが。

「いやぁ、だって気になるでしょ?嗜虐趣味の呪い子、帝の至宝が産み落とした化け物、散々だったじゃん、第三皇子の評価って」


いくら友達の頼みだからって、糺が、朽葉が、わざわざ手間をかける価値があるのか。

、守るなんて正気じゃない。戀十が思った通りの皇子なら、怒って追い出すか、殺しに来るかと思ったが。


「予想は外れてたけど、納得出来たからまあ殴られた甲斐はあったかな」


は、と息を吐く。呆れと納得、嫌悪を込めて。


「まったくどんな育ち方をすれば、あんな子供が出来るんだろうね」

「第三皇子のことですか?まあ血を見ても全く怯えてないのは珍しいですが」


違う違う、と戀十は頭を振って


「それも十分おかしいけどね。そうじゃなくて、自尊心の話。

こっちの裏を全部察してるくせに、酷い態度とっても馬鹿にしても全く怒らないなんてさあ・・・」


どこかで聞いた話じゃない?


十一年前、大晦日。朽葉に現れた子供がいた。

罵られても、除け者にされても、優しくしても、気にかけても、表情一つ変えない子供。


彼女はただ一人以外に心を許さず、十年も同じ家で暮らした戀十ですら、笑った顔を見たことがない。


「どんな扱いすれば、なにされても当たり前みたいな顔で、怒りも泣きもしない子供が出来るんだろうね」


ああ、これだから皇族など、稀人など、関わりたくもない。

でもどれほど戀十が厭うても、糺は関わり続けるのだろう。


「賢くて、敏感で、自分を大事に出来ない子なんてさあ。絶対、糺は放っておけないやつじゃないの」

「結論がそれなら、お前にはやはり早かったようだな」


ざわりとうなじが逆立った。

気付いた時にはもう、彼らは間合いの中にいた。



「戀十」


糺は笑っている。だが朽葉に数年もいれば、その笑顔の次に来るものを、身をもって理解している。

ましてほとんど生まれた時からの付き合いである戀十は、尚更。


「ま、待て待て待って糺」

「なぜ、お前達がここに居る?」


その声は、梓と似ていた。いや、梓が糺に似たと言った方が正しい。

反抗も逃げも許さない、圧のある声。


「私は戻るまで月長宮の警護を務めろと言ったはずだが」

「あ、梓ちゃんにもういいっていわれてさぁ。刺客も運ばないといけなかったし、ほら!また新しいの来ちゃってさあ。今月何人目なのこ、れっ!」


糺の手が戀十の頭を掴んだ。背は戀十の方が高いが、こと攻撃力に関して糺の右に出るものは、朽葉どころか天地にもそういない。


「私は黙って、有事以外は視界に入らず、守れと言ったはずだが。

いつ梓に“不要”と言われるような失態を犯したんだ?」


あ、全部バレてるコレ。


にこりと、糺が笑った。野太い悲鳴と謝罪の声が黄昏の空に響いた。




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