踊る道化はまだ早い・前




長雨が終わり、蒸し暑い晴れの日が増えた頃。

梓は久しぶりに時雨と二人で過ごしていた。いつまでも代わりが見つからない侍従と領主を兼任する糺は、今日は朽葉の仕事で不在。

月長宮の周辺には朽葉の戦闘員を潜ませてくれているようだが、少なくとも、宮の中では二人だ。


「うわぁ~ほんっとにぼろぼろだねぇ」



二人だけの、はずだった。



「・・・・・・・・・なんの用?」


隣で雑草を抜いていた時雨が、猫のような俊敏さで梓の影に身をひそめる。不審者に対しての、いつもの反応だ。対して梓は、不審者を殺すことも、蹴りだすこともしなかった。



不審者を、梓は知っていた。不審者も、梓を知っている。

胡散臭い髭面、へらへらした笑顔、立ち姿は猫背。糺と同じ黒いスーツ姿でも、あちこち緩んでだらしのない印象しかない。


それでもこの男の名は、朽葉戀十こいと。糺の腹心だ。


「お、君もしかして梓ちゃん?久しぶり~美人になったね」


軽薄な声で、軽薄な顔で、軽薄な上に質問を無視した返答。

嫌悪感に殴り飛ばしたくなったが、糺に並ぶ長身のこの男を運び出すのは手間だ。ただ腹立たしさは消えないので、挨拶は無視することにした。


「糺はいない。今日は朽葉に帰ってる」

「知ってるよ。代わりに警備任されたからね、俺」


じゃあ何の用だこの髭


胡乱気な梓の視線にも、戀十は顔色一つ変えない。へらりと笑ったまま、物珍し気に月長宮を見回す。


「こんな機会、一生に一度かもしれないからさあ。第三皇子様にご挨拶を、と思って」


東儀沙羅のように、時雨と面識を持たせたいのだろうか。いや、それなら予め言っておくはずだ。

糺は時雨の過去は知らない。だが時雨が人目を避ける理由を軽視もしていない。不意打ちのように他人と対面させる方法は選ばない。


・・・こいつの独断か


「さっさと持ち場に戻って」


それなら思い通りにしてやる義理はない。時雨の頭を麦わら帽子越しに押さえた。帽子が影を作り、顔を隠す。それで安心したのか、ぴたりとくっついていた時雨は、梓が不自由なく動ける範囲に距離をとる。


「畑仕事で忙しい。あんたと話す暇はない」

「相変わらずつれないねぇ、梓ちゃん。まあ冷たい美人の方が口説き甲斐があるけどね、俺は」


氷よりも冷えた視線で、梓は刀に手をかけた。


「未成年に手を出すような不埒者は殺していいって、糺が」

「ちょ、それ戦場の時の話じゃないの!?え、違う?・・・あいつ、本当に梓ちゃんの父親じゃないんだよね?っとぁ!ごめんごめんもう言わない!!!」


黒紅色の刃が空を裂いた。戀十があと一歩遅ければ、時雨は戀十の顔より先に血を見ることになっていただろう。もちろん、梓も本気で殺す気はなかったので、首が飛ぶことはなかっただろうが。


「馬鹿にするのもいい加減にしろ」


朽葉に居た頃、糺の直弟子ということで、梓はほとんどの時間を糺と過ごしていた。常に傍に置いていたから、弟子ではなく隠し子か、などと陰口を叩いた者も少なくなかった。

言った端からぶっ飛ばしていたら、そのうち誰も言わなくなったが。


「うん、ごめんごめんって。いや~糺にしては過保護だからさぁ」


絶対に何も分かっていない返答に苛立ちが沸き上がる。反論はしても、理解は求めていなかったので、無視をすることで留飲を下げた。


「次は殺す。さっさと帰れ」

「いや~でもせっかくならねぇ。皇子様を間近で見る機会なんて、もうないだろうし」

「許可してない」


にべもなく突っぱねても、戀十は動かない。こういう所が、梓は嫌いだった。

嘘にも嫌悪にも慣れているが、これは嫌っているくせに、自分が満足するまで離れない。どれだけ拒絶しても流されて、満足したらこちらはお構いなしに去っていく。すっぽんのような男。


「・・・皇子への謁見の許可は?」

「それ、家令とか侍従長に頼むやつでしょ?今いないから取れないねぇ」

「だったら諦めて」

「思い立ったら吉日っていうでしょ?」


こいつ戦闘不能ぼこぼこにしたら、糺に怒られるかな。

脳内の糺は笑顔で教材を積み上げた。お説教はないかもしれないが、また苦痛な座学の時間が始まるかもしれない。くそ、面倒くさい。


片や笑顔、片や無表情で譲らない二人の傍で、



糺、早く帰って来てくれ・・・!



無音の中で散る火花に耐えられず、時雨は涙目だった。








「・・・?」


何かに呼ばれた気がして、糺は思わず足を止めた。


「わ、どうした?糺くん」


真後ろを歩いていた沙羅が糺の背にぶつかり、目を丸くする。更に後ろについていた一族の青年も、首をかしげていた。


気のせいか?


「すみません、気のせいだったようです。

ああ、この先は更に灯りが乏しくなるので、気を付けて下さい」


糺が微笑んだのと同時、悲痛な叫び声が響いた。ああ、と枯葉色の目が眇められる。


「まだ終わっていないようですね」


料理の完成でも待つような声音に、沙羅はうわあ、と口元を引きつらせた。

この先で行われていることを知っていて、いや、それどころか主導していながら、この言い草。


本当に敵に回したくない男だなあ、糺くん






螺旋を描く階段の底、蝋燭の灯りだけが頼りの薄闇の中に、その部屋はあった。

いかにも重そうな木と鉄の扉には、小さな小窓がついていた。今は開かれたその向こうから、苦悶の声が絶え間なく聞こえている。


手だけで沙羅を制した糺は、扉を薄く開いた。すぐさま中にいた一人が顔を向け、糺を確認するとすぐに扉を閉めた。間もなく、別の男が扉から現れた。

二十歳を幾らか過ぎた年頃の青年は、眼鏡の奥の理知的な瞳を細めた。その視線は糺ではなく、彼の背後にいた沙羅に向けられている。


視線はもの言いたげだったが、青年は何も言わずに小窓を閉じた。硝子がはめ込まれているのか、中の様子は見えたがもう声は聞こえなかった。


「糺様」

八鹿やつか、襲撃者に関して兵部と情報を共有する。このまま報告してくれ」


八鹿と呼ばれた青年は一度だけ、嫌忌の視線を沙羅に向けた。だが瞬きの間に感情を消して、冷静に得た情報、そこから推察される状況を報告した。


「捕らえた稀人は地の加護を持っていました。能力は“丙”相当ですが、尋問対応の訓練を受けていると思われます。神使府に所属していた記録はなかったので、西蓬の私兵の可能性が―――」


その内容、完全に制御された感情に、沙羅は内心で舌を巻く。

分析力もそうだが、件の襲撃者―――室内で尋問を受けている男は、ほんの数日前に捕らえたばかりだと聞いている。もちろん口が軽い者もいるが、沙羅を呼んだなら、それなりに黒幕に近い人物のはず。口を割らせるのは骨だっただろう。

それに報告の内容は一人の証言に留まるものではない。裏付けもされている。嫌悪を向けてくる相手でなければ、駄目もとで引き抜きをしたかったくらいだ。


「今の所、分かったのはこのくらいです」

「そうか。数日様子を見て、あとは正気を保つ程度に生かしておけ」

「その辺は七緒ななおに任せます。拷問中も手当や世話はあいつにやらせてたので」


小窓の隙間から見える室内では、小柄な少女が涙を浮かべながら襲撃者の男を手当てしていた。

震える手で懸命に自分を手当てする少女に、男は一縷の光を見たような、縋るような表情を浮かべる。

そして少女が立ち上がろうとすると、その手を取って何かを口にした。少女は驚いたように口を開けた。それからその手を両手で包むと、眉尻を下げながらもどうにか男を安心させるようにと、笑みを作った。不格好でも、その気持ちは男に届いたようだった。


すぐに見張りに引き離され、部屋の外へ押し出される少女を見る男の目には哀願の色があった。


「七緒」


扉が閉まると同時に、糺が少女を呼ぶ。彼女はぱっと顔を輝かせ、


「棟梁!」


手巾で涙と手を念入りに拭い、憂いの表情を完全に取り払った。


「あれ、もうすぐ落ちそうです。初めはなんでこんな所にわたしみたいな子が、って疑ってましたけど、親に売られてこき使われて~って話に綺麗に騙されてくれました」


妹が奉公先で死んでたので“可哀想で健気な女の子”にしたら、大当たりでした。


かなり判断力が落ちてますね、と冷静に男を観察した少女の目にはもう、哀れみも慈愛もない。

もっとも初めからそんなもの、男相手には持ち合わせていなかったのだが。


「ご苦労。そのまま続けてくれ」


だが労う糺に向ける笑顔は本物だ。七緒も、八鹿も、心から糺を慕っている様子が見て取れる。


「はーい。あ、八鹿、八鹿、次の食事にさつま芋使える?好物みたいなの」


腕を絡める七緒に、八鹿は思案するように眉を寄せた。


「・・・ああ、いいだろう。食事内容は厨房の連中と相談してくれ。明日は水を限界まで制限させるから」

「わかった。ああ、でも少し日を置いた方が良いかな?簡単に手に入らない方が、より欲しくなるでしょう?」


逢引の予定を相談するような甘い声で、青年と少女は人ひとり、狂わせる相談をする。

計画を定めた二対の瞳が、最後に糺に向けられた。


「加減はお前達に任せる。いざという時に使えればいい」


信頼を滲ませる声に、二人が破顔する。


「明日にはあいつの人生、丸裸にしてやりますよ」

「任せて下さい。わたしのお願い、なーんでも叶えてくれるとこまで落としてみせます」


血の臭いが染みついた薄闇の中でも、それは眩しく輝いていた。






「そういえば棟梁、今日は早く帰らなくていいんですか?」


沙羅が帰った後。領内の陳情書に目を通し始めた糺に、七緒が首を傾げた。

首都の別邸ならともかく、朽葉の本家から白夜城まで戻るとなると、馬でも二時間以上はかかる。すぐに出なければ夕飯の準備に間に合わないだろう。


「ああ、今日は途中から“啓蟄けいちつ”で来たからな。一時間あれば戻れるから、問題ないよ」


途端にぱっと七緒の瞳が輝き、子供の様に飛び跳ねた。


「それじゃあ小さい子たち呼んできていいですか!?棟梁に修行の成果見て欲しいっていってて、あ、あと錦も新作の料理の感想聞きたいって!あ、それから、灰古兄さんたちの―――」

「七緒」


とめどなく動いていた七緒の口に、八鹿が飴を一つ放り込んだ。やっと黙った彼女に、宥めるような視線を向けて


「嬉しいのはわかるけど、糺様にも予定があるんだから。今日はひとつにしなよ」


いいですか、と視線で問われ、糺も笑って頷いた。もともと、その倍は連れまわされるだろうと予想していたので、問題はない。

八鹿に抱きつき飛び跳ねる七緒に、諦めたように受け入れる八鹿。同い年にも関わらず、その姿は兄と幼い妹のようだ。


「それじゃあ道場にみんな集めますね!錦のは包んでもらえば持って帰って夕飯に出来ますし、灰古兄さんは我慢できなかったら自分で乗り込んでくるだろうし」

「それがいいよ・・・ですが、糺様。本当にまだ帰らなくていいんですか?」


一呼吸、


「今日、戀十さんが警護に行ってるんですよね?」


飛び跳ねていた七緒すら動きを止めた。


「え、そうなの?どうりで東儀のお嬢様がいたのに絡んで来ないなって、え、ほんとに大丈夫なんですか棟梁。今って月長宮に第三皇子と梓ちゃんしかいないんですよね?戀十兄さん死んでません?余計な事言って、梓ちゃんに首落とされてません?」


年下たちからまったく信用のない幼馴染に、糺は苦笑を浮かべた。

確かに戀十は過去、『女だったらよかったのに』とからかって、糺に一撃で沈められたことがある。普段は気が回る男なのだが、冗談のつもりで余計なことを言って人を怒らせることも多い。


特に、今の時期は。


「問題ない」


だが、今の時期だからこそ。


「もうすぐ彩葉いろはの命日だからな」


微塵の不安もない声に、八鹿と七緒が目を合わせた。

十年以上も前のことだ。二人が覚えていないのは当然だろう。いや、覚えているのが糺と戀十くらいだというべきか。


「あー・・・まあ、それなら大丈夫、かな?」

「でもあの人、見通し甘い所あるからなあ・・・梓が怒ったら無理じゃないか?」

「勝つのは絶対無理でも、逃げるくらいなら何とかなるんじゃない?・・・多分」


最後に七緒が漏らした本音に、糺は息をついた。彼より三つ年上の幼馴染の悪癖は、いつまで経っても治らない。

糺も正直に言えば、まだ戀十を月長宮へ行かせるつもりはなかった。だが以前に沙羅相手にことを思えば、この配置がだったのだ。


それに、


「梓のことは心配ない」


戀十は心配でも、梓には心配するところが無かったことも大きい。


「骨くらいは折るかもしれないが、殺しはしない」


そこまで梓は戀十に関心を持っていないし、何より時雨様がいる。


「万が一の時は、時雨様がいれば大丈夫だ」


再び一呼吸の間、そして



「「・・・え、第三皇子って化け物か何かなんですか?」」


斜め上の誤解が生まれ、流石の糺も苦笑を浮かべた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る