□□□の記憶



「―――、髪紐はどうしたんだ?」

「稽古の時に切れた」


うだるように暑い、夏の日だった。

髪が首や背に張り付くのが鬱陶しくて顔を顰めると、あの人はおいで、と手招きした。


向かったのは屋敷の奥。誰も近づきたがらない、掃除の時も入らない部屋。

だが襖の向こうは予想に反して、埃ひとつなく、色と花が溢れていた。


蘇芳、桃、紫、山吹、浅葱、萌黄の布に、牡丹が、百合が、薔薇が、桜が、咲き誇る。


この家では誰も着ないような、派手な着物。繊細な花模様が彫刻された箪笥、小物入れ、全てがこの家から浮いている。


「・・・まだ続けているのか」


溜息交じりに、あの人が呟いた。でも顔を上げると、そこにはもういつもの笑顔。


「すまない、やっぱり違う部屋に行こう」




好きなものを選んでいいよ、と差し出されたのは、さきほどの色彩の波よりは随分と落ち着いているが、それでも様々な色を合わせた組紐たち。


「昔、付き合いで作ったんだが、私には使い道がないから」


確かに使われている糸は可愛らしい色ばかりだ。

でもそういう色は、私にも似合うとは思わない。


髪は切るから要らない、と言おうとして――――その色に、手を伸ばした


「ああ、目の色と同じだな。きっと似合うよ」


あの人はそう笑って言ったけど、選んだのは違う理由。



あの日、


あの秋の日、この人が好きだといった夕暮れの色


それから、私の好きな色



この人の、黄金色





―――赤と黄の色は、それからずっと、彼女を彩っている





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る