その花の名は・後




空気が変わった。


「は」


東儀沙羅は努めて冷静に、動揺を隠そうとした。

糺くんには分かるかもしれないが、部下が気づかなければいい。侮るつもりは毛頭ないが、周囲はそう受け取ってはくれないものだ。


顔を合わせた時から、嫌がられているなあとは思っていた。それでも無表情の仮面の下に、上手く隠していた。だが、今は


「・・・・・・クソ野郎」


誰に宛てたものかはわからないが、聞かなかったことにしよう。なんとなく、追及すると良くない気がする。今にも誰か殺しそうな気配を放つ女の子。さてどうしたものか、と視線を向ければ


「梓」


驚くべきことに、呼び声ひとつで殺気が和らいだ。仄暗い色を湛えていた茜の瞳は澄んだ色に変わって、沙羅の正面に立つ男を見上げる。


「私は東儀殿と仕事があるから、お前は時雨様のところへ戻りなさい」

「わかった」


小さく頷く姿に、の面影が重なる。


「あ、それなら―――」


いけない、いけない、本題を済ませなければ。手土産と、預かっていた手紙を紅修羅殿こと梓ちゃんに託す。もう隠すつもりは無いのか、あからさまに胡乱気な視線を向けられたが、糺くんが促すと素直に受け取って、一瞬の間に立ち去った。うーん、全く目で追えなかった。


「梓が失礼をしてすみません」

「気にしなくていいよ。いやしかし、あの子はまったく変わらないなあ」


梓ちゃんは思い出してくれなかったが、あの子がまだ朽葉にいた頃、何度か顔を合わせたことがある。まあ、あの頃も今も、あの子の視線には一人しか入っていないから、思い出せなくても仕方がないか。


「君には飛びついてくるのに、私にはちっとも懐いてくれなかった」


話しかけても無言、お菓子を渡そうとしてもぴくりとも反応しない。小さい子の扱いは妹たちで慣れているつもりだったが、あまりにも無反応なので、精巧な人形かと思ったこともあった。


「それで」


ああ人形といえば、一時期、随分と噂されていたっけ。

朽葉の殺戮人形。顔色ひとつ変えずに亡者を、罪人を、命じられるがまま殺す


師弟というのは、そんなところまで似てしまうのだろうか。




「私の疑いは晴れたのかな?糺くん」




豊穣の黄金色を持ちながら、血にまみれた朽葉の鬼神、殺戮人形の完成体―――朽葉糺

人の形をした冷酷な獣は、姓と同じ色の瞳を眇めて、


「貴女を疑ってはいませんよ、沙羅さん」



笑った。



「俺がいたあの場生誕祭で梓を殺そうとするほど愚かではないだろう?貴女は」


うーん。そこは、貴女はそんな人ではない、とか言って欲しかったな!

そういう所が、糺くんはちょっと残念だ。まあだからこそ、私も信頼しているのだが。


「私はまだまだ生きたいからね。たちばなの成人の儀もあるし、山桜桃ゆすらの花嫁姿もみたい」


そもそも三の君を襲うなら、警備の補助を朽葉に依頼したりしない。

かつて殺戮人形と呼ばれていた使い捨ての子どもたちは、今や朽葉家の主戦力だ。糺くんの命令ひとつで人を守りも、殺しもする。昔と違うのは、全員が自分の意思でそれを選んでいるということ。


糺くんが、彼らを人形から“人”にした。

そういう男の前で非道を働くと、絶対にうまくいかない。まして彼の愛弟子が関わっているなら、徹底的に潰されるだろう。早まったことをしたものだ、連中も。


只人だ、女だと侮っているからだ、馬鹿め。


「だから私に出来ることは言ってくれ。愚か者が減ってくれるのは嬉しい。

まったく、聞いてくれるかい?叔父上が最近、山桜桃に婿を取らせるって張り切っているんだ。

しかも持ってくる釣書の相手は全員成人で、一番上は三十だよ三十」

「・・・は確か、まだ七歳では?」


うん、わかるよ。気持ち悪いよね。そういう反応が欲しかったのに、私の周りでは橘しかそういう顔をしてくれないんだ。


「確かに私たちの結婚は利益とか政治とか絡んでくるし、年齢は関係がないけどね?

・・・そんな男を娶せて、何をしたいのやら」


朽葉色の瞳が眇められた。彼ならこれで分かってくれるだろう。

姫しかいない東儀が、三の君を狙った理由を。


「東儀の当主代理が皇女様に勧める縁談となると、東野あずまの家か東藤とうどう家でしょうか?」

「うん、従兄弟達はほとんど結婚しているし、姉上や妹達のところは女の子しかいないからなあ」


結婚していない従兄弟もいるが、流石に私の手前、クズを婿に推すほど愚かではなかった。


「だいたい順番でいくなら、橘の方が先なんだが・・・あ、梓ちゃん「無理です」話くらいは聞いてくれても良くないかい?」


糺くんが弟子の恋愛関係に口を出す人だとは思わなかった。

まあろくでなしなら話は別だが、経験は大事にする人だと思っていたのに。


「沙羅さんは何か勘違いしているようですが」


うん?


「梓は面倒くさがりです。特に人間関係は面倒の芽すら出させない、というか関係構築すらしません」

「・・・なるほど?」


それは面倒くさがりというより、最早人間嫌いでは?

よく私に紹介しようとしたね、糺くん。絶対に口ではまた今度、と言ってそれきり連絡してこない子じゃないか。


「そういう子なので、橘様―――風のかんなぎの伴侶なんて、政治的駆け引きや厄介事、嫉妬の的になりそうなことは絶対に無理です。提案された時点で、二度と沙羅さんの前に姿を見せないでしょうね」

「そういう意味での“無理”だったのか」


悪くないと思ったんだがなあ。糺くんと縁も出来るし。


「・・・あれ、もしかしてさっきの友達になって欲しい、っていうのも」

「場を設けても逃げるでしょうね」

「えぇ・・・梓ちゃんなら橘とも渡り合えると思ったのになあ」


弱った。かといって生粋のお嬢さん、お坊ちゃんでは気が優しすぎて橘相手にやり合えないし。

ううんと唸ると、糺くんはなんとも同情的な笑みを浮かべて。


「それに友人はともかく、女性を沙羅さんに紹介されるのは絶対に嫌がると思いますよ」

「あーやはりお節介がすぎるかな?弟みたいなものだから、つい色々と世話を焼いてしまって」

「・・・そうですね。年頃の子は構いすぎると反発しますから」


言葉では肯定しているが、視線はなんとも含みがある。男同士にしか分からない機微、というやつなのだろうか?


「確かに。背が伸び出してからは、抱きしめるとすごく嫌がるな」


まあ力では私が勝つから、最後は諦めてくれるんだが。

しょうがないという顔をしながらも、抱きしめないと抱きしめないでちょっと不機嫌になる弟分を思い出す。可愛いのに、なんで友達が出来ないんだろう。


「すまない、色々と話が反れてしまったね。とにかく三の君の襲撃の件、叔父が関わっているのは間違いないだろう。死んだ襲撃者も身元を誤魔化していたが、調べたら叔父の麾下の者だった。

それに私が警備担当と知って三の君を襲撃するなんて、やりそうなのは叔父くらいだ」

「それは後継者の件で?」


首肯する。我が父、現東儀家当主は現在病床の身。父には娘しかいないので、すぐ下の弟である叔父が当主代理をしているが、父は未だに後継者を指名していない。


「帝と違って、神使四家の当主なら女当主の前例がある

私は後継者にしろと一族の前で申し出て、父は肯定も否定もしなかった。叔父は随分と気をもんでいるだろうな


橘を除けば、東儀で加護が一番強いのは私だから」


加護の強さが当主の絶対条件ではないが、加護の強さは神の恩寵の深さだ。

神使四家は神に与えられた加護をもって常世を退け、天界を取り戻す使命を負った者。少なくとも、建前上はそうである。


ならば恩寵の強さも、決して無視はされない。


「残念ながら私が持つのは風ではなく、派生した雷の加護だけどね。それで神使府の要職にはつけなかったが、としての私の評判はまずまずだ。この辺で泥を付けておきたかったんだろう」


第一皇子の生誕祭で大失態、なんて最高の泥だ。

絶対に何か仕掛けてくるだろうと思って、糺くんに依頼しておいて本当に良かった。高くついたが、その価値はあった。


「それで?糺くんの収穫は?」


翡翠の瞳が三日月の形に、にんまりと笑う。


「どうせ兵部省うちに内緒で刺客数人確保してるんだろう。情報をくれたら見逃すよ」

「おや、その件は襲撃にそちらの関係者がいた件を伏せることで、相殺されたはずでは?」

「生誕祭の時だけじゃなく、その後襲ってきたのとか、月長宮で横領してた連中も確保してるだろ、君」


刑部省が碌に調査してないことをいいことに、どうせ関係者や横領した予算は押さえているだろう。

あとで刑部もまとめて潰すために、表沙汰にしていないだけで。


「沙羅さんには敵いませんね」


困ったような顔をしているが、この男、私の提案も計画の内に決まっている。こちらから話を持ち掛けるよう、私の耳に情報が入るようにしたのも彼自身の差し金に違いない。

今日ここに呼び出したのだって、『三の君に皇后さまの話をして欲しい。弟子の先行きが心配で、私と縁を繋ぎたい』なんて言っていたが、本命の用事かどうか怪しいものだ。


絶対、兵部にも朽葉の間者いるんだろうなあ


神使府は無理だろうが、兵部なら只人ばかりなので入り込むのは簡単だ。

・・・うん、流石に神使府にはいないよね?きっと。


「梓や三の君に紹介したかったのも、嘘ではありませんよ」

「察しが良すぎるだろう、君。実は心を読む加護でも持っているんじゃないか?」

「沙羅さんが簡明直截な方だからですよ」


正直だと褒めてくれているのか、馬鹿正直だと言っているのか。

不満げな視線を向けると、糺くんは裏など一切ありません、と言わんばかりの誠実そうな表情を作って、


「私は皇后様のことはお見かけした程度で、よく知りませんから。沙羅さんなら人となりもご存知かと思いまして」

「まあ、糺くんよりは知っているが・・・」


亡き姉上、真珠妃しんじゅひのおまけで茶や香合わせなどご一緒したことはある。

だが茉莉花まつりか様とは十歳も離れていたし、先々帝の孫であり皇族筆頭中宰なかつかさ家の掌中の珠、滅多にお目にかかれる姫君ではなかった。なによりあの御方といえば―――


「正直、“美しい”の印象が強すぎて、細かいことは全部霞んでしまったんだよなあ」


初めて会った時は圧倒されて、碌に口もきけなかった。

姉だってかなりの美人だったが、茉莉花様は比較の対象にあげることすら憚られる、というか、最早勝負にならないような方だった。


『紅玉妃や青玉妃なんて、寵を奪ってやる、なんて息巻いていても、茉莉花を目の前にすると嫌味の一つもいえないの。

見ていて小気味が良いわ。もうあそこまでいくと下手な加護より武器になるんじゃないかしら、あの美貌』


とは茉莉花様と友人でもある姉の評である。この後、父によって側妃にとされた時は、慎ましやかな姉にしては珍しく悪態をついていたから、よく覚えている。勝負になるか馬鹿野郎、なんて初めて聞いた。


『主上は茉莉花しか見えていないのに、どうしてお父様たちにはわからないのかしら』


皇子を産めず、皇后失格だと、離縁すべきだと非難されても手放さなかった、帝の最愛。

やっと授かった皇子を産んだその日に、惨殺された悲運の皇后。


「お姿だけでもかまいません。時雨様に会う日が来ましたら、ぜひ教えて差し上げて下さい」


彼女の名を冠する白い花は、今も帝が住まう琥珀宮に一年中咲き誇っている。

地の加護によって永遠に。帝が死ぬまでそうせよ、と命じたのだ。


「あの方は母君の姿どころか、名前もご存じないのです」


その愛が忘れ形見に何を向けたのか、沙羅は知らない。知ってはいけない、知る気もない。


それを知ったら、おぼろげな記憶の思い出話さえ渡せなくなってしまうから。






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