右でも左でもない道



「・・・塩、干し肉-―――はい、確かに。確認しました」


品物を確認し、受け取りの署名をして書付を返す。青ざめた顔の下級官吏は書付を受け取ると、待ってましたとばかりに厨を飛び出し、門の外へと駆けていった。

呆れた視線でそれを見送った朽葉糺くちばあざなは、積み上げられた品を片付けようと袖を捲り――


視線を感じて振り返った。厨の入り口にさっと二つの影が過り、壁の向こうに身をひそめる。

その動きがまるで懐いていない子猫のようで、朽葉糺は思わず口元を緩めた。


微笑ましいと言外に語る笑みは、背景が古びた、小さな厨であっても非常に魅力的だった。

この場に妙齢の女性がいれば、甘い視線にくらりと崩れ落ちたことだろう。


『視線だけで女を惹きつけるくせに、寄ってくる蝶には蜜すらやらない。氷の花を人にしたら、お前みたいになるんだろうなあ。女だったら口説くのも楽しかっただろうに』


貴族に好まれる優美さには遠い顔立ちながら、冷艶とした色香で老若問わず、異性の視線を攫う糺をそう茶化したのは、右腕ともいえる幼馴染だった。

決して女性的なわけではなく、むしろ精悍といえる容貌。にもかかわらず、男臭く厳つい一族の中で浮いた“綺麗な顔立ち”を堂々と揶揄ったのは、彼が最初で最後だった。


譬えのままの氷の笑みで、一撃で幼馴染を床に沈めた糺に立ち向かう無謀さを、誰も持ち合わせていなかったのだ。賢明なことに。




朽葉糺が帝の第三皇子に出会って、数日が過ぎた。

第三皇子は未だに彼を警戒しているが、ああして傍を離れる度に探して覗きにくるあたり、多少は気を許し始めているのだろう。


呪い子、狂った皇子、帝の唯一の瑕疵かし


年に数度宮廷に顔を出す程度の糺にも、第三皇子の噂は届いていた。

呪われている、ならまだ優しいもので、小動物を甚振る趣味がある、心を病んでいて祖母すら殴る親不孝者、礼儀も知性もない恥さらし、と誰もが口をそろえて嘲笑う。


宮廷の噂は真偽もだが、流す人間の意思も強く表れる。

ここまで悪評しかないということは、本当に疎まれるような存在であるか、誰かが徹底的に第三皇子を排除したいのだろう。


そう、他人事のように思っていた。

稀人が優遇される宮廷において、只人の領主の取れる道は二つだ。官職を得ようと神使四家しんしよんけや皇族に取り入るか、嵐を避けて自領のことにだけ注力するか。そして糺は後者を望んでいた。

宮廷で出世したいとは思わない。無論、領地を得ている以上完全に無関係とはいかないが、争いに進んで介入する気もない。よく言えば中立、悪く言えば積極性がない立場にいたかった。


それが今やその皇子の宮で厨に立っているのだから、人生とは予想できないものである




初めて月長宮を訪れた時、崩れ落ちそうな屋根や壁にはもちろん、生活物資さえも零に等しい有様によくもここまで、と呆れたものだった。

安全を確認したその足で侍従長を探し出し、式部省しきぶしょうに連行。そのまま諸々の―――糺からすればを経て、物資と人手をもって月長宮へ向かったのが翌日のこと。


第三皇子が毛を逆立てる猫のように驚いて、逃げ出したのが到着十秒後。

梓が追いかけて姿を消したのが、更に五秒後。あと五秒遅ければ護衛の基本についてあの場で説教するところだった。


幸い、朽葉の一族はやんちゃな子供がほとんどなので、鬼ごっこもかくれんぼも慣れている。

式部省の友人から中継ぎの侍従を押し付ける書類を受け取り、大工と生活品を運んできた下働きに指示を出し、昼食の支度を整える。一通り終えたあと、二人を呼びに森へ入ってから背後に立つまで、十分をかけた。


「お食事の用意が出来ましたよ」


驚かさないよう、努めて優しく声をかけたつもりだった。

だが第三皇子は口を開けたまま固まって、ぴくりとも動かなくなってしまった。一族の子供らなら悔しがって終わるのだが。首をかしげて、そういえば自分の一族はあまり普通ではなかったことを思い出した。


梓を護衛に選ぶくらいなので平気だろう、と無意識に思い込んでいたのかもしれない。


表には一切出さずに反省していた糺だが、もしも梓が心を読めたなら、そういうことじゃないから、と一言物申しただろう。

ただ彼女は糺の前では口を噤み続けると決めていたので、師の表情からほぼ正確な心の内を推測しても、沈黙を貫いた。



「梓、梓、すごい、すごいぞ、米がある」

「うわ、こっち牛肉だ。あ、あんたの好物もあるよ」


厨に積まれた食材にはしゃぐ姿は年相応。だが喜びながらも油断なく品を検分する様子は、普通ではない。

口に入れるもの、身につけるもの、見知らぬもの、全てを顔色一つ変えずに疑ってかかる。“今”には“過去”が現れる。それが真実だと、糺は判断し―――驚いた


帝の皇子にここまで酷い扱いをして問題にもあがらないどころか、その状況が噂にも上がっていないのは、異常だ。

第三皇子の生母の親族は健在。それでこの状況ということは、親族はもちろん神使四家のどこか、あるいは四家全てが黙認しているからだろう。


そして助けを求められない、求めることすら思いつかない、そんな子供を生んでしまった


人の形をした魍魎が跋扈するこの城で、庇護を持たない子供がここまで生き残る、それはどれほどの奇跡だろうか。



――――助けて、ほしい、です



いつかの冬。小さな手をとった日を思い出す。

あの手をずっと繋いでいられなかったこと、彼は今でも後悔している。





「ちょっと待て。いや、待ってください。三の君と梓は同じ布団で寝ているのですか?」


―――ひとつ、ひとつ、当たり前であって欲しいことを増やしていく


「楽に話してくれていいぞ。そうだ、布団は一組しかない」

「それに夜は襲撃が多いから、近くにいた方が守るにも逃げるにも早いし」


ね、と顔を見合わせる主従に片手で顔を覆ったのは何度目だろうか。

この2人の間にそういったことがあるとは思わないが、流石に11歳と16歳で同衾はまずい

いやそれ以前に、皇子の宮に寝具が一組しかないなど論外だ。


「「ふかふか・・・」」

「もう少し暖かくなったら薄手のものに変えましょうね」



―――ひとつ、ひとつ、必要なものを与えていく



「正直、後任を探すだけならすぐ見つかる。前のと大差ない奴でいいならな」


かつては机を並べた友人は、平静の仮面を被って自嘲した。


「あれでもなのをねじ込んだんだ。吟味しろというなら、お前も協力してくれ」


見ないふり、諦めるふり、良心を騙さなければ生きていけない。そういうものだと、知ってしまった顔。





「なぜ、ここまでしてくれるんだ?」



全く似ていないのに、黄金色がちらついた。

自分と同じ黄金色、自分と違う海色の瞳で、永遠に変わらない姿で、


もう会えない子供が囁く



―――忘れたの?



忘れてない。忘れるわけがない。忘れられないから、選んだのだ。






宮廷で出世したいとは思わない。無論、領地を得ている以上完全に無関係とはいかないが、争いに進んで介入する気もない。よく言えば中立、悪く言えば積極性がない立場にいたかった。


―――梓の存在がなければ


再会したのは偶然だった。梓が朽葉を出て一年以上、連絡を取ったことはない。

それでもいつも、愛弟子のことは心に留めていた。第三皇子が唯一傍においた護衛の少女、皇子と同じ乱暴で凶悪な存在、狂皇子きょうおうじ凶刀きょうとう。只人の平民など、とあげつらわれながら、凶悪とまでいわれる強さを讃えられる娘は、天地広しといえどそうはいない。梓だろう、とは思っていたが確認はしなかった。


あの子はきっと、私が関わることを望まないだろう


ただ、元気でいてくれればよかった。

友人に頼まれたとはいえ、兵部の補助を引き受けたのは遠目でも、無事な姿を確認したかったからだ。まあ、色々と大雑把なあの子に護衛が務まるのか、という心配もあったが。


そして梓と、第三皇子の姿を見つけた


皇子は思ったよりも幼く、物珍し気に当たりを見回す姿は、一族の子供達を思い起こさせた。

顔は髪でよく見えなかったが、梓と話す姿には互いを厭うている様子はない。


よかった


あの子が留まるところを見つけられて、安堵した。

だからもう関わることもなく、一方的な再会で終わると思っていた。



―――あざな


あの子に名前を呼ばれるまでは






荒波を避ける道も、傍観者でいる道も、もう捨てた。


だから今日も彼はここに居る。

関わることは無いと決めていた場所に、自らの意思で立っている。




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