朽葉の鬼神



突然現れて、あっという間に敵を倒してしまったのは、時雨が会場で見かけたスーツの男だった。

光の加減で金に見えた髪は、秋に色づいた銀杏いちょうのような黄金色。の、陽光を紡いだような金髪とは全く違っていた。


血と脂を払って刀を鞘に収めると、更に同じ黒いスーツを着た者達が何人か現れる。


「棟梁」

「何人か生かしてある。捕らえて兵部省に引き渡せ」


男の声は大きいわけでもないのに、よく通った。妃や皇女の威圧的な声とは違う、誰かに届けるための声だ。

じっと様子を伺っていると、男が振り返ってこちらに近づいてきた。反射的に梓の手を引いたが、梓はぴくりとも動かない。顔はいつもの無表情に戻っているが、さきほど男の、多分、名前を呼んでからずっと様子がおかしい。


男は二、三歩分ほど離れた距離で立ち止まった。遠目に見た時も背が高い、と思ったが、近くで見ると思った以上に高かった。時雨が知る大人は少ないが、その中でも彼より背が高い大人を見たことがない。顔を見るだけでも首が痛くなりそうだ。

それに丸太みたいな腕の衛士たちほどではないが、体つきはかなりしっかりとして、何もしなくても威圧感を覚える。先ほどもお荷物の時雨がいたとはいえ、梓が苦戦していた者達をあっという間に倒してしまったので、実際に強いのだろう。


男と梓はどういう関係なんだろうか、身を潜めて二人が口をきくのを待っていたが、なぜか男は膝をついて、時雨に視線を合わせた。


「お初にお目にかかります、三の君」


丁寧に礼をされ、時雨はしばし言葉を失っていた。今までこれほど丁寧に時雨に声をかけた大人はいなかったし、なにより振る舞い、言葉だけでなく、その声がとても優しく聞こえたからだ。


暗い未来は視えない。それでも不安はぬぐい切れず、半分梓の背に隠れるようにして、時雨は男に頷いて見せた。

その反応に何を思ったのか、男は穏やかな笑み浮かべた。切れ長で冷たい枯葉色の瞳が和らぎ、威圧感は霧散した。代わりに端麗な顔立ちが際立って、同性なのにしばし見惚れてしまった。


「私は朽葉くちばあざな、本日は兵部卿の依頼で警備の補助に参りました」

「朽葉?」


意外な家名に時雨は目を瞬かせた。本で読んだことしか知らないが、朽葉は歴史だけはあるが稀人が1人も生まれたことがない家だ。加護を持たない家は、それだけで蔑みの対象となる。

宴でも神使四家の者達は楽し気に振る舞っているが、それ以外の者達は稀人たちに目を付けられないよう隅で縮こまっているか、彼らに取り入ろうと媚びへつらうかのどちらかだった。

だが彼、朽葉糺には彼らのような委縮も媚態も似合わない。というより、そういった行動に縁遠いような印象を受ける。


「巡回していた所で侵入者を発見し、追跡していた所でした。お怪我ははありませんか?」

「ない」


短く答えて、時雨は梓が何か言ってくれないかと期待した。だが梓は沈黙を貫いていた。それに目を合わせて話してくれる人を相手に、いつまでも隠れているのも気が引けて、梓の背から離れて前に出る。

朽葉糺はざっと時雨の全身に視線を走らせると、お怪我がなくてなによりです、と頷いた。


「三の君の護衛はきちんと仕事をしたようですね」


最後だけ、朽葉糺は梓に視線を向けた。どこか含みのある物言いに、びくりと梓の体が揺れる。

ぴりぴりとした気配は警戒心とは少し違うようだ。時雨が梓の様子を伺う前に、朽葉糺は視線を時雨に戻して続けた。


「兵部卿に侵入者の件は伝えましたので、生誕祭も間もなく終わるでしょう。会場に戻られるよりは、このまま宮に戻られた方がよろしいかと

供の者はどちらに?呼んでまいりますので名か特徴を・・・」

「供は梓だけだ」


一瞬、朽葉糺の表情が固まったように見えた。しかし瞬きの間にそれは解けて、彼は何もなかったかのように頷いて


「わかりました。では侵入者がまだ潜んでいるかもしれませんので、宮までお供致します」

「え」


正直、よく知らない大人が近くにいるのは嫌だ。だが時雨がはっきりしないうちに、朽葉糺は部下を呼んであれこれと指示を飛ばす。


「三の君をお送りする。月長宮への経路に賊が潜んでいないか調べろ。それから―――」


彼の意識がそれた隙に、時雨が梓の袖を引いた。今度は梓もすぐに反応した。続けて袖を引くと意図を察して、時雨を抱え上げる。時雨は傍目から見れば幼子に見えるので、密談するならこの体勢が一番不審に思われない。


「どう思う?」

「・・・・・・どうって、なにが」


梓にしては珍しく察しが悪い。それに周りに武器を持った者が多いのに、あまり警戒もしていないようだ。


「なにって、朽葉とは初対面だ。これほど気遣われる理由はない

なにが目的だと思う?宮まで付いてくるようだが、断った方がよくないか?」


梓はいつも率直に物を言うのに、今は言葉を選んでいるのか、口をわずかに開いては閉じてと繰り返す。そして絞り出すように出した答えは。


「ただの善意だから、害はない」


今、おおよそ藤枝梓の口から出たとは思えない台詞が飛び出した。二人にとって善意とは悪意と下心の隠れ蓑である。それを害がない、ということは裏がない善意ということだろうか。


「知り合いだからそう言っているのか?」

「・・・・・・」


疑問形だったが、時雨は確信した。間違いなくただの知り合いではない。無関心と疑心の塊である梓に善性を信じさせられるほど、深い繋がりがあるはずだ。


「もしかして幼い頃に別れたという家族か?兄がいるとは聞いてなかったが」


互いの素性を話した時に、梓の家族については聞いていた。家の繋がりは馬鹿にできない。気を許した途端に家族に言われて裏切られた、では困るのだ。

確か梓の父は生まれる前に亡くなって、母親は治癒の加護持ちだが定職にはついておらず、伯父の支援で梓を育てていたが、弟子入りしてからは一度も会っていないと言っていた。

兄妹がいるとは聞いていないが、笑顔を消した朽葉糺の冷然とした雰囲気は、梓が他人に向けて放つ空気感に近い気がした。


「佇まいというか、雰囲気がちょっと似て「似てない」


言い終わる前にばっさりと切り捨てられる。渋い表情をしているが少し、ほんの少し口角が上がった。微笑みというには本当に僅かだ。だがその僅かでも、梓の口が緩むところを時雨は初めて見た。

ますます怪しい。じっと疑いの眼差しを向けると、根負けしたのか鬱陶しくなったのか、梓が嫌そうに口を開いた。


「佇まいというなら、教わったのだから似ていてもおかしくはない」

「教わった?」


首をかしげる時雨に、梓はぽんと腰の刀に手を置いて


「武術」


時雨は驚いてぽかんと口を開けた。梓が五歳から十年間、武術の師の元で暮らしていたのは聞いていた。だがもっと老齢の、元軍人とかそういう師を想像していたのだ。

朽葉糺という男はまだ三十にもなっていないように見える。梓が弟子入りした十一年前ならもっと若かっただろう。


「・・・もしかして若く見えるが、彼はすごく年上なのか?」

「二十六だから、まああんたにはすごく年上ね」

「若すぎないか!?」


思わず声を上げてしまい、はっと口元を抑える。幸い、部下と思しきスーツの一団に指示を出す朽葉糺には聞こえなかったようだ。


「朽葉は特別。あの家は加護がないのに、武術の腕一本で稀人至上主義の天地あめつちで名を上げた家だから」


その中でも、糺は別格


「糺は八歳で、武の一族朽葉の最強になった―――朽葉くちば鬼神きしんが、私の師匠」








結局、朽葉糺は月長宮まで付いてくることになった。道中は時折体調を聞かれたくらいで、余計な口は一切きかなかった。本当に警護だけしかしなかった。

ただ流石に月長宮を見た時は驚いたようだった。更に女官や侍従はもちろん、下働きすらいないと言うと笑顔が少し恐ろしくなった。


「皇族の宮には専属の家令か侍従長がいるはずですが、そう名乗る者が顔を見せたこともありませんか?」

「いない、と思うが・・・・・・あ、梓が護衛になったときにそれらしいのが来たな」

「え、いた?」


梓は全く心当たりがなかったが、時雨にその時の状況を言われて少し思い出した。

白夜城に初めて来た時、勝手に護衛を決めるなど、と騒いだ男がいたのだ。時雨が誘拐された事には一度も触れずに、権限がどうこう喚いていた。


「護衛はもういるから必要ないって喚いてた奴?」

「それだ。一度も見たことない衛士たちを連れて護衛だと言っていた」

「ああ。それで全員ぶっ飛ばしたっけ」


確かどうしてもというなら実力を証明しろ、と言われたから素手で全員昏倒させたら逃げ出して、それきり見ていない。まあ時雨もその時初めて見た、と言っていたが。


「わかりました。では失礼ですが、私が中を確認しても?刺客が潜んでいないとも限りませんので」

「え、そこまでしてくれなくてかまわないぞ」


余計な事を、と梓は心の中で舌打ちした。さっさと帰って欲しいのに、この状況で糺がただ帰るはずがない。いや、あれはもう既に誰かをどうするか決めた顔だ。


「三の君の安全に気を配らないわけにはいきません。ご不便をおかけしますが、ご容赦ください」


にこりと笑顔を向けられると、時雨はそれ以上何も言えないようだった。罵られても無視できるのに、親切は拒めない。

糺がさっさと宮に入っていっても、梓の袖を握るのが限界だ。


「・・・あれは本当に善意か?やりすぎじゃないか?絶対に何か魂胆があるぞ」

「あんたに取り入って利点ある?」

「油断させて殺せば、恩を売れる」


言葉は淡々としているが、袖を握る手は少し震えている。ああ、こいつ、まだ怖いのか

―――流石、旭と魂が同じだけある


「わざわざ危険なことを引き受けてくれるなら、いいでしょ。使えるものは使えばいい」


さっさと割り切ればいいのに。満足すればすぐ帰るだろう。

なおも不安を垂れ流す時雨の口に、トマトを押し込んで黙らせる。


ある意味で、梓も楽観していたのだ。この時は




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