希望は秋色のかたちをしていた



「生誕祭?また?」


うんざりだと顔を顰める梓に、時雨は深々とため息をつき、手元の紙を梓にも見えるように広げた。

中身は文面だけは丁寧な、生誕祭への招待状だ。主催者の侍従が届けに来て、ついでに長々と厭味ったらしいことをいったので、さっき梓が首根っこ掴んで叩き出してきたところだ。


時雨の背後から招待状を覗き見た梓は、文末の送り主の名に顔を顰める。


「第一皇子って、あんたによく毒入り饅頭持ってくる第一皇子?」

「ああ。帝の一番上の子供だな」


呪い子を哀れに思った素晴らしい第一皇子の慈悲をありがたく受け取れ、と十倍くらい長く畏まった言い回しで、やたら偉そうな侍従が、数カ月に一度の頻度で月長宮に現れる。おかげでその存在だけは嫌でも覚えてしまった。

施しなのだからすぐにありがたく頂戴しろ!と毒入り饅頭を食べさせようとする侍従を脅して追い出すのは梓の仕事だ。刺客に比べれば片手で終わる仕事だが、いちいち厭味ったらしいので刺客より鬱陶しい。


ちなみに他の来訪者は幽鬼か、嫌がらせに来た馬鹿か、食料を門外に放り出していく下働きくらいだ。

どれも何かしら仕事を増やしていくので、歓迎すべき来客は今まで皆無だ。


「確か北嶺ほくりょう家の妃の子だったはずだ。ほら、招待状も青い染料が使われてる」

「ああ、神使四家しんしよんけの」


天地の身分関係は明快だ。加護と呼ばれる特殊な力を持つ“稀人”が上、加護を持たない“只人”が下。これが絶対的な原則。

さらに稀人の中では天界の主の子孫である帝。次が皇族、そして初めに加護を与えられた稀人の一族・神使四家が絶対的な存在として君臨している。


天界、常世、中つ国がひとつとなった後、不死を失った神々が地上を支配し、天地を興した。

初代の帝があの旭だと知った時は怖気がした。さらに彼女の守り人だった四柱の神が神使四家の租と知って、絶対に近づかないと心に決めたのは何代前の前世だったか。


恩恵と秩序を遍く届ける風、蔓延る災禍より世を守る火、天落ちてなお世を支える地、生まれ散る命の輪を示す水


四つの力を持つ四つの家、東儀とうぎ南淵なぶち西蓬さいほう北嶺ほくりょうはそれぞれ象徴ともいえる色があり、稀人は多少色合いこそ違えども、家の色の瞳をもつ。さらに家の名を誇示するように、神使四家はもちろん分家の者まで衣装や小物にもその色を取り入れているので、一目でなんの加護をもつか分かるようになっている。

招待状に使われている青は水の加護をもつ北嶺家のものだ。ちなみに前回の生誕祭の主役・第二皇女とその母・紅玉妃は火の加護を持つ南淵家の血筋で、彼女らの衣装が赤一色だったのは家の色だからだ。派手なのは本人の趣味だが。


「帝の子って六人よね、あんた何番目なの?」

「五番目だと思う。僕の下は一人だけだったはずだ。増えてなければ」


月長宮は他の宮と物理的にも心理的にも隔絶されているため、外の情報はほとんど入ってこない。

こうして招待状がくるから、全員の年齢や後ろ盾くらいは把握しているが、その程度だ。宴に出ても話もしないので、時雨も顔はおろか名前も朧げにしか分からない。


「で、あとはそっちの包み?また毒入り饅頭?」

「饅頭はこっちの箱らしいから違うと思う」


招待状と一緒に贈られた箱と包みに交互に視線をやって、梓はまず包みに手をかざした。変化はなかったので開くと、中には藍色の着物が入っていた。


「危ないものは仕込まれてないみたい」

「前は毒針やら蛇やら入っていたのに、珍しいな」


念のために梓が手に取って広げてみたが、おかしなところは無い。時雨もなにも視えていないということは、着ても大丈夫なのだろう。

続いて箱の方に手を向けると、箱から弾けるように饅頭が飛び出して、畳に落ちた。


「こっちはいつも通りね」

「勿体ないが燃やすしかないな・・・それにしても梓、この食べ物が飛び散るのはどうにかならないのか?」


畳の上に無残に飛び散った饅頭に、時雨は肩を落とした。畳の目に入り込んだ食べ物を掃除するのは大変なのだ。


「出来るならとっくにそうしてる。あんたの未来視と同じ、思うようには出来ない」


諦めて、と梓は布巾と箒をとりに向かった。思い通りに使えず歯がゆいのは梓も同じ事だ。


天界を取り戻すためにと神が与えた加護は神使四家が使う火、水、地、風。

代を経ることにそこから派生した加護が更に四種類あり、稀人はそのいずれかの力を持っている。


ただ梓の加護は、それとは少し事情が違う。

梓の力は朧が常世神に与えられた加護で、何代か前の前世で調べた者がいたが、朧の転生者以外にこの加護を持つ者はいなかった。

一応感覚的に使えはするのだが、神だった朧はほぼ無意識で使っていたため、梓達には加護の範囲や効果といった知識が受け継がれなかったのだ。毒や熱さなど使用者にとって邪魔なものを一時的に消すことが出来る、ということだけは分かっている。

上手く使えば熱を消してシャンデリアにも平気で乗れるようになるが、上手くいかないと毒を消そうとしても饅頭が爆発する。他の加護も消せるが、強い力を消すと体力を著しく削られ、逃げる体力が残らないので、便利なのか不便なのか。

後片付けは大変だが死ぬよりマシなので、毒見代わりに使っているくらいだ。戦闘にはそこそこ使えるが、家事ではあまり役に立たない。



飛び散った饅頭を片付け、野菜を齧って夕飯を済ませると、梓と時雨は寝床として使っている部屋で改めて、招待状と贈られた衣装を広げた。


「普通なら、これ着て生誕祭に来いってことなんだろうけど・・・」


毒饅頭を贈るような奴が、そんな親切なことをするだろうか。何もないことが逆に不穏だ。

捨ててしまうのが一番いいのだが、なにせ見た目から備品に至るまで全てぼろぼろ月長宮。当然二人の衣装もまともなものは少ない。

一張羅といえば二の姫生誕祭で着た梓の黒いスーツと、時雨の黒い羽織袴くらいだ。使えるものなら貰っておきたい。


「・・・とりあえず、着てみるか」


中身は普通の羽織袴のようだ。藍色の羽織に薄い紫色で菖蒲が描かれている。中の小袖は灰色がかった白、袴は茄子色と十一の子供に贈るには暗い色合いだが、時雨には似合っていた。

前髪をおろしてしまえば何を着ても幽霊のように見える時雨だが、柄のせいか大きさがぴったりだったせいか、今は普通に暗い子供にみえる。


「おお・・・なんか、すごく着心地がいいぞこれ」

「あんた一応皇族なんだから、ほんとならそれが普通なんだけどね」

「今更だろう、そんなの。本当になんで贈ってきたんだ、冥土の土産というやつか?」


発想が悪い方にしかいかない二人は結局、これから殺す異母弟への餞別の品、という結論に落ち着いた。梓や時雨にとっては滅多にない高級品も、第一皇子ともなれば当たり前に持っている品に過ぎない。惜しい、とも思わなかったのだろう、と。


襲撃される前にいつもの麻の着物に着替え、もらった方はがらがらの物置に仕舞い込んだ。

生誕祭は来週だ。それまで刺客や幽鬼に破られないことを願うしかない。


「とりあえず着るものは用意出来た。梓の服もまた近づいたら日干しにしよう」

「気にするやつなんていないわよ」

「臭いのはいやだぞ。それに顔を出すだけとはいえ、前のことがあるからな。また紅玉妃や第二皇女に捕まりたくはないだろう」


なおも面倒そうな空気を隠さない梓だが、口ではそう言ってもやるべきことはこなすので心配はしていない。梓は身だしなみに無頓着なわけではなく、着物が黴臭かろうが食べ物が木の根だろうが関心がないだけだ。もっとも梓が物にも人にも執着を示したところなど、時雨はみたことがないが。

今も丈の合わない単衣姿で、薄い布団に頬杖をついて寝転がったまま招待状を読み直している。


「今回は室外でやるのね。咲き誇る紫陽花と水遊びをお楽しみください、だって」

「数か月前に幽鬼が現れたばかりなのにな」


第二皇女は時雨のせいだ!と喚き散らしていたが、そもそも月長宮以外に白夜城で幽鬼が現れたことはない。

時雨が生まれた時と、前回の生誕祭が例外なのだ。それまでも時雨は何度か月長宮の外に行ったことはあるが、幽鬼が現れたことはない。月長宮に戻った途端に襲われたことは何度もあるが。


それは呪いもちの梓がいても同じで、月長宮自体が呪われているのでは?と考えたこともある。

まあ今更一つ二つ呪いが増えても変わらないし、他に住む場所もないので、どうしようもない。

だが他の場所に現れたなら、それは明らかに異常事態だ。そんな時に屋外で宴など、呑気なのか、それとも時雨たちが知らないだけで解決したのか。


「ん、ああ、警備は増やしてるから安心しろって書いてあるわね

ふーん、北嶺はそれほど戦闘に長けてるわけではないけど、南淵にでも頼んだのかな」

「南淵ではないと思う。南淵の紅玉妃は第二皇子の母親だから、第一皇子とは東宮位を争っているはずだ」


ふむ、と梓は乏しい知識を掘り返した。時雨以外の皇子皇女の母は北嶺、南淵、東儀出身だと前に聞いた。西蓬は帝の母の生家だが妃はおらず、東儀には皇女しかいない。敵にならないどちらかの家から力を借りたのだろう。


「そういえばあんたの母親ってどこ出身なの?」

「聞いたことはないな。母の母は裕福そうだからそれなりの家だろうが・・・目の色も神使四家の色ではないし、どこかの領主の子だったんじゃないかな」


梓は一度だけ時雨の親族と会ったことがあるが、確かに身なりはよかった。それ以外は醜悪すぎて記憶から排除していたが。


帝の妃になるくらいの領主で、神使四家以外か・・・


ふと、頭に浮かんだ人を、頭を振って打ち消した。それはない。もしも時雨の母親があの家の出なら、時雨が痩せこけるまで放っておかれるはずがない。

そんなことを許す人でも、見逃す人でもないから、だから、私は―――


「梓?」


いつの間にか蝋燭は消されていて、部屋は暗闇と静寂に包まれていた。


「すまない、聞こえてなかったか?灯り、もう一度つけるか?」

「いい。もう寝よう」


――――早く眠って、忘れてしまえ


自分にはもう懐かしむ資格も、恋しく思う資格もないのだから。








「すごいな」


時雨の心からの感嘆の声に、梓も今ばかりは素直に頷いた。

第一皇子の生誕祭の会場は、白夜城内にある湖の中にある庭園だった。水に囲まれる浮島には色鮮やかな紫陽花があちこちに飾られ、周囲に浮かんだ船の上では楽士たちが軽快な音楽を奏でている。


「前に書物で見たことがある。庭園で開く宴をガーデンパーティというらしいぞ」

「へぇ。外で食べるなんて変だと思ったけど、派手なだけの宴より趣味はいいわね」


白い布がかけられたテーブルの上には、一口サイズの食べ物が並んでいる。

どれも小さいながら綺麗に飾り付けられており、新緑の庭に映えて華やかだ。参加者も北嶺家主催だけあって青や水色の装いが多いせいか、初夏の陽気の中でも涼やかに感じる。


疎まれる身でなければ見て回りたいところだが、そうもいかない二人は庭の片隅から会場を見回した。参加者に離れて動く薄墨色の一団に、梓は目を眇めた。


「ああ。神使府衛士しんしふえじも増やしたのね。飾り紐が翠だから協力したのは東儀か」


神使府衛士は稀人のみで構成された、要するに神使四家とその分家しかいない軍隊だ。帝の警護や幽鬼の討伐といった、いわゆる花形の仕事は彼らが独占している。


「ん?他にも警護がいるぞ。洋装だが、みたことないな」


時雨が顔を向けた先を追うと、薄墨色の袴姿に黒い詰襟を着た数人が近づいて、なにか話しているところだった。かなり離れている上に、前髪が簾みたいになっているのに、よく服装までわかったものだ。


「洋装なら稀人じゃなくて只人の、兵部省ひょうぶしょうの衛士ね。神使府衛士は人数も限られてるし、雑用代わりに使われているんでしょう」


稀人と只人の待遇差は色々な所に現れる。同じ衛士でも只人は稀人がしないような街の警邏や軽犯罪の取締、備品の点検など雑務を押し付けられている。

たとえば警備ひとつとっても、不審物の調査や安全確認は只人が行い、そのあとを要人を囲んだ稀人が通る。刺客が現れれば攻撃はするが、逃げた後を追うのも、捕らえた罪人を管理するのも只人だ。


「宮中の制服はみな和装だと思っていたが、洋装もあるんだな」

「ドレスみたいな絹の衣装ならともかく、下っ端で洋装なら間違いなく只人ね。稀人は女官も侍従も全員和装だから」


梓は警備の様子だけ確認するとすぐに興味を失くしたが、時雨はしばらく洋装の一団を眺めていた。

ふと、兵部省の衛士とは違う者たちが目についた。黒い洋装は同じだが、詰襟ではなく、梓が着ているスーツと同じように見える。また衛士が屈強な男たちばかりなのに対し、スーツを着ているのは細身で、梓と同じような年の者が多い。もちろん鍛えていると一目で分かる者もいたが。


何者だろうか、とじっと見ていると、スーツのうちの一人と目が合った


金の髪色に、そんなはずはない、と目を擦った。金色だけはありえないはずだ。

よくよくみると陽光で金色に見えただけで、もっと鈍い色合いだった。他の者より頭ひとつ以上飛びぬけて背が高く、やけに目立つ男はしばし時雨を見つめていた。

見られるのは慣れているが、他とは違う様な気がした。


それが何かはっきりしないうちに、男は驚くことに、本当に驚くことに時雨に――にこりと笑いかけて、どこかへ行ってしまった。

遠目に見間違えたのかとも思ったが、思い返してやっと、違和感の理由に気付く。


男の視線にはいつも時雨を取り巻く悪意が、全く感じられなかったのだ。


・・・気のせい、ではないよな?


もしかして時雨だと気づかなかったのだろうか。顔はいつも髪で隠しているし、呪い子でも狂った第三皇子でもなく、ただの子供だと思ったのかもしれない。いや、絶対にそうだ。


「なにかあった?」


落ち着きのない時雨を梓が見とがめ、刀に手をかける。時雨が慌てて頭を振ると、すぐに注意を周囲の人々へと戻した。時雨は何となく、もう一度だけ男を探して辺りを見回したが、男の姿はもうなかった。








主役の挨拶に始まり、老神官が長々と建国の神話を語って帝を称える。客人たちは料理や紫陽花を楽しみ、梓と時雨はさっさと帰る―――はずだった


「やっぱり死装束だったわね、その服」

「なってたまるか!うぐっ」


梓が斬りかかってきた敵を打ち返すと、足元が大きく揺れる。船べりにしがみつきながら、時雨は吐き気を堪えて口を押えた。

義理は果たしたのでさっさと帰ろうとした矢先、本日の宴の趣向で、と舟遊びが提案された。会場の隅にいたせいで逃げる間もなく、いの一番に小舟に乗せられてしまったのだ。


船には一艘につき一人ずつ、水の加護持ちがつき、湖と川を回って戻ってくることになっているそうだ。

妙な未来も視えず、舟の担当である稀人も時雨たちの正体に気づいていないのか、屈託なく笑いかけた。この先は金鳳花が綺麗で、あの川べりを通ると踊り子の舞踊が見えて、と饒舌に話しかけてくる。ここで下手に逃げ出して目立つよりは、さっさと終わらせて帰る方がマシだと思い、二人は大人しく案内人の言葉を聞き流し続けた。


事態が変わったのは、湖から繋がる小川にうつり、竹林の中を抜けていた時だった。


「あれ」


異変に気付いたのは舟を任された稀人だった。梓とそう年が変わらない少年は少し眉を寄せて、立ち上がって周囲を見回す。


「すみません、もうくるはずなんですけど・・・」

「なに?」


梓が剣呑な視線を向けると、少年は眉尻を下げて


「ここで先輩たちが水芸をして、引き返す予定だったんです

ゆっくり見えるように場所は舟によって違うんですが」


周囲は静寂に包まれており、物音一つしない。芸を披露するにしては静かすぎる。

背後に座っていた梓が、懐に時雨を抱え込んだ。少年も流石に不審に思ったのか、水色の瞳に警戒の色を浮かべて。


「安全のために引き返します。揺れるのでお二人はしっかりつかまって―――」


目の中に光が散った。危ない、と時雨が叫ぶのと、逃げて、と叫んだ少年が矢を受けて川に落ちたのはほとんど同時だった。

小舟が大きく揺れて、勢いよく動き出した。少年が使った加護だろう。だがそれもすぐに、恐らく少年の命が尽きると同時に、効果が切れた。


「伏せろ、来る」


襲ってきた者達は十人以上いただろう。時雨が確認できたのはそこまでだった。

初めに斬りかかってきた男の腕を斬りおとし、足蹴にして小舟の外へ突き落す。


「やっぱり死装束だったわね、その服」

「なってたまるか!うぐっ」


反対側から襲ってきた男たちと打ち合い、飛んでくる矢を斬り捨て、梓は舌打ちした

場所が悪い。地上に移らないと。


時雨を抱えて跳べば届くだろうが、斬撃の合間に矢が飛んでくるせいで難しい。

陸地なら二十人程度敵ではないが、足場が定まらない小舟では分が悪い。それも向こうには水の加護持ちがいるらしく、先程から水を揺らして更に足場を悪くしている。梓の加護で打ち消してはいるが、足場にばかり集中すると戦闘が疎かになる。


「梓!もうすぐ矢が止むぞ!」


時雨の声に襲撃者たちが僅かに動揺を見せた。その隙に蹲る時雨を抱え、梓は小舟から跳躍した。男たちの上を飛び越え、竹林の中を駆ける。


「なにが視えた」

「弓をつがえた男が倒れるの、それだけだった」


船頭をしていた稀人の様子からして、関係者全員で策謀したことではない。帰らない舟を案じて誰かが捜索を命じたのか、弓を射る男を巡回の衛士が見つけたのか。


・・・甘く考えるな。白昼堂々、月長宮でもない場所で襲撃してくるなら、間違いなく神使四家は関与しているはず


皇族主催の宴で襲撃など、よほどの力がなければ揉み消せない。

弓兵が排除されたのはただの幸運だ。幸運は続かない、特に梓と時雨には。


「梓!右へ避けろ!」


風切り音がする。長い影がさした。反動を加護で相殺して右に体を倒すと、切られた竹が何本も降り注ぎ、他をなぎ倒し、土埃をあげる。倒れた竹は壁のように前を塞いだ。

槍のように地に突き立つなど偶然ではありえない。風の加護持ちもいるなら、北嶺だけでなく東儀も関わっているのか。


「ああ、もう!」


風の加護持ちは、風を刃のように使える。見えないものは斬れない。梓は逃げるよりその場で迎え撃つことを選んだ。

時雨を背に庇い、極力狭い範囲に加護を展開する。加護が維持できるうちは風の刃が来ても相殺されるが、体力が尽きる前に敵を殺さなければ、死ぬのはこちらだ。


集中しろ、目を、耳を、肌に感じる気配を、全て研ぎ澄ませて――――殺せ


斬る、蹴る、視界を潰し、骨を折って、それでも、しつこいくらいに敵は沸いて出る

首謀者はよほど気合を入れてきたのだろう。正面での打ち合いに弱いこれまでの暗殺者と違って、今回は斬り合いにも慣れている上に、治癒の加護持ちまで用意していた

一瞬で絶命しない限りすぐに治癒され、向かってくる。


瘦せっぽっちの子供を殺そうとする者達には多くの味方がいて、梓たちは二人しかいない。

いつものことだ。今までもどうにかしてきた。


「梓」


背に庇った時雨が小さく呟いた。ああ、もう、今は黙ってて


「僕が」


余計な事は考えさせるな。私たちは二人しかいないんだ、だから



ぐぐもった声が上がった。梓でも、時雨でも、打ち合う男でもない。しかし声は短く、だんだんと増えていく。


「加護持ちがやられた」「後ろから」「なんだ」「敵か」「そんなはず」


「誰だ」


誰何の声に答えはない。おかしい、と意識がそれた隙に立ちふさがる男の首を切って、視界が開けた。把握できないモノは危険だ、確かめないと、来るなら敵だ、助けはない、だから



だから


「頭を下げろ」


だから、援護なんてあるはずがなくて


あるはずがないものが背後にいた敵の身体を斜めに斬って、梓の前に降り立った

秋を思わせる黄金色こがねいろに、昔のことを思い出して、



「 あざな 」



口をついた名前に、男が振り返るなんて。それがこんなにも―――


だから


立ち竦む梓の隣。彼女の表情を覗き見た時雨が目を見張った理由にも

男が朽葉色の瞳を見開いて、何かを堪えるように口の端を噛んだ理由にも


梓だけが気づかなかった




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