お伽噺にもなれない少女の末路
ただそれでも春の終わり、雲一つない快晴の日であれば汗ばむくらいの暑さは感じるもので。
ましてなみなみと水が満ちた瓶をふたつもち、山道など登ろうものなら汗まみれにもなるのは必然だった。
「零さないでよ、時雨」
梓は背中越しに振り返った。形のいい額には汗こそ浮かんでいるものの、足取りはしっかりとして余裕が感じられる。
一方、彼女の数歩後ろでは時雨が両手で瓶を抱え(梓のものより小さい)肩で息をしながら、必死に足を進めているところだった。
「っ・・・わ、かって、る!」
洗いざらして色が落ちた麻の着物を着て、汗だくになりながら水瓶を運ぶ姿はとてもこの天地の帝の御子、第三皇子には見えない。
梓も梓で先日の宴の時とは違いほつれたシャツに擦り切れた袴姿と、汚れてなんぼの装いだ。
姿だけ見れば田舎暮らしの姉弟のようだが、2人がいるのはれっきとした天地の皇居・
白夜城は帝や妃たちの住まいである
そして第三皇子・時雨の住まいは2人が歩く山道の先、山頂にある“
月長宮がある山は内宮と外宮の間にあり、麓までの一本道は内宮に繋がっているのだが、位置だけ見ると外宮にあるという非常に微妙な立ち位置の宮だ。
道中にしても一応子供の足でも登れる山なのだが、休みなしに登りきるのは大人でも難しい、という程度には辛い。
成り立ちとしては、いつかの帝が暑さに弱い妃のために、避暑地代わりとして建てたもので、そこだけ聞くと悪くはない。だがその後は、あまり表に出せない気の病や罪を犯した皇族を軟禁する宮となり、ここ数代は主もいなかったためよく言えば年季の入った――――見た目をそのまま言葉にするなら、ほぼあばら屋のようなぼろ宮となっている。
壊れて半分開きっぱなしの門をくぐり、がたつく裏口をこじ開ける。厨に水瓶を置いたあと、時雨は疲れと達成感で薄汚れた床に座り込んだ。
「つ、疲れた・・・」
「これならもって二日か。明後日また汲みに行くよ」
現実は彼に優しくなかった。ぐうぅと苦悶の声をあげる時雨を小脇に抱え、梓は畑に向かった。
まだ仕事は沢山ある。ここで潰れていては話にならない――――月長宮には二人しかいないのだから。
畑は素人が見様見真似で始めたせいか、実りも少なく種類もない。それでも虫や残飯を漁るよりはマシだ。
「トマト、人参、どっち?」
「・・・とまと」
「ん」
希望通りトマトをもぎ取って時雨の口に押し込む。梓は少し迷って人参を引き抜き、土を払って齧りついた。二人の咀嚼音だけが静かな宮に響く。
視線を上げると青空が目に眩しく、梓は茜色の瞳を眇め、
「そろそろ肉が食べたい」
「言葉にしても余計にひもじくなるだけだぞ」
少し回復したらしい時雨は、体を起こして口いっぱいにトマトを頬張っていた。
水汲みに邪魔だからと前髪を縛っているために、普段は隠された双眸が露になっている。
朝焼けの空を思わせる紫の瞳。その目はいつだって、
ただ今世は腹立たしさよりもずっと、呆れの気持ちが勝っている。
・・・・・・ほんと、似てるのは顔だけね
“彼女”なら野菜をそのまま齧るなんてことしないだろう。いや、周囲がさせるはずない。
あばら屋で暮らし、呪い子と疎まれて、食うに困って木の根を齧るような暮らしをするのはいつだって
―――――藤枝梓は呪われている
怨恨や個人の過失が原因ではない。
根源を辿れば梓が生まれる遥か前、頭に“前”を数十並べた前世に遡る。
未だ天と地、中つ国の境界が明確に分かれていた頃。“
これがまた不遇というか不幸な娘だった。
神々の一柱として天界に生まれたが、醜いという理由で周囲に蔑まれ育った。
双子の妹が百花に勝る美しさを讃えられる女神だったことも、朧への侮蔑を助長させる一因となった。
散々馬鹿にされ、嘲られ、最後は小間使いとして常世に落とされてしまう
とはいえ、常世での日々は朧にとって悪いものではなかった。
常世は死んだ人間、亡者が生前の縁や罪、記憶を禊ぎ、魂だけとなって生まれ変わりを待つ世界。中つ国に人が増えるにつれ、必然的に常世の亡者も増える。そこで管理の手が足りないと手伝いを求めた結果、寄こされたのが幼神の朧だったのだ。
永らく亡者と配下の鬼ばかりの常世で生きてきた常世神にとって、片手で殺しかねないほど弱い、小さな子供は未知の存在だった。初めはどう扱ったものかと戸惑い、最低限の世話だけして放置していた。
だがそのうちに物好きな亡者の助言をうけ、朧と関わるようになる。
普通に生きる人々にとっては、なんてことのない
ただ静かに共に過ごして、常世での勤めを教え、気を配る。
それは朧に取ってずっと渇望していたものだった。
それを与えてくれた神を朧が慕うのは当然で、孤独だった常世神も自分を一途に慕う朧を娘のように可愛がった。
光の差さない常闇の世界で、孤独だった神と神は
常世の者にとって天界や中つ国の光は毒だ。
だが元は中つ国に生まれた亡者や、天界の神である朧には関係ない。
殺風景な常世しか知らぬ娘を哀れに思って地上の祭に朧を送り出したのは、常世神の親心だった。人の娘が心躍らせるようなことを、虐げられてきた娘にも体験して欲しいと。
そこでまさか愛され育った妹・
双子の片割れと再会した旭は喜んで、仲良くなりたいと何度も朧を地上に呼び出し、彼女が暮らす常世にも興味を持った。
しかし常世は不死の神にすら死をもたらす世界。朧も常世神の庇護がなければ不死を失っていただろう。そこに好奇心旺盛な旭が向かえばどうなることか。
気弱な朧はいつもやんわりと断っていたが、旭は納得していなかった。
だからある日こっそりと朧をつけて常世に足を踏み入れてしまった。そのおどろおどろしさにすぐ引き返したものの、唯一目についた果実を盗って。
常世の果実はあらゆる縁、力、記憶、形を奪う。常世の管理者たちは亡者に果実を与え、徐々に生前のものを取り除き、真っ新な魂として次の生へと送り出す。
一口ですべてを失うなら気づけただろう。あるいは朧がその場にいたならば。
だがその日、旭の周りには常世には無知な守り手たちしかいなかった。彼女は皆の前で果実を口にし、不死の権能を失ったことに気付かず、お気に入りの滝で遊んであっさり溺れ死んだ。
神の身ではなんでもない遊びでも、不死ではない身では耐えられなかったのだ。
守り手たちは朧を責めた
――――お前が常世の話などしなければ
――――お前がもっと姫に気を配っていれば
――――お前なんかと出会わなければ
――――お前がいなければ、姫は今でも生きていたのに!
一度は友と思った相手、恋した相手に責め立てられて、追い詰められた朧は禁忌を犯した。
死者を蘇らせることは世界を作り出した始祖の神により禁止されている。
しかし禁じられているということは、可能にする手段があるということでもある。
常世の最奥、常世神が管理する秘宝を使って、朧は旭を蘇らせた。
その禁忌の罰として、妹と友と、恋したひと全てに存在を忘れられた。
ただ“禁忌を犯した”という事実だけが残り、天界の主の前に引きずり出され、罰として殺され、呪いを受けた。
罪を忘れないように、幾度生まれ変わろうとも前世の記憶は残り続ける。
罪を償うために、幾度生まれ変わろうとも死の不幸が襲い掛かる。
そして償う相手を忘れないように、温情などかけられないように、朧は生まれ変わった旭も守り手たちもすぐにわかるが、彼らは朧に気づかない。
呪いは生まれ変わった朧を蝕んだ。
あらゆる形の死が与えられ、その苦痛を産まれた時から覚えている。
不幸になるために生まれ、不幸のままで死んでいく
それが与えられた罰だった―――――が、納得できるかどうかは別の話である
何度も記憶に苦しみ、やめてくれと自分のものではない罪に懺悔を続けた。
だがいつかの誰かがふと、思った――――でもそれ、私がやったことじゃないよね?
確かに朧は罪を犯した。だがそもそもけしかけたのは、追い詰めたのは守り手だ。
更に何度も止めたのに常世に押し入り、無知から死をもたらす果実を食べて、危ないと止められても危険な遊びを続けていたのは旭だ。
彼らはなんの罰もなく、天界が滅びた後も生まれ変わって生を謳歌しているのに、なぜ自分たちだけ?
それも自分が犯してもいない罪のせいで!ふざけんな!!!
病を退けるために体を鍛えた。騙されないように知識をつけた。誰にも負けないように戦闘力を磨いた―――そう、不幸がくるならぶっ飛ばせばいい
何度失敗しても記憶は、知識は残り続ける。呪いもたまにはいい仕事をする、と奮起した先人の失敗を踏み越え、知識を積み重ね、生き残るために努力し続けた末に、幼子のうちに死ぬということは減っていった。
死ぬ回数が減るにつれ、その不幸が襲ってくることも減っていった。ここ百年くらいの転生では滅多なことでは病気にはならなかったし、事故が起こっても戦が起こっても生き残れるくらいの力は付けた。
ただもう一つ、彼女らの死が早まる要因があった。
それは旭と守り手たちの生まれ変わりと関わることだ
なぜか彼らと関わると高確率で濡れ衣を着せられるか、厄介ごとに巻き込まれて殺される。
しかも旭も守り手たちも、生まれ変わるのがやたらと加護や権力がある人間なので厄介だった。
そしてなぜか一度出会ってしまうと芋づる式に全員と関わる羽目になる。覚えてもないくせにやたらと嫌ってくるし。
朧の生まれ変わり達にとって、連中は今世でも超特大の地雷案件だった。
兄妹として生まれた不幸な者もいたが、その点で、梓は幸運だ。
生まれたのは貴人となど出くわさないような辺境の町で、弟子入りした先もそこそこ歴史はあるが稀人ひしめく首都からは遠い。
物見遊山に出ることもなく、十五で出て行くまでほとんど全ての時間を師の家で過ごした。無愛想に振る舞えば人はどんどん離れていった。関わる人間は少ないほどよかった。
利用して捨てられることも、好意を踏みにじられることもないから
その後もとにかく田舎を転々とした。華やかな町、首都に通じる町が徹底的に避け、時には山中の洞窟に寝泊まりし、とにかく絶対に連中に出会わないように気を付けた
いや、気を付けていたのだが・・・
・・・まさかあの旭の生まれ変わりが、乞食みたいなナリで幽鬼に襲われてるなんて思わないじゃない
その辺の孤児かと思ってうっかり助けた後に、心の底から後悔した。
そのまま逃げだすつもりだったが、よりによって時雨は前世のことを覚えていた上に、一目で梓を“朧”と見抜いてしまったのだ。
――――仕事しろよ、呪い
藤枝梓として生まれて一番、呪いを恨んだ。
こっちが分からないんじゃなかったのか、というか幸運に愛されて転生するたびにお姫様扱いの旭が、なんで今世だけこんな有様なのだ。
乞食よりはマシになったとはいえ、今だって梓の隣でトマトを齧る姿は姫には程遠い
それに前世までの幸運はどこに置いてきたのか。天界の姫(の生まれ変わり)だけあって上等な魂で幽鬼を呼び寄せるのに、呪い子として疎まれているせいで守り手がいない。親にすら見捨てられ、親類に嵌められて、誰にも助けて貰えずに死にかけていた。
それを見捨てずこんなあばら屋で暮らしているのは、もちろん同情ではない。
「梓!水瓶!」
隣で座り込んでいた時雨がばっと身を起こし、駆け出した。
梓もすぐさま地を蹴り、一歩で時雨を追い抜いて、数歩のうちに裏口―――厨の入り口に手をかけていた男の腹に膝を叩き込んだ。
そのまま背中から押さえ込み、地面に叩き付けられた男の腕を捻り上げる。痛みで我に返ったのか無礼な、私を誰だと、と喚き散らしたが、梓が喉元に刃を突きつけるとひっと悲鳴を上げ、大人しくなる。
そこでやっと追いついた時雨は、男の懐に手を入れ、目当てのものを探し当てた。
「・・・ふん。また毒か、飽きないものだ」
時雨の小さな掌に収まるほどの瓶の蓋を開けると、透明な液体が入っていた。
色も臭いもないそれが毒だと、当然のように時雨は断じる。
「こいつに飲ませる?」
「死体を片付けるような体力が僕に残ってると思うか?」
自信満々に情けないことを言いながら、時雨は瓶の中身を男の服にぶちまけた。
「皮膚からも吸収する毒ではないことを祈れ」
いつの間にか前髪をおろしていたのだろう。昼日中でも幽霊のような様相の時雨が物騒なことを呟くと、背筋が凍るような不気味さがある。
男は悲鳴を上げて暴れだし、転がるように外へ飛び出していった。
「山で死体が出たら面倒。内宮に放り込んでくる?」
「あの毒では死なない」
断言して、時雨はまた前髪を結び直した。紫の瞳に金の光が散る。
瞬きの間にそれは消えたが、“視る”には十分だったようだ。
「二の姫の仕業だな。怒鳴り散らして処分しろと喚いていた」
おおかた自分が主役の生誕祭を台無しにされたと八つ当たりしてきたのだろう。
それで母親違いとはいえ弟を毒殺とは。生誕祭の時も幽鬼相手に馬鹿な指示ばかりで阿呆だと思ったが、愚かな上に情もないらしい。それが愛娘なんて、帝はとことん趣味が悪い。
まあ、あのぎんぎら赤風船が妻じゃあね
「また何かしてくるかもしれないが、今日ではないだろう
・・・中に戻ろう。昨日今日と視すぎた」
「わかった」
既に足元がおぼつかない時雨の腕をとって室内に戻る。
かろうじて屋根と壁が無事な寝室に戻った途端に、時雨は布団に倒れこんで寝息を立てていた。
・・・前世が旭でも、やっぱり子供じゃ限界があるか
時雨は旭の幸運も守り手も持たないが、唯一受け継いだものがある。
それは天界の主すら持てなかった力―――未来視だ。どんな未来も自由に、とはいかないが危険だけはよく視えるらしい。
守る大人もいない子供が今まで生き残ったのも、未来視で危険を避けてきたからだ。ただどれだけ視えても、戦う力は愚か、体力すらない身では限界がある。加えて未来を視すぎるとかなり負荷がかかるらしく、多用した後はしばらく眠ってしまう。
対して梓は危険を避ける力はあるが、不幸を呼ぶ呪いは常にあらゆる形で襲い掛かり、これまでの生でも十八歳まで生き延びた者はいなかった。
出会った事実はもう無くならない
だったら使えるものは使うまで。呪いだって利用してきたなら、“旭”だって利用する
――――あんた、生きたい?
同情ではない。哀れみではない。償いの心など欠片もない。
自分達は互いを利用し合っている。だから遠慮もしない。いつか不要になったら終わるだけ。
誰かに情を抱けるほど、世界は二人に優しくはないから
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