呪い子たち



遥か、遥か、おとぎ話に語られる昔々よりも、遥か古のこと

世は三つに分かたれていた


神々は日の沈まぬ地、光満ち、生命に溢れる天界


亡者は闇深き地、業火に燃え、禍の集う常世


天より零れた者は狭間の地、神に仕え、天に上るいつかを願う中つ国



近く、遠く、三つの世は保たれていた



常世の神が裏切るまでは


常世の闇は天界を覆い、溶けあい、神々は終焉を、世は落日を知る

朝と夜が生まれ、生の先に死が待ち、三界はひとつとなった


光の半分を奪った常世は、未だ全てを奪おうと手を伸ばし続けている


しかし神々は、最期に大いなる祝福を授けられた

定命の枷を嵌められ地へと降りた血族へ、天へ戻るための術を



恩恵と秩序を遍く届ける風


蔓延る災禍より世を守る火


天落ちてなお世を支える地


生まれ散る命の輪を示す水



四つの祝福を授けられし者――――稀人まれびととは古に散った神の意志を継ぐ者なり







老神官の声がホールに重々しく響く


神話に語られる、天の恩恵に守られる地――――天地あめつち


永遠を奪われて幾久しく。死が疎まれるにつれて生が尊ばれるのは当然の流れだった

庶民から皇族まで、生を受けた日―――誕生日は人々にとって最も喜ばしい日である

それも天地を統べるみかどの愛娘、二の姫の誕生日とあれば尚更のこと。


だがどこにでも例外はあるもので、


少なくともこの場に二人、一組の主従は各々の理由で誕生日が嫌いであった。

皇族の誕生日で一言一句違わず、変化なく、要するに飽きるほど聞かされた建国神話など右から左。絢爛に輝くシャンデリアや華やかな礼装の群れ、食べるより華やかさに力を入れた、芸術的な料理の数々にすら目もくれない。祝祭と思えぬ空気を纏い、壁際に張り付いている。


従者は細身の少女。艶やかな黒髪を赤と黄の組紐で一つに結わえ、背に流している

雪花の如き肌。桜の花弁を落としたような唇。未だ蕾の感はあるが、微笑み一つで周囲を篭絡する艶麗な美貌の持ち主だ。

――――そう、微笑みさえすれば


茜色の瞳は冴えた刃のような鋭さ。隙のない佇まいは飾り気のないスーツ姿も相まって、少女というより牙をもつ獣のよう。

下心など持って近づこうものなら、腰の刀で斬り捨てられそうな威圧感を放っている。


そして主は少女よりも更に幼い少年だ。少女の胸ほどの背丈しかない。

着物の袖から覗く手首は枯れ木のように細い。顎までの濡羽色の髪も長さはばらばら、前髪は伸びきって簾のように瞳を隠してしまっている。

口元は真一文字に結ばれて、幼子らしい愛くるしさもない。雑な身なりのせいか、唯一上等な着物が浮いて見える。青白い面ざしもあってか、まるで幽霊のようだ。


長い物語が終わり、老神官が下がると場の空気は一気に騒然とした。

客たちは思い思いに今日の主役である二の姫や、支持する皇子皇女の元へと群がる

笑いさざめきがホールを満たすと、主人である少年は微かに息を吐いて。


「帰るか」


子供らしい高い声は小さくとも、よくとおった。

十もいかぬ少年に見えるが、声音や立ち振る舞いは不相応に落ち着いている。少し長い袴の裾を器用に捌きながら歩く主人に、少女も無言で続く。


衣擦れの音すらしないほどの静かな動きだったが、そんな2人に気付いた者がいた。


「まあ、なんてこと」


立ちふさがった人物を前に、少年は前髪の奥で眉をよせ、少女はあからさまに顔を顰めた。

大輪の牡丹をさした薔薇色の髪、豊満な肢体を強調する真紅のタイトシルエットドレス。髪飾りから靴、扇子に至るまで赤で揃えられ、金とダイヤモンドがふんだんに散りばめられている。

そして彼女の立場を象徴する拳より大きな紅玉のネックレスが、白い胸の上で揺れている。


いやらしさを感じないギリギリを極めた衣装は、己の美貌に自信あってこそ

今日で十七歳となる娘がいるとは思えない彼女―――二の姫の生母、紅玉妃こうぎょくひは、柘榴色の瞳を眇めた。小動物を甚振るような、嗜虐的な笑みだ。


「今日はわたくしの可愛い二の姫の生誕祭。弔いの場ではなくてよ、三の君」


紅玉妃は大仰に溜息をついた。周囲に侍る女性たちがくすくすと忍び笑いを浮かべる。


「よりにもよって黒だなんて。洋装ならばともかく・・・作法の講義を受けていないのかしら」

「仕方がありませんわ、妃殿下。三の君はせっかく母君のご生家から送られた侍従らも遠ざけておしまいになるとか」

「今上の尊き血を継ぐ御方がこの有様では、次代様のお力になれるか」

「晴れの場に付き従う従者もいないような方では、ねぇ?」


一応は従者の肩書を持つ少女は完全に無視されている。

その後もわかりやすい嫌味と当てこすりが続き、紅玉妃と周囲は勝ち誇った笑みを向け、



「飽きたんだけど、終わった?」


ばっさりと話を打ち切られた






全身真っ赤の紅玉妃が更に顔まで赤くしたのを見て、天地の第三皇子・時雨しぐれは緩む口元を必死に抑えた。

別に大笑いしても良かったのだが、あとが面倒だったのだ。


「・・・ぎんぎら赤風船」


だというのに、隣の従者はどこまでも時雨の自制心を試してくる。

宝石と金を盛りに盛った装いはまさに“ぎんぎら”しく、ドレスで絞った体が怒りで膨張している様は、確かに風船のようだった。


腹に力を込めてどうにか笑いをこらえる。笑い転げだす前に帰ろうと従者の袖に手を伸ばし


――――視た



あずさ!」


叫ぶと同時に体が浮いた。悲鳴と、熱風。何かが焦げ付く臭い。

視界がぶらりと揺れて、止まる。従者・梓の肩に担ぎ上げられたまま視線を落とした。

万華鏡のように煌く水晶の向こうで人々が逃げまどっている。だが阿鼻叫喚のホール以上に、床までの高さにぞっとする。


「意外としっかりしてるね、この足場」

「シャンデリアは足場じゃない」


反論はまるっと無視され、時雨は慎重に梓の肩から這い下りた。食事には手を付けていないとはいえ、あまり揺らされると気分が悪くなる。

どうにか支柱にしがみついたところで、梓が端から下を覗き込んだせいでシャンデリアが大きく軋んだ。


「おい、危ないだろ」

「熱は消してあるから」

「そっちじゃない。僕はお前と違ってここから落ちないようにするだけで精一杯なんだ」


器用に腕木の端に立っていた梓は振り返ると、なんとも残念なものを見る目で、


「あんた、小さいもんね」


ホントは十一歳なのに。六歳くらいにしか見えない


「余計なお世話だ!くるぞ!」


叫んで、ぱっと支柱から手を放す。身体を捻った梓が腕木を蹴った勢いで、再び体が宙を飛ぶ。

今度は正面から抱えられ、落ちた。片足を床に着いた勢いで、もう一歩、梓が跳ぶ。


数秒前まで足場にしていたシャンデリアは落下して、踏みつけられ、粉々に砕けた。


「・・・幽鬼ゆうきか」


シャンデリアを踏みつけたものは、一応、人の形をしていた。

四肢と頭があり、二足歩行の生き物を“人”とするならの話だが。


全身は黒く、腕と足は不自然に盛り上がって太い枝木のように伸びている。

手足の先は獣の爪のように鋭いが、頭部だけは凹凸がなくのっぺりとして特徴が無い。


神話に曰く。常世の闇が天界と中つ国と溶け合い、光と闇の境界が消えた。

その結果、常世に留められていた亡者が地上に現れるようになった。


彼らは失った生を求め、生者を襲う。

無論、生者を殺しても彼らが生き返ることはない。それでも失くしたものを求めて殺し続ける。

加えて生前より頑丈さも俊敏さも進化しており、倒すには頭や胴を断つか、


「――――さっさとあの化け物を殺しなさい!!!」




甲高い声と共に、熱風が梓の髪を炙った。

びくりと体を揺らした時雨を抱え込んで火柱から距離を取る。突如燃え上がった幽鬼はのたうち、火の粉を飛ばしたが、瞬く間に燃え尽きる。


・・・ああ、今日は南淵なぶちの関係者が多いから


煤けた視界の向こう側。煌びやかな礼装の群れの中に、飾り気のない袴姿が混じる

薄墨色に赤い飾り紐ということは、“火”の稀人まれびとだろう。


「亡者は中級だ!必ず組で取り囲め!」

「“丁”の手には負えない、必ず“丙”以上で組をつくれ!」


連携が取れているということは、対処しているのは“神使府衛士しんしふえじ”か

幽鬼相手の専門部隊なら下手なことはしないだろう。あとは時雨を連れて事が済むまでどこかに―――


「お前たち!この場を何だと思っているの!わたくしの生誕祭を滅茶苦茶にするなんて許さないわよ!」


まっとうな指示を打ち消すように、高い声が響いた。

目の前の亡者が燃える前に響いたのと同じ声を、梓も時雨もよく知っている。


「・・・馬鹿なの?」


冷えた声は破壊音にかき消された。

炎が消えて、怯んでいた幽鬼がまた暴れだしたのだ。半端に焼かれたせいで、先程よりも抵抗が激しくなっている。


幽鬼を殺すなら頭や胴を断つか、燃やすしかない。

火の加護を持つ稀人が幽鬼の対応に出たのは、加護の中で最も攻撃性が高いからだ

その利点を封じて早く収めろとは、無茶というより無謀だろう。


師なら笑顔で黙殺しただろうが、木っ端役人が皇女の言葉を無視出来るはずがない。

強みが使えず、方針も立たず、怪我人ばかりが増えていく。一気に鈍った動きに、収まらぬ場に、再び怒りの声が飛ぶ。


そうして、声の主は見つけてしまった。


「―――――お前!」


刺さるような視線は鈍った神使府衛士ではなく、梓の主に向けられた。


「お前!お前!情けで呼んでやったというのに!この、この騒ぎもお前のせいなのでしょう!!!」


空気が変わる。

皇女の無謀に困惑していた周囲が、見つけた矛先に視線を変えた。


対応の見えぬ現状を、皇女の怒りを、傷の、血の、破壊の、全てはお前が悪いのだと。



―――――ああ、なんて馬鹿馬鹿しい



梓はさっと視線を巡らせ、周囲を確認する。

既に燃えているの以外には五体。神使府衛士は使い物にならない。まあ、なってもこちらを助けるつもりはないだろうが。


ホールの中心で足を止める。

時雨を床に降ろすと同時に幽鬼たちが一斉に梓たちに顔を向けた。


「さっさと終わらせよう」


時雨は頷いてひっくり返った卓の近くに佇んだ。

身を隠しているわけではないが、彼がそこにいるならそこが一番安全ということだ。


だから梓は振り返らず、真っすぐ床を蹴った。


大木のような幽鬼の腕が、柔らかくしなる。

それは常人であれば目にもとまらぬ速さで、瞬きの間に絶命していただろう。


だがどれほど幽鬼が尋常ではない存在だとしても、



「遅い」


彼女は“別格”だ。


命を叩き潰していたはずの腕が、宙を飛んだ。

片足がごろりと転がり、がくりと体が傾ぐ。破壊を免れたシャンデリアの灯りをうけて、黒紅の刀身が、赤い飛沫が、光る。


どすりと落ちた腕の勢いで、無事だった卓が食物と皿ごと飛んだ。

最後のあがきでのたうった腕に当たった椅子が跳ねあがり、倒れる。

斬り飛ばされた頭が落ちた先、飛んだ血がテーブルクロスで防がれる。


秒針が一回りもしないうちに、五体の幽鬼は動かぬ肉塊となっていた。


清掃係が悲鳴を上げる惨状の中心、唯一無事な隙間で、時雨は身じろぎもせず立っていた。

料理人が心血注いだ料理も、化け物になり果ててもなお赤い血も、当たれば無事では済まない頑丈な椅子の破片も、何一つ彼の身を汚すものはなかった。


袴の裾をまくり上げ、無残な床を踏み越えて、時雨は梓の手を引いた。

他の幽鬼もほとんどが動きを止めており、間もなく場は収まるだろう。


狂騒と混乱と悲鳴の隙間を迷いなく進む二人の背に、誰かの侮蔑が投げつけられた。



「――――呪い子め」


二人は振り返らない。

振り返って傷つく時間は、とうに過ぎ去ってしまったから。




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