私はあなたの幽霊だ
見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。
パラパラと見返していた日記帳に突然そのページは現れていた。
『私はあなたの幽霊だ』
ただ一行の黒文字。
過大な空白の中に一文が記されていた。焼きついた様にタイピングされた文字だ。
記憶にはない。しかしそれなりのインパクトはある。
そのページだけが突然追加された様だった。三月三一日と四月一日の記述の狭間にそのページがある。ページの裏は四月一日だ。
私の幽霊とはどういう意味だろう。
死んで現れるのが幽霊ならば、この私は生きていない事になるのか。
ようやくそのページに気づいたか。これでようやくあなたの心にアクセス出来る。
突然脳裏に浮かんだ声にとっさに身構えた。
自分の声だ。
勿論そんな言葉を発したつもりはない。
書いただろう。私はあなたの幽霊だよ。
ああ、キョロキョロ見回しても無駄だ。
あなたには私を見たり触ったりする力はない。少なくとも私が生きてる時はそうだった。
どういう事だ、と私は思った。
私の幽霊なのか。
いわゆる生霊という奴なのか。
私の主体である私の意思はここにあるのに。
私が死んだのは今から一四日後だ。
大隕石の落下だよ。
周囲を巻き込んで町ごと壊滅さ。
死んで解ったんだ。
人間の精神、ここでは『魂』という奴に言い換えてもいいだろう。
それは時間を超越して存在してる。
人間の魂は現在という瞬間では完結していない。
そう。人間の魂は割れた卵みたいなもんだ。
中央の黄身である『現在』の周囲に、白身が時間や空間を越えて広がっている。
その全部が『卵』なんだ。
私は死んだ未来から、死ぬ前の過去の私に情報を渡しに来た。
突然、何を言い出すんだ、この声は。
これは幻聴か。
私は気が狂ってしまったのか。
今更、気が狂うもないだろう。
気が狂ってると思うなら、思うなりで私の言葉を聴いてほしい。
私は死んで幽霊となった。
肉体という物質的器質の束縛を失って、魂が時間的制約から解き放たれたんだ。
あなたも考えた事があっただろう。
魂はタイムマシンだ。
エントロピーに縛られた肉体という物質のせいで、精神は時間の内に囚われている。
魂は自由自在なんだ。
元元時間的な制約の中で、懸命に過去や未来にアンテナを伸ばして情報収集をしている。
人間は皆この様な魂を持っている。
ただそれは自意識で認知出来ない。ある特殊な超能力者以外は。
あ、超能力とは陳腐な表現を使ってる、と今思ったな。
概念は陳腐かもしれない。
普通、物質的基質に囚われた感性は、限定された認識しか出来ない。
神経系という物質で何事も考え、感じるからな。それしか意識出来ない。
ただ未来に伸ばしたアンテナがキャッチした情報は『勘』や『予知』になるし、過去に伸ばしたアンテナは『霊視』になる。
現在方向に平行に伸ばした送受信アンテナによるコミュニケーションは『テレパシー』だ。
無意識域で超時間認識しているんだ。
人間は常に現在をはみだしてるが、その情報を自覚出来るのが超能力者なんだ。
うるさいうるさいうるさい!
黙れ黙れ黙れ……!
安心しろ。
あなたはもうこれ以上狂う事はない。
どうせ、職業はSF作家だ。気が狂った様な発想はお手の物だろ。
精神は肉体のおもちゃにすぎない、と言ったのはニーチェだったか。
ともかく私の魂は、肉体の拘束から解き放たれた事で賢くなった。
私は幽霊だ。
私は自分の力についてアイデアがあった。
だから幽霊としての自分を自覚出来て、こうやって時間的制約をさかのぼって過去のあなたにアプローチ出来た。
過去に差し挟んだ日記の一文に気がついてくれて嬉しいよ。
これで今のあなたに『縁』が出来た。
現在という時間を共有し、アクセス出来たんだ。
……お前は本当に『私』なのか。
未来に死んだ私が、現在に会いに来たのか。
私に何を知らせに来た。
幽霊になれた、凄いだろ、だけじゃないだろ。
何か理由があって来たはずだ。
考えつくのはお前の死の回避だ。
一四日後に落ちてくる大隕石の回避。
それを周囲に知らせて、科学的手段で落下を回避しろ……。
いや、違うな。期日が間に合わない。
逃げろ、か。
期日までになりふり構わず遠くへ逃げろ、か。説得出来る限りの人間と一緒に。
さすがにあなたは私だ。
話が早い。
その通りだ。
幸い、私は誰も見ていない日記に不意の一ページを加えるくらいの現実干渉力は持っている。
過去は変えられるよ。
過去はダイナミックに活動的だ。凍った記録なんてものじゃない。干渉出来ればあっさり変えられる。
因果順序は保存されない。
それが今の私には解る。
さあ。過去を変えよう。
私という幽霊が、因果の拠り所を失って無意味になる未来へと現在を繋ぐ為に。。
ちょっと待て。
何故お前が私の幽霊だという事実を受け入れなければならないんだ。
もしかしたら、お前が過去を矛盾的に改変しに来た時間犯罪者だという可能性だってあるじゃないか。
過去を変えて世界を滅ぼすつもりの。
それとも私を狼少年にして笑いものにするつもりか。
SF作家として、私は最後まで懐疑的でいたい。
私は過去の自分の為ならば、未来の自分が意味消失しても構わないと言う様な殊勝な人間か。
いや、そうは思えない。
私は卑小な人間のはずなんだ。
お前の情報は信用出来ない。
真の目的は何だ。私に干渉して、時間犯罪級の笑いものにしたいのか。
自分を信じろ。
懐疑的でいたいが為の懐疑で、一生を棒に振るのか。
そこまで私が愚かな人間だとは思わなかった。
あなたは自分が笑いものになるのをひどく恐れている。
過去を変えるガッツを持て。
救うんだ、人人の命を。
うるさいうるさいうるさい!
黙れ黙れ黙れ……!
私の幻聴め……!
大体SF作家ならば気が狂った発想はお手の物、だと言うお前が気に食わない。
SF作家に対する侮辱だ。
私はそういう風には考えない。
それはあなたのコンプレックスの裏返しだ。
考えた事はあるはずだ。
隠すんじゃない。
一度切れた縁はつなぎ直す事は出来ない。
魂はタイムマシンだ。
過去は変えられる。
しかし一度私達の魂のリンクが切れれば、二度とつながらない。
物語と現実は等価だ。
現実とは考えつく限りの想像が事実なんだ。
お前は狂っている……!と私は自宅内で叫んだ。
私は幽霊を断固拒絶した。
病院の精神科で処方された頓服の薬を飲み下す。
すると精神にかかっていた一切の重荷はすぐに消滅し、心がしんとして羽根の様に軽くなった。
幽霊の声はまるで聴こえなくなった。
静かだ。
まるで今までの事が嘘だったかの様だ。
あれは幻聴だったのか。
それともやはり未来から来た私の幽霊が、薬で退治されたのか。
今やもう何も解らない。
確かめる方法があるとすれば、一四日後の死を待つ事だ。
隕石は果たして落下してくるか。
私は死ぬか。死んで幽霊になるか。
幽霊になったとしても現在とアクセス済みの私は、決してあのままの存在にはならないだろう。今の情報をやりとりしてしまったのだから。
過去は変えられる。
そして未来も変わる。
それは確かにそうなんだ、と思う。
私はSF作家としての自分のアイデアの内で、静かに見悶え、空を見上げた。
日記には不思議な一文がただあった。
(日本SF作家クラブの小さな小説コンテスト2024 投稿作品)
五〇〇〇字(以下の)ごちゃまぜライブラリ 田中ざくれろ @devodevo
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