第100話 予期せぬ来訪者。

「寝れなくて…」


 夜中の三時過ぎ。寝ぼけまなこをこすって、ドアを開けた順一だったが…


(おかしい……ありえん)


 予想だにしない訪問者。話の流れ的にはシルヴェ―ヌか、ジェシカなのだが……


 ふたりではなかった。


 彼の言うとおり、夜中に決して、彼の元を訪問する人物ではなかった。


 そこに居たのは斎藤舞美。彼の妹だった。


 しかも、大きな枕を抱いていた。


(夢だろ……だとしたら、悪い夢だ)


 退学絡みのゴタゴタで一次的には、仲良くなったふたり。


 しかし、彼はそんな『一過性』のものは信じない。


 甘い夢は見ない主義だ、特に妹に関しては。


(どうせ近いうちに、ゴミを見る目になるんだから―)


『妹となかよし』なんて夢物語。傷つきたくないのだ。


 でも、しかし―


(こんな時間に『寝れない』ってまくら抱いてくるってことは…)


 まさか、部屋に入る気か?


 数日前から滞在してる、ラスロ公国日本大使館。


 その一室に寝泊していた。もちろん、兄妹別室だ。同室などしたら、きっと彼は窒息する。


「部屋…入るか?」

「うん、いいの?」


 廊下には控えめな、照明が点々とあり、表情がわからないほど暗くはなかったが――


 彼には妹の表情が読めなかった。


 内側に扉を引いて招き入れると、すれ違いに耳元で『話があるの、出来るだけ声落として欲しい』そんな注文をされた。


「わかった…」


 出来るだけ小声で返事をした。


 兄の声の小ささに満足して『ありがと』と返した。


 このひとつ取っても、以前の舞美の行動とは、かけ離れていた。


 しかも……許可も取らずに…というか、何が起きてるのかすら、わからない。


 こともあろうか、舞美は一瞬の迷いなく、先程まで順一が寝ていた布団に、潜り込んだ。


 寝ていたところを、ノックで起こされたのだ。


 布団は抜け出たままの、立体的な形をしてるし、順一の体温も残っていた。


 うっかり潜り込んだとは思えない。何より――


(オレはどこに座ればいい……)


 広い部屋ではない。本国から職員が来た時の滞在用の部屋。


 最初は来賓用の部屋を充てがわれていたが、遠慮した。


(広すぎて落ち着かないし……もう、お客さんじゃない)


 彼は既に、身の振り方を決めていた。ラスロ公国の国籍と、日本国籍の二重国籍になっていた。


 部屋は簡単な作りのベッドと、デスクセット、そして一人掛けのソファ―。


(無難なところ、ソファ―かなぁ…)


 ソファ―でも、座って寝ることは出来る。そんなことを考えていたが…


『ちょいちょい』


 舞美は手招きからの『ポンポン』をした。もちろん、自分の隣をだ。一応付け加えると…ベッドの中だ。


 それはないだろう、そう言いかけたが、やめた。


『話があるの、出来るだけ声落として欲しい』


 妹が言った言葉を思い出した。


 ソファ―の距離では、遠くて小声では届かない。


 何より意味もなく、こんなことをする妹ではない。 


『寝れない』と言っていたが『寝れない』理由があるはず。それが悩み事なのか、心配事なのか。


 朝まで待てない理由がある…いや……


(人の目か…)


 何となく、納得出来る理由が見つかった。兄妹だから、注目を浴びるのは仕方ない。


 ただの物珍しさ、からではないように思えた。


 彼も薄々感じてはいたが――


 何かある。そう思いながらも最近、姉弟きょうだいで話す機会がほとんどない。


 妹は中学の勉強をしながらだし、彼が日ごろ一緒にいるのは、彼と行動を共にすると誓った、三崎みさきしおりだ。


 ふたりは護衛官候補生で武官。妹舞美まいみは文官候補生だ。


 歩む道が違えば、取り組むカリキュラムも違っていた。互いに忙しい、ということもあるが、彼には元々『妹恐怖症』があった。


 妹舞美まいみの中では、解決した問題かも知れない。


 しかし、ここ数年に及ぶ妹の反抗期は、順一の心に深い爪痕つめあとを残していた。


 その妹舞美まいみが深夜に、突然の訪問。


 しかも兄がさっきまで、寝ていた布団に『消毒ナシ』で潜り込んだ、自発的にだ。


 更に寝転がる自分の隣に呼ぶのだ。

 可能なら、逃げ出したいところだが。


(何かある……)


 そう感じている。しかし、本音のところは恐怖も感じていた。


 しかし。これ以上待たせたら、舌打ちされるだろう。流石兄妹。


 その辺はわかり合えていた。


 ■■■情報共有■■■


 毎日互いの姿を見ない日はない。言葉も交わす。


 しかし、その場には必ず誰かいた。彼自身、妹を恐れながらも気にしていた。


 環境も変わり、前の学校に行けず、人の目がある。それだけで、相当ストレスの溜まる日々だったろう。


 考えてみれば、自分がシルヴェ―ヌを助け、結果としてラ―スロ公国でシルヴェ―ヌの護衛官候補生の道を、選ばなければ――


(今頃、オレたち兄妹は、自分の家のリビングでのんびりしていた。オレが普通の高校生を選べば、舞美まいみも、たぶん……)


 そう思えば、自分で選んだとは言え巻き込んでしまった感はある。


「——元気にしてたか?」

「うん…お兄ぃは?」

「まぁ…まぁ…かな」

「同じだ」

「そう……その…」

「なに?」

「久しぶりだなって……」


 舞美まいみは、隣に横になる順一じゅんいちの二の腕に、顔を寄せ『くんくん』と匂いを嗅いだりした。


「どうした? 汗臭いか?」


 堪りかねた順一じゅんいちは、体を硬くして少し舞美まいみから離れたが、ついてきた。


「この匂いも久しぶりだ……あっ、ごめん。何かキモいか……」


 舞美まいみは、自分の行動に照れて距離を取る。


「あのね……?」

「うん…」


「用事はあるの……情報共有って言ったら、大げさだけど…でも、ほら……私、子供でしょ? その…頑張ってると思うの」


 子供扱いしたら、すぐに怒っていた妹が自ら『子供』と自虐的に言うのは――


(やっぱ、さみしいんだ……)


 親元を離れ、慣れ親しんだ家にも戻れない。


 唯一の家族の兄とは、顔を合わせる程度。寂しくないワケがない。


「頑張ってると思う」


 顔を見なくてもわかる。兄の言葉に、妹は照れ、認められた充実感が伝わった。


「じゃあ…腕枕くらいいいよね?」


 そう言いながら、あまりに近い位

 置で、生唾を飲んだことを後悔した。


「腕枕……? そのオレがしてもらうのか?」


「え…? 別にいいけど……」


 少し、冗談を言っておどけてみせたつもりが、普通に受け止められた。


「冗談なんだけど……」


「知ってる。知ってるけど……なんか、マジレスすると…普通に寂しい。話あってきたんだけど…なんかこっちが勝っちゃって……腕枕して欲しいけど、するのでも全然いい」


 今の生活が始まって、1週間を越えた。忙しさと、過去の恐怖にかまけて、放ったらかしにしたか。


 順一じゅんいちに後悔が芽生えた。


(それでも……)


 自分で言っておきながら、舞美まいみに腕枕してもらうことを躊躇ちゅうちょした。


「やっぱ、妹じゃ嫌だよね。ごめん」


 ベットの中で遠ざかり、背中を向ける。彼はこういうのが苦手だった。


 妹との付き合いは長い。彼女が生まれてからずっとなんだから。


 色々知っていた。強がっていて、実は気にするところとか、生意気を言うが、すぐに顔色を伺うところとか。


 彼は思った。妹なんだから『ど―ん』と構えろよって。


「別に嫌じゃねえけど」

「けど、なに?」

「ん…お前さぁ…なんていうか」

「うん」


「ノ―ブラだろ」

「あ…そうだった…それで?」


「そらそうだろ? ノ―ブラの妹の胸に顔埋めらんないだろ、流石に」


「ハハッ、そうだね。じゃあ、私が埋めるのは、いいの?」


「いいけど……自分で言っときながらなんだが」

「なに?」


「いや……に何らかの…ツッコミがあってしかるべきと言うか…『キモっ』のひとつもないのが…」


「さみしいの?」


「どうなんだろ! よくわかんないけど…しいたげられてきたわけだろ、オレ!」


「あ……確かに。その節は……自分で言うのも何なんですが『難しい年頃』と申しましょうか……」


「今は?」


「一応、うん。ノ―ブラ発言にも『無事』キモいとは思わなかった。逆に心配してくれてんだ、とか思えるまでには。ただ『こんなの舞美まいみじゃねえ! ニセ舞美まいみだ!』みたいなら、頑張ってキレるけど?」


 順一じゅんいちは少し考えて、首を振った。


 何も無理にキレて貰わないといけないほど、さみしがり屋じゃない。


「お兄ぃ。ここから本題。声抑えてね」


 舞美まいみ順一じゅんいちの耳元まで近づいた。


 顔のすぐ近くで、妹の呼吸を感じた。


(なんで、いい匂いのシャンプ—使ってんだよ…)


 意味もなく、悪態をつきたくなった。


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