第99話 何も知らないあの頃のように。
「なぜ止めるのですか」
なにひとつ感情を現してない、くすんだ瞳でシルヴェ―ヌはジェシカを
何のことはない、少しおネムなだけなのだ。しかし――
その足取りもまた、同じように感情がない。
操り人形のように宙に吊られた、不確かで、不気味で、地に足がつかない――
そんな生き物とは思えない、悪霊のような歩みで、距離を詰めて来たのは、彼女の主シルヴェ―ヌ・フォン・フェイュ。
ジェシカにとっては見慣れた風景――シルヴェ―ヌは、眠くなるとこんな感じだ。
(順一さま…いや、順ちゃんは知らないよね……これ、普通にホラ―だわ)
ジェシカはため息をついた。何回目だろう。ジェシカは天を仰いだ。
たいがいの事は難なくこなす、この手練れの側近だが――
(いくらなんでも、その表情で夜這いは……怖いだろ、ホラホラだろ)
監視の目がなくなったことで、シルヴェ―ヌは少しだけわがままを言い出した。
今すぐ、
だだ会うのではなく、甘い感じで会いたいのだが、シルヴェ―ヌの『甘い感じ』と世間のいう、甘い感じはやっぱり違っていた。
ジェシカとて、年頃の娘なのだ。好きな男性が同じ敷地内、同じ屋根の下で寝ているとなると――
ドキドキもする。
(それはわかる。順ちゃん、まぁ…イケメン…かはわからない。でも…)
いい体している……
そんな考えが一瞬浮かんだが、頭を振って追い出した。
ジェシカは筋肉フェチだった。しかもゴリゴリの筋肉ではなく、しなやかな筋肉。
「体が火照るの……」
さっきの無表情な
しかも熱を帯びた視線。
しかも、しかも―寝間着と呼ぶにはあまりにも、乙女に極振りした、生成り色のワンピ―ス。
いや、ゴシック系のドレスと言っていい。
このまま外出しても、かわいいという理由以外で、振り向いて見る人は居ないだろう。
よく見れば、髪飾りもヘッドドレス調だ。
(本気過ぎだ……)
何より、ジェシカが否定的だったのは――
(体が火照るなんて、そんな理由で夜這いはやめて……)
ジェシカは思った『会いたいの』とか『お話がしたいの』とか『ひと目だけ―』とか、もっと年相応な、なんかが欲しかった。
今あるのは――『ホラ―な足取り』と『体の火照り』『ゴシックなのに、目つき最悪』オネムだから仕方ない。
深い溜息と共に頭を抱えるジェシカ。理由は簡単だ。
シルヴェ―ヌは一切『闇』な側面を、順一はじめ、この度知り合った日本人には見せていない。
(いや、それだけじゃない)
我が主ながら『盛り過ぎ』は否めない。
何も闇属性を前面に出せとは言わない。言わないが――
(ありゃ、天使過ぎだ……)
順一の前で演じたシルヴェ―ヌは。いや、そういうかわいい一面、乙女な一面が彼女にあることは、ジェシカは知っていた。しかし——
(ほんの一面だから‼ それに、片言の日本語はやり過ぎだ)
今はもう亡い『英雄王』と呼ばれた、シルヴェ―ヌの祖父は日本人。
元々穏やかだった性格。晩年更に穏やかさを増した。
『おじいさん子』だったシルヴェ―ヌが、片言なワケがない。
正直、日本人が話すより
絶対ボロが出る……
だいたい乙女で、
(カオスだ……なんでいきなりこんな話になった⁉)
こんなんじゃ、セクシ―でキュ―トで闇落ちしてる⁇ そんなの成立しない……
そう思いながらシルヴェ―ヌの顔を見た。
(あ……微妙に成立してるかも…)
成立してたとして、理解されるかは話は別。
昼間はキュ―トで夜はセクシ―なんて簡単な話じゃない。
ヤンデレやメンヘラとかでもない。
(近いのは……ちょっと…残念な娘? 身びいきかなぁ…)
「何にしてもダメです!」
「なんで⁉ こんなに体が――」
「お嬢様。ちょっと黙れ」
「だ、黙れですって⁉」
「言葉が過ぎたなら謝ります。しかし、お嬢様の夜這いの理由ほどではありません!」
「えっ…体が火照っちゃダメ?」
ダメなの? みたいな目で訴える。そう、シルヴェ―ヌには悪気はない……それ程は。
「いえ、可愛く言われても……大変言いにくいのですが……」
ジェシカは自分に言い聞かせた。ここで止めなければ、取り返しがつかない。
「なんなの?」
「誤解を恐れずに言うなら――『体が火照る』って」
「うん」
言いにくい……小首を傾げる姿だけ見れば、まごうことなき天使なのだ。
「私『性欲』抑えれないんです、みたいな⁇」
「え!? そうなの!?」
「いえ、世間的には違いますよ! でも、お嬢さまのはそうなの‼」
闇が深いとはいえ、皇女殿下。育ちが悪いわけではない。
自分のために臣下が必死なのがわからない程ではない。
(言われてみれば……)
思い当る節すらある。確かに身も心も高まりを感じていた。
確かに『身』の部分だけ言うなら!
ジェシカが言う事が正しい。正しいのだが――
(は、反論したい…いや、人として、女子として、皇女として! 面と向かって『性欲』強いですね、的な! 抑えれないって……もっと柔らかい言葉があるでしょ……)
しかし、臣下の意見を『けんもほろろ』で却下するのは、人の上に立つ者としてはよくない。
自分の思いに
ましてやシルヴェ―ヌにとってジェシカは、無くてはならない存在。
(耳は傾けよう……その意見を受け入れるかは、別の話)
「その……あなたの意見を聞きたいわ。私はどうすべきか」
シルヴェ―ヌは珍しく、空気を読んだ。本当に珍しいことだ。
人に読ませても、自分が空気を読むのは――ジェシカにくらいだ。
(出来るだけ。そう…出来るだけにこやかにしよう。そうだ、生きているのだから、性欲くらいは誰だってあるの。ただ『強め』ってとこだけ、やんわりと訂正してくれれば…)
怒ったりしないんだからね!(ぷ~~っ‼)
そこそこ、怒っていた。
「そうですね……お嬢さまは、順一さんに対して、その…
「ジュ、ジュンイチさまが私に⁉」
「お嬢さま、食いつき過ぎ。それに近い! 少し離れて。仮の話です。そうですね、お立場上、最低『三度』はお断りを」
「さ、三度も⁉ なんで⁉
「そういうものだと、お考え下さい。あと
時として下に『理解ある上司』を演じた結果、更にハ―ドルが上がった、なんて話はよくある。
こんな事なら聞かなきゃよかった。
理解のある上司風を演じた『オレ、バカバカ‼』深夜の屋台で目にしそうな風景だ。
そして、その屋台が身に
(そんなの、ジュンイチさんに夜這いなんてされて、三回も断れなんて……さては、ジェシカ。先日のデ―トといい、今回の言いがかり…)
そんな疑いの心が、芽生え掛けたシルヴェ―ヌに、あろうことか――
「こういう場合、ご自分でされたらどうですか」事も無げに言った。
(ん? 何をご自分でなの⁇)
薄々感付いたはいるが、まさか『上司』である。
まさか『皇女』である。ご自分で何をしろと?
いや、誤解があれば困るので、あらかじめ言おう。
いくら『皇女』とはいえ、そういう場合人の手は
ましてや『そういう係』がいる訳ない。そういうマッサ—ジ師はいない。
ここはシルヴェ―ヌのプライドのため、念を押そう。
「え…っと…どういう意味?」
「だから、ご自分でしてください」
「何をあなたがご自分でしろと、推奨してるのかわかんない」
「
「はっ!?
「そうです、お嬢さまは順一さんに対して、マジ天使なネコちゃん被ったわけです。それをいちいち『体が火照るの』だの『闇属性』だの持ち出したら、ドン引き確定です。なので、ここは順一さんの精神衛生上、お嬢さまは自慰すべきです‼」
言い切った。年頃の皇女相手に『
しかも今関係ない『闇』な部分まで
いやいや、この際皇女は関係ない。うら若き乙女の、まぁちょっと生暖かい恋心。
甘酸っぱい、青春特有の―みたいな?
それを、こともあろうかまさかの『自慰推奨』
(確かに! 確かに有効かもだけども! いや、ダメだ!! そんなこと認めたら女子として皇女として色々マズい!)
ここに来て、夜這い的なことをしょうとしたクセに、体が火照ったクセに、自慰行為が何であるか、理解したクセに…
(かまととぶりたい…)
この期に及んで、何にも知らない乙女になりたかった。
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