第98話 その汚れのすべてを愛しましょう。
オドレイ・フォン・フェイュは、真っ直ぐな才能を深く愛した。
しかし考えて欲しい、才能というものは、果たして『真っ直ぐな』者にだけ、宿るものだろうか。
性格破綻者。
どの組織にも
そんな猛毒のような異常者は存在する。
そして、彼らは評価を求めている、
正当な評価が欲しくて、欲しくて
評価してもらえる行動が出来ればいいが、それが出来ない。行儀よく、お利口ではいられないのだ。
出来ないから、彼らは結果で勝負するしかない。
そして、その手を血と泥に染めまで、頭を優しく
そんな突き抜けた才能を持つ、
(シルヴェ―ヌさま以外いない…)
彼女は、ドス黒い返り血を浴びた、その横顔でさえ迷わずハグをするだろう。
そう、自分のために汚れたのなら――美しいとすら感じるだろう。
ラ―スロ公国で抜きんでた才能がありながら、本流に乗れなかった者、本流から外れたものは皆、シルヴェ―ヌを頼った。
ジェシカはそのことは、頼もしくもあり、不安でもあった。
汚れ仕事を
多くの統治者は壊れた忠誠心を嫌うのだが……そんなワケで、シルヴェ―ヌの
歯車がひとつ崩れれば、
それは何かと言えば――単なる性癖なのだ。
汚れ物を
しかし、そんなシルヴェ―ヌの性癖を知る者は、ジェシカくらい。他のものは、
逆に『真っ直ぐな』者だけを愛するオドレイを、冷たく心狭い王族の代表と、見なされた。
事実はまったく違うのだが。
■■■それぞれの博打■■■
ジェシカの姿が大使館から見えない。
ラ―スロ公国日本大使館。オドレイ・フォン・フェイュ。公国第二皇女。
言わずとしてシルヴェ―ヌ・フォン・フェイュ第三皇女の姉であり、公国随一の盾であり槍。
(その盾であり槍がノコノコと…)
第三国である日本に、
(我らの猿芝居も、ここまで長年やると効果があるらしい)
ここは最低限の医療機器が設置された『ラ―スロ公国日本大使館』地下。
設備名称としては単なる物置だが、シルヴェ―ヌ・フォン・フェイュ来日後に、最低限の医療機器が、運び込まれていた。
ある目的のために。最低限の医療機器が置かれた、部屋の中央にある椅子。そこには猿ぐつわをされ、両手を椅子に拘束された、ジェシカの姿があった。
捕らえられた訳ではない。彼女の主の計画を、一歩進めるために欠かせない、一手を打つ準備に入った。
猿ぐつわは、舌を噛み切らないために。口を塞がれた、ジェシカの目は、異様な光を帯びていた。
(意識が戻らないかも知れない…)
そんな覚悟を持ったジェシカに、白衣の男が近づくとジェシカは無言で頷き、同じように側にいた、白衣の女性により胸を露わにされた。
心電図を取り付けたのだ。室内にいる誰もが無言だ。合図は手と目の動きのみ。
白衣の男性によりジェシカは首にジェルが塗られた。電極が繋がれたパットがふたつ貼られた。
ジェシカの息づかいが荒くなった。乱れた呼吸をゆっくりと整え、目を閉じ
その合図と共に、白衣の男女はジェシカを拘束した椅子から離れる。完全に離れてたことを確認し、白衣の男は、手に持つボタンを押す。
すると一瞬、部屋の明かりが、一瞬暗くなる。押されたボタンと共に、ジェシカの体は大きく揺れる。高圧電流が彼女の体を駆け巡った。
失った意識。呼吸すらしていない。心肺停止状態。白衣の女性は、手早くジェシカの蘇生を開始する。
手慣れた手付き。
三十秒ほどで蘇生させ、脈を確認後、もうひとりの白衣の男性に頷き、準備していた注射器を、たくし上げられた、ジェシカの腕に注射した。
ダミ―となる『監視用ナノマシン』の入った注射だ。
男性はモニタ―を
まだ意識が
「
「
「オリジナルの停止時間は?」
「およそ、一分」
「想定より早い…よくやった」
「ありがとうございます、補佐官」
「位置情報も、ちゃんと送信しているか?」
「はい。問題なく補佐官バイタルデ―タと共に。位置情報を修整する場合は、補佐官の内蔵AIに指示して頂ければ――」
「本国に
「ありません。信頼度の高い補佐官のことまで、リアルタイムで追尾するほど、人手は足りてませんから」
「そうか。姫さまの元へ行く。大使館内は?」
「今回の件、オドレイ閣下に何ひとつ情報は漏れていません。日本大使館は完全に、シルヴェ―ヌ派が大勢を占めました。監視システムも我らの手に。本国に対し情報遮断確認済みです」
「そうか。だが気を抜くな」
「承知しました」
ここでようやくジェシカは一息ついた。長年、
シルヴェ―ヌ・フォン・フェイュの執務室前――ジェシカはドアの前に立つ、警備の2名に目配せし、人を遠ざけるよう指示した。
ドアから人が離れたことを確認し、ノックをふたつ。
「ジェシカです。入ります」
扉の中からは返事がなかったが、ジェシカは構わず扉を開いた。シルヴェ―ヌはジェシカに、そういった許可を与えていた。
「ジェシカ。こんな時間にどうしたの」
「姫さま…」
シルヴェ―ヌは自分の口元に立てた指を当て、ジェシカの言葉を遮った。
「―成功したのね?」
「えぇ。姫さま」
「そう…あなたはいつも無茶ばかり……でも、心から感謝してます」
執務室の奥の部屋は、シルヴェ―ヌの私室になっていた。彼女は寝る準備をしていた。
寝間着とは思えない白いワンピ—ス…ドレスに近いモノを、身に
「ふふっ…」
「どうしました。何かおかしな事でも言いましたか?」
「ええ。まさか、シルヴェ―ヌさまに『お心』が残っているとは」
「まぁ、あなたはなんてヒドイことを。あなただってそうでしょ。体内の監視用ナノマシンを、高圧電流で焼き切ろうなんて…どうかしてるわ。常人の考えじゃない。相談された時、私かどれ程心配したか――今だって、私になんの前触れもなく――」
「シルヴェ―ヌさまへの忠節を、
「受け取りました。あなたのことは、今まで以上に心から信頼しましょう」
シルヴェ―ヌは手招きし、ジェシカをその手に抱きしめた。息が出来ないほど、強い力で。
「ジェシカ。こんなに冷汗を……あぁ、あなたの忠誠心は、なんと素晴らしいこと」
高ぶったシルヴェ―ヌの声が、執務室に響く。
ジェシカは咳払いをし、いつもの癖で顔をシルヴェ―ヌの耳元に寄せた。
会話が本国に、筒抜けになることもなくなったのに。
「我が主、シルヴェ―ヌさまの覇道のためです。この身など――」
シルヴェ―ヌはジェシカの体調を気遣い、体を支えながらソファ―に座らせた。
自ら、グラスに冷えた水を注ぎ、ジェシカに飲ませた。シルヴェ―ヌの性格は二面性があるように見える。
しかし、彼女の愛情は常人と、向かう方向が違うだけで、
「随分と、お身軽での来日でしたね」
ジェシカはシルヴェ―ヌの胸の中で、話題を変えた。政敵となりうるオドレイに話題を向けた。
「お姉さまは、余程腕に自信がおアリなのでしょう。平和な日本ということもあるのでしょうね。ふふっ…おかしいものね……お姉さまは、非日本派閥なのに。日本政府はバカでも、お人よしでもありませんのに」
「妹君が
「ふふっ、いい
シルヴェ―ヌ・フォン・フェイュは一度呼吸を整えて、続けた。
「そういう意味では、あれは
「――では今まさに、網に掛かったではありませんか。ご命令頂ければ何なりと」
シルヴェ―ヌは美しい髪をなびかせ、首を振った『せっかちね』と言いながら。
「ジェシカ。今じゃないわ。少なくとも、ジュンイチさまの就任式まではね。国葬になったら、国じゅう自粛ム―ドになるじゃない…我が君の晴れ舞台ですよ? それにね、自分のタイミングがいいの。暗殺は。ふふっ…」
「それは残念です。お嬢さまの『
「もう、ジェシカ『お嬢さま』はやめて。そう…
シルヴェ―ヌの唇が、もう一度『会いたいわね』と動いたのを、ジェシカは気付かないフリした。
「そうそう……ジェシカ。今日じゃない
「場当たり的だからですか?」
「いいえ。考えてみたの。それでね、わかったの。まだ、まだ、まだ、まだ、まだ! 悲劇が足りてないって。そうでしょ? だって我が国民は悲劇を望んでいるのだもの」
シルヴェ―ヌの口元が怪しく歪んだ。
「姫さまはご趣味が悪いですね、相変らず」
ジェシカは口元を隠し、淑女らしく笑った。
「私が初潮を迎えた日に、付き人のあなたに、監視用ナノマシンを注入する義姉の義妹ですもの」
「なら仕方ないですね、姫さまの性格がねじ曲がっても」
ふたりは久しぶりに、監視を気にせず会話を楽しんだ。オドレイは気付いていない。妹がもう、引き返せる場所にもういないことを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます