第57話 加速する現実。
『大変だったみたいだね』
カメラのフラッシュ・ライトに包まれながら現れた、何となく見たことのある男性に声を掛けられた。その声と共に早業の様に彼に手を握られていた。オレがそれを『握手』と気付くまで少しの時間が必要だった。
メディアに求められるままに、見たことのある男性――内閣総理大臣を囲むように立った。彼の左右にオレと舞美。オレの隣に栞が立った。その立ち位置を要求したのが浅倉さんだと気付くのにも、少し時間が掛かった。不思議な感覚だ。この空間を浅倉さんが仕切っていた。
足が地につかない。そんな言葉は知っていたが、実感したのは初めてだ。指先は痺れ、質問には答えたがどこか頭がボヤケているみたいだった。
想像はしていたが、あまりにもたくさんのフラッシュ・ライトで思考停止に陥っていた。隣にいる栞は緊張と得体の知れない、感じたことのない状況に、震えた手を重ねてきた。
伏見田内閣総理大臣。言葉と表情だけなら久しぶりに会う親戚の伯父さんのようだったが、そう映るように演じていたことは、ボヤケた思考回路でもわかった。
栞がこんなにも手が震えているのだから、隣を離れた舞美はもっと不安ではないのか。オレはようやく舞美のことに気が向く位の慣れを手に入れた。だけど、舞美は意外なくらいハキハキと質問に答えていた。
一瞬合った目。座った目。冷静な漆黒の瞳――『マイたん』だ。間違いない。舞美はこの重要な役割を『マイたん』に託していた。それでマイたんは自らの力を温存していたのかと、今更気付いた。
「私はただ無我夢中でした。温かい言葉を寄せてくれた、皆さんのおかげです」
総理大臣の質問に『マイたん』は鷹揚な態度で、少しはにかみながら答えた。我が妹ながら、心から感心した。きっと『マイたん』に入れ替わらなくても舞美は同じことが出来たと思う。それでも共に頑張った『マイたん』に仕上げを任せたのだ。
「何か困ったことが有れば、いつでも力になるよ」
そんな言葉と共に、伏見田総理大臣は記者団に手を振り会見場を後にしょうとした。何事もなく終わりかけた場はある声でひっくり返った。
『伏見田総理。嶋津官房長官のラ―スロ公国訪問の成果をお聞かせください』
よく通る聞き覚えのある声――浅倉さんの声だった。会見場は一気にざわつきだした。プロ同士だからわかる。これは完全な『仕込み』だと。
しかし、問題はそこではない『仕込み』を担当したのはベテランやり手記者でもなければ、総理寄りの馴染みの記者でもない。
『誰…』そんな言葉が口々に溢れた。伏見田総理がそのざわめきを、纏める様に去りかけた足を止め戻った。
柔和な笑顔――『得たり』とばかりの表情のまま明るい声で浅倉さんを指名した。
「君―察しがいいね。名前は?」
「浅倉です。浅倉英子です」
「そう。浅倉さん、あなたが仰っしゃる通り――嶋津官房長官は大仕事をやってくれた。我が国は今日、間違いなく大きな歴史の転換点に立つ」
「それは何らかの条約を締結する、そう考えてよろしいのですか?」
「うん。そうだね。相手国があることなんでね、流石にうっかり者の私でも、ちょっと言えませんが」
「総理、それはどのような分野の条約になるのでしょう。通商関係はなのか、もしくは防衛関係なのか」
記者会見場のざわめきはピ―クを迎えた。それもそのはず。ラ―スロ公国とは通商に関して深い繋がりがあるものの、防衛関係でのパ―トナ―ではない。
つまりこの浅倉さんの質問は本来なら、的外れなものか、尖り過ぎた先走ったものかのどちらかで――失笑覚悟の発言のはずだが、この場の記者団は浅倉さんが既に何らかの『仕込み』だと察しがついていた。
つまり…ラ―スロ公国と防衛関係に於いて、何らかの『重要な進展』がある事を匂わせていた。浅倉さんの発言は完全な『ネタ振り』であり、そこから伝わるのは――何かとてつもない事が起きる。そんな空気だ。
まさにその時だ。我が家に来た女性秘書の方が伏見田総理に近付き、耳打ちをした。総理は2、3度頷き小さく咳払いをした。
「今しがたですが、嶋津官房長官が私に代わりラ―スロ公国と条約の締結に至りました。内容につきましての詳細は別途お伝えしますが、大きくは『軍事』『防衛』『情報セキュリティ』に関するAIの提供をラ―スロ公国より受ける事を決定致しました」
ここからは伏見田総理と浅倉さんの独壇場になった。オレたち3人は女性秘書に連れられひっそりと退場した。
しかし、総理の会見は続いていた。ちょうど浅倉さんの質問が耳に届いた。緊張した声色で質問する浅倉さんの声が言葉が、記者団の差し迫った疑問、そして国民がもっとも知りたい内容へと進んだ。
「しかし、総理。ラ―スロ公国との今回の条約の締結にあたり、我々は避けて通れない現実があると思うのですが――『軍事』『防衛』『情報セキュリティ』に関するAI。我が日本国に於いて現状この分野は長年の同盟国アメリカのAIを使用してきておりますが、この先どのようにしていくおつもりですか。共存は不可能かと思うのですが」
会見場は水を打ったように静まり返った。まさに、嵐の前の静けさだ。
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