災禍のグレースフィール

ドラゴンの出現により王都グレースフィールを逃げ惑う大人達を縫うように、ニコとカーヤの二人は互いに手を繋ぎ逃げていた。

 向かう先は二人の帰りを待つ家族がいる東側の居住区。

 距離にして1キロもないが、子供の足では酷く遠くに感じる。

「カーヤ! 絶対に手を離しちゃダメだぞ!」

「う、うん! ねぇパパ達無事かな?」

 不安そうに家族の事を尋ねてくるカーヤの質問に、ニコは直ぐに大丈夫だとは言えなかった。

 大丈夫な筈だと自信を持って言いたかったが、もしドラゴンが母親やマーニャのいる家を襲っているかも知れないと思うと不安と絶望で、一歩も動けなくなって自分はきっと泣きじゃくってしまう。

 それじゃ守ると誓った先ほどの言葉が嘘になってしまう。

 守りたい人を守れる強い男になると誓った数分前の自分を裏切る事になる。

 そんな事をしたら自分はきっとここから生き残れたとしても、胸を張って明日を生きていく事は出来ないだろう。

 とにかく何でもいいから、無理矢理にでも言葉を吐き出した。

「……っ、大丈夫! 皆んな無事だよ」

 その言葉はカーヤだけで無く自分自身を安心させるための言葉だったかもしれない。

 ただとにかく二人とも早く家に帰りたいと思いながら必死に走る。


 必死に走った。

 だけど突如上空が陰った。

 ニコとカーヤの二人は足を止め恐る恐る上を見上げる。

「あれが……ドラゴン」


 上空を我らこそが空の王者と言わんばかりに悠々と飛ぶ無数のドラゴンが、王都をニコ達の上を飛び交う光景が広がっていた。

 人生で初めて目撃する人類の宿敵たるドラゴンを前に二人はただ呆然と眺めるしか出来ず、硬く繋いでいた手もいつの間にか離れていた。

 

 ありえない光景だ。

 ドラゴンとの生存圏から遠く離れたトレニアの王都が奴らに襲われ破壊されていく。

 建物が破壊される音や大人達の悲鳴が辺り一体から聞こえてくる。

 鳥籠の日常が安安と壊されていく。

 そんな絶望的な状況で先に我に帰ったのはニコだった。

 ドラゴンが飛んでいった先の方角を見つめていると、ふと母親と妹も顔が過った。

 ドラゴンが向かった方角そこは、ニコとカーヤが帰ろうとしていた家のある移住区のある場所だった。

 ニコは咄嗟に走り出した。

 「……ッ! 母さんアーニャ!」

 「ニコッ!」

 ニコが走り出す瞬間カーヤは彼の手を掴み直そう伸ばすが、掴めずスルリと虚空を握る。

 走り去っていく幼馴染の後ろ姿と虚空を掴んだ握り拳が重なって見えたカーヤは、もうこのまま二度と会えないのではと不吉な事を考えてしまった。

 そんな事を考えている余裕なんてないのに、恐怖心の奥底に棘が刺さったようなチックとした痛みがカーヤを襲う。

 躊躇いがニコとの距離を遠くする。

「待ってよニコ!」

 彼女の声は前を行く少年には届かず、少女は後を追うように走り出す。

 瓦解する街並みは燃え獣の咆哮が木霊する殺戮場と化した王都それでも二人にとってはここが唯一の故郷と呼べる家なのだ。


 通い慣れた道がまるで初めて通る道かのような印象を与える程に、ドラゴンによって破壊された帰り道をニコは通り抜ける。

 倒れた木々を潜り倒れている大人達を見ないようにしながら、さっきまで横にいたカーヤの事も忘れニコは走った。

 あと少しあの角を曲がれば家はすぐ目の前だ。

 肺の痛みを堪え足も限界を超えてニコは走り続けようやく辿り着いた。

 辿り着いた先そこにあったのは瓦礫の山と化した我が家だった。

 「はぁはぁ……なんだよこれ…なんなんだよこれ!!」


 間に合わなかった。

 地面に膝を突き堪えきれずニコの瞳から涙が溢れ出す。

「母さん、マーニャ……ごめん俺守れなかった」

 ポロポロ、と我慢してきた涙が地面に滴り落ちる。

 大切な人を失った悲しみに、子供が耐え切れるわけもなかった。

 立ち上がる気力も湧かず、ニコはこのまま死ぬんだと諦め切った時だった。

 瓦礫の中からか細い赤子の鳴き声が聞こえた。

 弱いされど生きようと必死に声を上げる小さな命の叫び声がニコを立ち上がらせた。

 立ち上がり走ろうとして転けて膝を擦りむいた。

 痛みに耐えもう一度立ち上がり瓦礫と化した家に足を踏み入れる。

 朝、飛び出した玄関は扉が外れ中も酷かった。

 壁は壊され基礎の柱も倒れている。上を見上げればポッカリと穴が空いていた。

 ドラゴンが空から現れ押し潰された痕跡を目にしてニコは涙が出そうになるが、グッと堪えて赤子の声がする場所に向かって進む。

 

 進んだ先、普段リビングとして使われている場所でニコは、瓦礫で埋もれる母親の姿を見つける。

「母さん!」

 瓦礫から何かを守るようにして蹲る母親の側にニコは急いで近寄る。

 ニコは気を失っているのか全く動かない母親に覆い被さる瓦礫を退かす。

「母さん母さん! 俺だよニコだよ!」

 何度も声をかけても母親は起きる素振りを見せない。

 瓦礫を退かしているうちにニコは自分の手が真っ赤になっている事に気が付く。

「血? なんで」

 辺りを見渡せば辺り一帯が血溜まりとなっていた。

「あっ……母さん……頼むよ起きてよ。もう、父さんと喧嘩しないから、お願いだから目を覚ましてよ」

 縋るように懇願するニコのお願いは、されど母親が聞き入れる事はなかった。

 支柱の破片が背中に深々と突き刺さる母親の声をニコはもう二度と聞く事はなかった。


 これで今日何度目の涙なのか。

 泣きすぎて枯れ切った目をニコは手で摩り、蹲る母親を床に寝かせる。

 最後に見る母の顔は何処か優しく微笑んでいる、そうニコは感じた。

 きっと最後までこの子を安心させるために笑っていたんだ。

 ニコが両手で抱く鳴き声の正体である自分の妹マーニャを見てニコはそう思った。

 守らないといけない母が守ったこの子を守る。

 マーニャを大事に抱き抱えたニコは、出口に近づくと最後に母親の方を振り返った。


「さようなら……母さん」


 ニコはボソリっと母親に別れを告げ歩き出す。

 だが依然としてドラゴンの脅威が去った訳でもなくここはまだ人を喰らう獣が跋扈する危険地帯には変わりはない。

「早く逃げないと、アレは?」

如何にかして此処を逃げ出すかニコが考えていると、前から少女らしき人物が何かを叫びながら此方に走って来る姿が朧げに視界に映った。此方に向かって走る少女その正体は、ここに来る時に置いてきぼりにしてしまったカーヤであった。


「カーヤ! 無事だったのか」

 ニコは今更になって彼女を置いていった事を思い出し、無事な姿を見れた事に安堵した。

 

 カーヤが何かを叫んでいた。

 だが遠すぎてよく聞き取れない。

「に………コ」

 騒音に遮られカーヤの声がここまで届かない。仕方なくマーニャを右腕だけで抱き直し左手を耳に当てる。

「に…にげ……コ」

 カーヤだと認識できる距離で少女の叫び声がハッキリと聞こえた。

「逃げてニコ!!」

 カーヤの叫び声と共にバコンっとカーヤの背後にあった建物が土煙を上げ倒壊した。

 倒壊したことで発生した風圧に押しのけられカーヤとニコは尻餅をつく。

「ごほぉ、ごほぉっ、一体何が起きた」

 土煙のせいで視界が利かない中で、ニコは何か巨大な影が動くのを捉えた。

「GUURRRRRRRRRRRRRRRRRR!!」

 それは二対の両翼で空を飛び、岩も砕く牙を打ち鳴らし、火を吐く人類の宿敵たる獣の雄叫びだった。10メートルはあろう体躯に、黒色の鱗を纏ったドラゴンがニコ達の前に姿を現した。

「ハァハァハァックソ! カーヤ早く俺の所に!!」

 ドラゴンから最も近いカーヤは未だ尻餅を付いた状態で、しかもドラゴンの姿を見て立ち上がる気力を完全に失っていた。

 ドラゴンにとってはさぞ殺し甲斐のある獲物に見えた事であろう。

 完全にカーヤを獲物と判断したドラゴンの口の隙間から火が溢れる。

 鋼鉄をも溶かす灼熱のブレスがカーヤに向かって放たれようとしていた。

「そんな、ダメだ! カーヤ走れ!」

 何とか立ち上がり走り出すカーヤだったが、その瞬間ドラゴンの口から炎の息吹が吹き溢れる。ドラゴンと離れていたニコですらその威力に抗えず、吹き飛ばされるそうになる高火力のブレスを近距離で受けたカーヤは自分が助からないと悟ったのか足を止めた。

 マーニャを抱きしめるニコは炎に包まれるカーヤが、涙を流しながら笑い何か言っているのを目にして吹き飛ばされる。


 勢いよく体を地面に打ち付けるニコは、ゴロゴロと転がり瓦礫に打つかり止まる。

 意識があるのが不思議なほど傷だらけになったニコは、両手に抱く妹が無事かを確認する。金切声を上げ泣くマーニャが無事生きている事を確認したニコは、朦朧とする意識の中で目の前に立ち塞がるドラゴンを睨みつける。

「なんで、何でこんな事するんだよ! 命を奪って楽しいか? ふざけるなよ俺から全てを奪って楽しいか!? お前達は何がしたいんだよ!!」

 ニコの心の叫びは獣には通じず暴力による死が迫ってくる。


 人は己だけでの力ではドラゴンに勝つことは出来ない。

 だから知恵を振り絞り、互いに協力し合いながら戦ってきた。

 

 生き残るため、愛する人達を守るため、子供を守るため男らは兵士になったのだ。


「させんぞ!!!」


 幻聴じゃない心の底から安心する声が空から聞こえた。

「父さん?」

 空を切る鋭い音と共にドラゴンの硬い鱗を弾槍が撃ち抜く。

「GUROOO!?」

 急所を撃ち抜かれたことでドラゴンの意識が完全に途切れ、巨体が地面に沈む。

 ドラグーンライダーによる攻撃によってドラゴンは死んだ。

 霞む視界で空を見上げると数機のドラグーンが飛んでいた。

 飛んでいるのはパレードで見たドラグーンと同じだった。

 そのうちの一機が降下してくる。


 助けが来て安堵したのかニコの意識はそこで途絶え、薄れゆく意識の中で誰かが自分を呼んでいる気がした。


10年後。


「おい……おい、起きねえか出番だぞ! ライダー!」

 目が覚めるとそこは薄暗い倉庫の様な場所だった。

 機械油で服が汚れた中年の機関士に叩き起こされたニコは、癖のある黒髪をガリガリとかきむしりため息を吐く。

「ああ、なんてクソッタレな夢なんだ」

 久しぶりに子供の頃の夢を見た。

 こんな陰気くさい所で寝るもんじゃないな、お陰で最悪な気分で仕事をする事になった。

「なにブツクサ言ってんだ。ドラゴンが来た! さっさと空に上がりな!」

「分かってるよ。それが俺の仕事だからな」

 怒鳴り付ける機関士を軽くいなしニコは、薄暗くて狭苦しい倉庫の中を進む。

 狭苦しい所だがそれは此処が航空戦艦に敷設されたドラグーン格納庫だからだ。


 ニコは格納庫に収納されていた緑とグレーに塗装され、機体の腹部にドラゴンを槍で突き刺すエンブレムが描かれたドラグーンに跨る。

「精々生き残るこったライダー」

 激昂なのか皮肉なのかわからない事を呟いた機関士は、外に通ずるハッチの開閉レバーを引く。がこん、とハッチが揺れ下に降下し、ドラグーンの出撃準備が整う。


「言われなくても生き残るさ。マーニャが待ってるからな」


 航空戦艦から青年となったニコの乗るドラグーンが出撃する。


 雲を裂き進むドラグーンライダーその後姿はまさに、ドラゴンを屠る狩人の背中だった。

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