晩餐
エットーレとの晩餐は食堂ではなく、小部屋でだった。給仕は、普段彼の世話をしている従者や侍従たち。それでも彼は前髪を下ろして顔を隠していた。お茶をしているときもそうなのだけど、はっきり言って、気になる。食事するのに邪魔そうなんだもの。
だけどエットーレは瞳のことをだいぶ気にしているみたいだし。
どうするかだいぶ迷ったけれど、思いきって伝えることにした。
「エットーレ様。お食事のときにその前髪は邪魔ではないのですか」
私がそう言うと、彼はカトラリーを持つ手をぴたりと止めた。
「不躾なことを申してごめんなさい。ですが気になってしまって」
「普段からこうなので邪魔だと思ったことはないのですが、気になりますか」
「ええ」
「一般的に言って、見苦しいですよ」
そう言い放ったのは壁際に控えていた従者だった。バジリオ・ヴィルガ。エットーレが城に戻ったときからずっと仕えているという。
「レディとの食事風景とは思えません」
「だがこの目のほうが見苦しい」
エットーレはバジリオにそう答えてから、私に
「申し訳ありません」
と謝った。
「私は『美しい瞳と思う』とお伝えしたはずですが」
「――そうでしたね」
「もしやお世辞だとお思いになったのでしょうか」
「そういう訳では――いや、結局あなたの言葉を信じていない、ということになりますね」
エットーレはカトラリーを置くと、ポケットからピンを取り出した。
「エットーレ様。無理にお顔を
「だけど気になるのでしょう?」
バジリオがさっとエットーレに歩みより、手早く前髪を額の上で留めた。
「どうにも目に自信がないもので。いい年をしていながらお恥ずかしい限りです」
「理由があるのですから恥ずかしいことではありません。ですが私はエットーレ様の目を見てお話できるほうが嬉しいです」
「……そうですか」
そう言ったエットーレは目を伏せた。やっぱり目を
「あの、」
「マルツィア嬢」
エットーレと私が同時に口を開き、お互いに譲り合う。そして彼が先に話すことになった。
「特殊な環境にいたものですから、女性と接する機会は仕事以外にはほぼありませんでした」とエットーレ。「情けない話ですが、もし私に至らない所があったなら遠慮なく仰って下さい。善処します」
『特殊な環境』という言葉に胸が痛む。
「……ではエットーレ様も。私にそのように思うことがありましたら、すぐにお教え下さいな」
「マルツィア嬢にそんな所はありませんよ」
「何かありませんか? 私はエットーレ様に改めていただきたいことが一つあります」
「何でしょうか」
「どうぞ『マルツィア』とお呼び下さいな」
前から気になっていたのだ。『マルツィア嬢』だなんて、よそよそしい。エットーレが丁寧な対応をする性格だとは分かっているけど、元婚約者には未だに呼び捨てされるのにエットーレからは敬称付きというのは、もやもやする。
だけどエットーレはなかなか返事をしない。
「お嫌ですか?」
そう訊くと、いいえと答えた。
「ただ、訂正をさせて下さい。私もあなたにお願いしたいことがありました。是非とも『エットーレ』と呼んでいただきたい」
「それは……」
十も年上の王子に対して失礼すぎる。
「駄目でしょうか」
エットーレが悲しそうな顔をする。
「で、ではふたりきりの時だけ……」
ますます悲しそうなエットーレ。
「……分かりました。そうお呼び致します」
観念して承諾するとエットーレは微笑んだ。白皙の頬がほんのりと色づいていて、あまりの美しさに鼓動が速まってしまう。
「そうだ、マルツィア」エットーレはそう言って上着の内側から小箱を取り出してテーブルに置いた。「こちらをあなたに。――たまたまあなたに似合いそうなものを見つけたのですよ」
手を伸ばし小箱を取る。そういえばここ何年か、元婚約者は贈り物をくれなかったな、と思い出す。私は誕生日や季節に合わせて贈っていたけど、それは義務感からだった。
エットーレは何を、私に似合うと思ってくれたのだろう。そう考えとドキドキしながら箱を開き、思わず
「可愛い!」
との声を漏らしてしまった。中に入っていたのは青い小鳥のブローチだった。
「良かった」
ほっとした声に、エットーレを見る。表情も安堵そのもの。私が気に入るか、心配していたのかもしれない。
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
「そう言っていただけると私も嬉しいです」
優しく微笑むエットーレに、胸がまた高鳴る。もしかしたら前髪なしの彼といたら、私の心臓は落ち着くことができないのかもしれない。
◇◇
廊下をひとり、急いで晩餐中の小部屋に戻る。
給仕に慣れていない侍従のうっかりミスで、スカートにワインが溢れてしまい着替えたのだ。服は亡き王妃のものを貸してくれた。
ホストをひとりで待たせているから急がないと。
早足で部屋の前まで戻ると、中から話し声がした。エットーレとバジリオだ。そうだ、従者がいたのだったと安堵して部屋に入ろうとしたとき。
「それにしても大失恋をして屍のようになっていたあなたが結婚とは。陛下のお心遣いには心から感謝しておりますよ」
そんな言葉が聞こえてきた。バジリオの声だ。
「余計なことを言うな」
こちらはエットーレ。
大失恋。エットーレが?
異性と接する機会はなかったのではないの?
心臓がバクバクと鳴っている。
いや、と思い直す。エットーレは『仕事以外で』と言っていた。つまり仕事でなら交流はあるということ。
彼が生涯独身だと考えていたのは、大失恋をしたから。
契約結婚を提案したのは、今でも相手の方を好きだから。
そう考えると色々と腑に落ちた。毎日会いに来てくれて優しいエットーレが、どうして離婚前提の白い結婚にこだわり続けるのか不思議だった。だけど瞳のことだけでなくて恋心も理由なら納得できる。
――そうか。エットーレには想いを寄せる方がいるのか。
それなら私に優しくなんてしないでほしい。
どす黒い気持ちが湧き上がり、慌てて首を横に振る。優しくないサンドロに呆れていたくせに、自分勝手もいいところだ。
エットーレは婚約者に誠実に対応しているだけ。彼は悪くない。
私が勝手にひとりで浮かれたりがっかりしているだけのこと――。
息を大きく吸い、ゆっくり吐き出す。
私、平静を保つのは得意のはずでしょ?
王子妃になるために特訓したのだから。
顔に笑みを浮かべると、
「お待たせしました」
と声を掛けながら部屋の中に足を踏み入れた。
二度目の婚約で幸せになれそうです ~王子に婚約破棄されたら、ボサ髪で顔を隠した青年に契約結婚を持ちかけられました~ 新 星緒 @nbtv
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