元婚約者
王子であるエットーレとの婚約。といっても私がしなければならないことは特にない。王子妃として必要な素養はとうに身につけている。陛下からもお墨付きをいただいた。
だから王族に定期的に生まれるという、オッドアイについて研究してみることにした。エットーレには内緒で。陛下にはご許可をいただいて。
陛下が何故はなから迷信だと考えていたのかが気になったのだけど、それには悲しい理由があった。末の妹君が赤と金の瞳だったそうだ。生まれたときから『忌み子』と呼ばれ、戸籍は作られず軟禁されたという。
彼女はたった五歳で亡くなったけど、誰も不幸にならなかったし、国も傾かなかった。
陛下がエットーレに便宜を図るのは、後悔からでもあるらしい。
だから私が研究したいと願い出ると、諸手を上げて賛成し、王宮にある図書室への出入りの許可もしてくれた。
おかげで私は城に日参し、資料を読む日々を送っている。エットーレには適当に誤魔化しているけど、陛下が口裏を合わせてくれているおかげで、本当の目的はバレていない。
それどころか休憩時間は、鎧を脱いでもじゃ髪姿で会いに来てくれる。ふたりきりでお茶を飲み、他愛もない会話を楽しむ。
エットーレはやはり大人で、私と意見が食い違ってもちゃんと聞いてくれる。『生意気だ』『正しいのは私だ』としか言わなかった誰かさんとは大違い。
食事や音楽、書物の好みも合って、一緒に劇場に行く予定を組んだり、結婚後は旅行に出る約束もした。
おかげで毎日が楽しい。あの時に求婚してもらえて良かった。
だけど彼にとっては契約結婚なのだ……。
◇◇
いつも通りの一日を過ごし帰宅しようと図書室を出たら、サンドロが通りかかったところだった。婚約破棄の翌日に会って以来、実に三週間ぶりだ。
サンドロは私を見て驚いた顔をしたけど、すぐに気まずげにそわそわしだした。
無難な挨拶をしてやり過ごすのが一番。
そう思って片膝を曲げて頭を下げ、元婚約者が去るのを待った。だけどサンドロは去るどころか近寄ってきた。
「マ……マルツィア。婚約者の身元は分かったのか?」
顔を上げてみるとサンドロはそっぽを向いていた。もしかしたら何気ない風を装っているのかもしれないけど、やっぱりそわそわはしている。
「お祖父様に訊いても教えてくれないのだ」
「ご心配して下さったのですか?」
「べ、別に、そういう訳では」
焦ってワタワタした、と思ったらサンドロは深いため息をついてから私を見た。
「――そうだな、心配はした。お前を好きにはなれないが、不幸になれとは思っていない。あの男を勧めたのは私だ」
「責任をお感じにならなくていいのですよ。私が自分で決めたのですから」
「う、うむ」
「あの方について大まかなことは伺っています。どうぞご心配なさらないで下さい」
「そうか。ならば良かった――その」とサンドロは後ろに控えている従者をちらりと見た。「お前が私とのヨリを戻そうと城に日参していると聞いたのだ」
サンドロが再び従者を見る。と、彼は気まずげに
「そのような噂になっている、と申し上げただけです」
と言った。
なんだそれは。私は初耳だ。
「毎日登城しているのは事実ですが、この通り、図書室におります。サンドロ殿下の婚約者ではなくなったおかげで自由時間が増えましたから、趣味でちょっと研究を」
「……そうか。研究か。相変わらずやることが可愛くない」
サンドロは私を詰ったけど、その声は以前ほど忌々しげではなかった。
「……マルツィアは可愛くないが、いつも変わらないな」
「そうですか」
「常に同じ態度だ」
「何かおかしいでしょうか」
「いや。お前がそうだから、みなそういうものだと思っていた」
サンドロは目を反らした。
「近頃のベアータは怒ったり他人の悪口ばかりだ。以前は可愛かったのに」
なるほど。ベアータは本性を隠しきれなくなってきたらしい。だけどサンドロがそんな文句を言うなんて、図々しい。彼は私の前で散々そんな態度をとっていた。
「身につまされた」とサンドロ。「あれは以前の私の姿だ」
おや? 自分で気がつくことができたの? サンドロが?
もしや成長した!?
「マルツィアはよくアレに耐えていたな」
「聞き流していましたから」
サンドロが再び私を見る。
「……その態度が気に入らなかった。私の話にちっとも親身にならない。だがアレはそうなりようのない話題だったのだな。むしろうんざりした様子を見せなかったお前はすごい」
サンドロに褒められた! 天変地異の前触れかもしれない。もしくは罠か。私を詰るしかしない人だった。気を引き締めて、
「ありがとうございます」と答える。
「そう思うなら、少しは嬉しそうな顔をしろ。本当に可愛げがないな」
そう言ってサンドロが微笑んだ。私に向けて!
こんなことは何年ぶりだろう。もしかしたらさっきのも本気で褒めてくれたのかもしれない。
「嬉しいと思っていますよ」
「そうか?」
「はい」
と、ツカツカと足音がした。もじゃ髪姿のエットーレだった。
無言でやって来て私の隣に立つ。
「お前」とサンドロ。「何故王宮にいる? そもそも名は? どこの家門だ?」
「お答えしかねます」
思わず耳を疑った。エットーレの声は聞いたことがないほど冷ややかだった。
「無礼者め、私は王子だぞ」
「今はそれで良いと陛下のご許可もいだいています。それよりも彼女に近づかないでいただきたい」
「は? 何故そんなことを貴様に指示されなければならない。私は彼女と長い付き合いがあるのだ。婚約を解消したからといって見知らぬ他人同士になる訳ではないのだ!」
居丈高な顔をして胸を張るサンドロ。色々と指摘したいことだらけだぞ。
「『解消』ではなく、殿下からの一方的な『破棄』でしょう」とエットーレ。
私がうなずくとそれを見たサンドロが少し怯んだ。
「……あれは言葉が過ぎた」
おや、また彼らしくないセリフだ。やっぱり成長したのかな。
「近頃彼女に関し、事実無根の噂が出回っています。『他人ではない』とお考えならば一層、慎重に接していただきたい」
「……私は自由にマルツィアと話すこともできないのか」
「彼女を切り捨てたのは殿下です。後悔したからといって、あなたがなさったことは帳消しにはなりませんよ」
「べ、別に後悔などしてない!」
サンドロが私を見る。が、すぐに視線は逸らされた。
「お前」とサンドロはエットーレの肩を指でトンと叩く。「お祖父様に何を許可されたのかは知らないが、口の利き方には気を付けろ。今回だけは許してやる。――またな、マルツィア」
元婚約者はそう言って機嫌悪そうに去って行った。口論の相手が血を分けた兄だと知ったらどう思うのだろう。
「マルツィア嬢。私は邪魔をしたでしょうか」
エットーレがいつもの穏やかな口調で尋ねてきた。
「いいえ。でももしかして何か誤解をなさっているのでは? サンドロ殿下は紳士的でした。驚くほどです」
「……そうですか。ですが彼にはあまり近づかないことを勧めます。城には下らない噂を流すヤツらがおりますから」
「私がサンドロ殿下を諦めない、というものですか? 私は噂程度で傷つくほど、やわではありません。ご心配なく」
「……分かりました。実は晩餐の誘いに来たのですが、いかがでしょう?」
「まあ。嬉しいです」
本当に。毎日会いに来てくれるだけでなく、私のことをあれこれと心配もしてくれる。
契約結婚なのに。
そう考えたら胸がズキリと傷んだ。
エットーレは優しいけど、私を好きなわけじゃない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます