おまけSS・覚悟を決めたエットーレ

 まさか陛下が、私の素性を明らかにして挙式を行うつもりだとは思わなかった。十年もの間、私の意見を尊重して身元を隠すことに協力してくれていたのだ。最初に、『結婚しなければクビ』なんて命令を下した時だって、そんな素振りはなかった。むしろ私の未来をより良きものにするため、という話だった。


 だけど今は自分のことよりも――。


 少し離れて隣を歩くマルツィアを盗み見る。今日も綺麗だ。元々美しい容貌ではあるけれど、背筋をピンと伸ばし自信に満ち溢れた顔で真っ直ぐ前を見る彼女には、言葉では言い表せないオーラがある。


 顔を見せようとした私を素早く止めたマルツィア。夫になる男の顔は気になるだろうに。

 彼女は優しく情け深い。


 こんなに素晴らしい彼女を、補佐官の仕事を失いたくないなんて我欲で、私の妻に迎えてよいのだろうか。サンドロに婚約破棄されて名誉に傷がついたとはいえ、私よりもっとまともな求婚者が現れるかもしれない。

 いや、必ず現れるだろう。


 後悔がふつふつと湧いてくる。

 時間が経つにつれ、マルツィアと会話を重ねるほどに、申し訳ない気持ちが募る。


 私の求婚はフェアではなかった。不誠実もいいところ。


 だけど今ならまだ、深い傷にはならない。忌まわしい目を見せ全てを話そう。婚約を解消して構わないと伝えるのだ。



 ――ツキリと胸が傷んだ。



 マルツィアは素晴らしい令嬢だ。彼女との縁が切れるのは本望ではない。それでも彼女には全てを明らかにしないとならないのだ。




 ◇◇




 やはりマルツィアは 素晴らしい。全てを話しても『迷信でしょう』と笑い飛ばし、気味の悪い目も『美しい』と褒めてくれた。

 婚約解消もしないという。ルフィーノのためとはいえそこに悲壮感も気負いもない。



 ――でもやはり。私との婚約はルフィーノが目的か。

 勿論それでいいのだ。私がそう提案したのだから。

 なのに何故、私はがっかりしている。私は自分自身を選んでもらったとでも思っていたのか?


 前髪越しではないマルツィアの笑顔が眩しすぎて、ピンを外す。手櫛で髪を顔の前に下ろし、彼女の視線から逃れたことにほっとする。


「それでは結婚についての契約を改めて確認しましょう」

 私がそう告げると彼女は怪訝そうな顔になった。契約といっても大層なものではない。昨夜話したことの確認に過ぎない。書類に起こすためには必要だ。


 マルツィアがいくら聡明だろうと未成年。一方私は彼女より十も年上のいい大人だ。彼女が不利益を被らないよう、私が配慮をしなければならない。




 それだというのに心優しいマルツィアは、私を案じて契約は必要なのかと確認をしてくれた。一般的に考えれば、爵位も領地も持っている王子が跡取りを必要としないのは、おかしいだろう。


「生涯独身のつもりでした。婚姻がイレギュラーなのです。白い結婚も離婚もそれを少しでも是正するためのものだと考えていますよ」


 彼女が負担に感じないよう、やや大袈裟に話すと、マルツィアは納得できたようだった。

 立ち上がり、マントルピースに置かれた呼び鈴を鳴らしに行く。

 すぐに現れた侍従にペンと紙を用意するよう言いつける。善は急げだ。契約を今交わす。



 ――本音を言えば、結婚に憧れはある。若いときには、異性に愛されたいと願ったこともあった。

 だが三十路手前の男が、いつまでも夢を見るのは愚かだ。

 現実を見て正しく行動しなければならない。マルツィアを不安にさせないように。マルツィアに嫌われないように。


 


 ろくに異性と話したこともない私が、マルツィアの前で『正しく』振る舞えているのかには、若干の不安があるが。

 今のところは良い雰囲気なのではないだろうか。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る