覚悟
エットーレの希望でふたりだけで話すことになった。アダルベルトは渋い顔をしていたけど、陛下が許可したものだから意義を唱えられなかったみたいだ。
別の部屋にエットーレと移り、新しいお茶、みんなが出ていくという流れを繰り返す。違うのは今回はテーブルが四角いことくらい。
それにしても緊張する。サンドロとだってふたりきりになったことがない。もちろん他の異性とも。
エットーレの顔が半分見えないのは良かったのかもしれない。目を真っ直ぐに見る必要がないもの。
「そういえば、あなたのご友人たちは大丈夫でしたか?」
エットーレが穏やかな声で尋ねてきた。
十歳も年上の彼は異性とふたりきりでも緊張しないみたいだ。さすが大人、と思いながら質問を考える。
「『大丈夫』とは何のことでしょう」
「私との婚約です。皆さん心配そうでしたから」
昨晩のことか。確かに私が陛下の御前に出たとき、友人たちは不安そうにこちらを見ていた。それなのに彼女たちに何の説明もできないままだったから、
「今朝は皆様から私を案じる手紙が届きました」
という事態になった。
「心配ないとの返事を出しましたから、大丈夫でしょう」
「すみません。私がこんな状況で」
「婚約を承諾したのは私です。エットーレ様に強要された訳ではありません」
「……そうですね」
ほっとしたらしい声だ。
やっぱりエットーレは優しい人なのだと思う。私の友達の心配までしてくれるのだから。
カップに手を伸ばして、温かいお茶を飲む。
年は離れているけど、優しくて穏やかで他人を気遣える人だ。サンドロよりもずっと良い結婚相手だと思う。
でもエットーレは白い結婚にすると言っていた。その必要は、私としてはないと思うのだけど、彼にはあるのだろうか……。
「マルツィア嬢」
さっきとは違う硬い声。
「これは私の意思でのお願いです。顔を見ていただけませんか」
前髪に隠れている目からの、強い視線を感じる。
「エットーレ様がお望みならば、喜んで拝見します」
「ありがとうございます」
まだ硬い声でそう言ったエットーレは、うつ向くと手早く前髪を上に上げてピンで止めた。今回は手は震えていなかったみたいだ。
すっと頭が上がり、目が合う。
「……これが私の顔です」
エットーレの思い詰めた声。
「……『見せられない』と仰った理由が分かりません」
エットーレは美男だった。これほど美しい人は男女問わず、見たことがない。すっと通った鼻筋も、涼しげで知的な目も、優しげな口元も、何もかも完璧。ただ、瞳が普通ではなかった。右がルビーのような赤で左が金。
「目です」エットーレの声はまだ硬い。「時折、王家の者にこの目を持つ者が生まれ、その者は周りに不幸を振り撒き、国を傾かせることもあると言われています」
「迷信でしょう?」
「……どうして、そうお思いに?」
「まず、エットーレ様がお生まれになってから二十八年。国は傾くどころか陛下のおかげで発展し続けています」
「……ええ」
「それにもしエットーレ様の周りで不幸が続いていたなら、どのような理由があっても求婚なんてしないのではありませんか?
お会いしてからまだ一日も経っておりませんが、あなたはそういう方だと感じています」
エットーレはまたもうつ向いて、深く息を吐き出した。
「恐れていたのがバカらしくなるほど、マルツィア嬢は軽やかにかわしてしまうのですね」
「軽やかでしょうか。明白な事実を申し上げただけです」
彼は顔を上げた。また目が合う。
「外部ではあまり知られていませんが、王族の中では有名な伝承です。王宮で代々働いている者たちにもです。現在は私を受け入れてくれている人も多いですが、かつては……。陛下が選んだ使用人でさえも、私と目を合わせることを避けていました」
聞いているだけで胸が痛くなる話だ。
「それではエットーレ様が恐れるのは当然でねす。でもご心配なさらないで。私は美しい瞳だと思います。それ以外は何も」
「今でも多くの者がこの瞳を忌むべきものと考えています。私が本名を名乗れば彼らに疎まれ責められるでしょう。私の妻になれば、あなたもです」
「気に……」
「今ならまだ間に合います。この婚約をお断りになっても構いません」
「……」
エットーレは静かに私を見ている。
「どうして今更そんなことを仰るのですか?」
「私が本名を名乗らねばならなくなったからです。陛下は今まで通称で全てが上手くまわるよう、便宜を図ってくれました。てっきり結婚についても、そうだと思っていたのですが」
陛下が『結婚を大々的に行う』と仰ったからか。
「結婚しなければクビなのでしょう?」
「あなたの立場を悪くするのは本意ではありません」
私にとっては顔も名前も不明の不審人物との婚約も、不吉と忌み嫌われる人物との婚約も大差ない。だけどエットーレにはそうではないらしいし、そう考えるのはきっと、彼がそれだけ辛い思いをしてきたからじゃないだろうか。
「……実はあなたに本名を名乗らなかったのは、確実に婚約するためでした。卑怯な策です。陛下にも叱られました。ですから婚約解消があなたの不名誉にならないよう」
「エットーレ様」
先ほどとは逆に私が話を遮った。
「解消しません。昨晩にお話を受けた時点で、通常の結婚ではないとの心構えをしていますから。ルフィーノの味方が増えることのほうが、私には重要なのです」
「……そうですか。分かりました」
エットーレはそう言うと髪を止めていたピンを外した。前髪は下ろされ、また顔が見えなくなった。
「それでは結婚についての契約を改めて確認しましょう」
契約?
「私はクビにならないために結婚が必要です。あなたは妻という関係を私に提供し、私はその見返りとしてルフィーノ・オルランディ公爵との安全な生活を約束します。
また、特異な状況にある私との結婚があなたに及ぼす影響を考慮し、あなたからの離婚の申し出は必ず承諾します。
離婚後の再婚が円滑に進むよう私との婚姻は白いものとし、契約書も作成します」
エットーレは淀みなくそう言うと、
「あなたからは何かありますか?」
と訊いた。
『何か』も何も。私はエットーレと普通の夫婦になりたいと思っている。
「契約は必要でしょうか」
「必要です!」私質問に婚約者は力強く答えた。「マルツィア嬢を守るためのものです」
「いえ、そうではなくて」
「もしや私のことをお気遣いなさってますか? でしたらご心配なく。生涯独身のつもりでした。婚姻がイレギュラーなのです。白い結婚も離婚もそれを少しでも是正するためのものだと考えています」
「……」
エットーレの見えない目を見つめる。
つまりこの人は独身主義者ということ?
陛下のご命令で渋々結婚するだけだから、形だけがいいの?
離婚もむしろ大歓迎なくらい?
なぜか胸の裡がざわざわとする。
だけどエットーレが独身主義になったのも生い立ちに由来するのかもしれない。
「分かりました。では契約を交わしましょう」
「良かった」
ほっとしたような声。
私が実質的にも夫婦になりたいと言ったなら、エットーレは困ってしまうのだろうか。
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