事情
エットーレが席に着き、新しいお茶がそれぞれの前に用意される。またしても近侍たちは去り部屋には私たちだけとなった。
「トンマーゾ殿下のご長男様はお亡くなりになったと聞いた覚えがあるのですが」
そう切り出すと
「だが都で葬儀は上げていない。執事は知っておろう」
陛下が言い、アダルベルトがうなずいた。
「はい。ご静養先でお亡くなりになったらしいと、風の噂で聞いただけでございますが」
「でも王子が亡くなったのなら喪に服したり半旗を掲げたりするのではないのですか」
「それはトンマーゾが誤魔化した。あいつが人生で一番上手く立ち回ったのが、エットーレの件だ」
トンマーゾと彼の最初の妻カリーナは政略結婚で、仲はかなり悪かった。それでもなんとか生まれた第一子、エットーレは顔に重大な問題があり、カリーナは夫に詰られ失意のまま死去。トンマーゾは世間に息子は病弱と発表して隔離したという。
カリーナの父である隣国の王もエットーレの問題に嫌悪を示していたため、陛下は当面はトンマーゾの方針の異を唱えないことにした。その代わりにエットーレを離宮に移し、最高の教育を施したそうだ。
そうして十年が経ったとき、トンマーゾに二人目の息子が生まれた。サンドロだ。その頃ちょうど我が国とカリーナの母国が交易を巡って険悪な仲になっていた。これをトンマーゾが利用して、長男が静養先で亡くなったとの噂を流したという。更には、次男が生まれたばかりで尚且つ隣国との関係から、大々的な追悼はしないらしい、とも。
噂はゆるゆると広がり、トンマーゾの長男は没したという嘘は事実と思われるようになった。
「その頃のトンマーゾはサンドロとその母親を溺愛していてな」と陛下。「己の後取りをサンドロにするためにはエットーレを暗殺しかねなかった」
だから敢えて噂を訂正しなかったという。
その後エットーレが才気溢れる青年に成長したので、陛下は補佐官に迎えた。この機会にエットーレ生存を知らしめるつもりだったのだけど、本人の強い要望により断念したのだという。
「名乗り出れば」とエットーレ。「父に攻撃されるでしょう。私は王子でなくて構わないから、平穏な中で実力を試したかったのです」
「……そのまま十年も経ってしまったのですか」
すぐそばで父親と弟が仲良くなしているのを見ながら、自分は甲冑を着たまま名前すら隠して生きるなんて辛すぎる。
「十年も余計なことに煩わされずに仕事に専念できたのですよ」
そう言うエットーレの声は明るい。
「だがいつまでも、このままじゃいかん。私ももう七十。長くはないだろう」
「弱気なことを言わないで下さい。それに私は国王が代替わりをしたら城を出て行くと、何度も言っているではないですか」
そう言ったエットーレは、『あ』と声を上げてから私を見た。
「領地も持っていますから、補佐官を辞めても問題はありません。ご心配なく」
「陛下としては結婚を機にエットーレ様、いえ、エットーレ殿下のことを発表するご計画なのですね」
「その通り」との陛下の返事と
「殿下は止めて下さい」とのエットーレの拒否が重なる。
「分かりました、エットーレ様」
そう答えると、彼の口角が上がった。微笑んだみたいだ。
「発表は結婚式の日取り発表と合わせて行う」と陛下。「王子の婚姻だから大々的にやるぞ」
「お祖父様、勘弁して下さい」とエットーレ。
なるほど。『陛下』とよそよそしく呼ぶだけではないらしい。
「だが隣国との関係は改善している。あちらの王の血を引くお前の結婚を蔑ろにはできない」
「確かにそうですが。マルツィア嬢を私なんかの隣で見せ物にするのは心が痛みます」
「あら。私は最高に幸せな笑みを浮かべているでしょうし、トンマーゾ殿下には勝ち誇った顔を見せつけてやります」
一瞬の間のあとエットーレはふふっと吹き出した。
「頼もしいですね」
良かった、笑ってくれて。
「エットーレ」と陛下。「顔を彼女に見せなさい」
「……はい」
彼の口元から笑みが消えた。顔に向かう手が震えている。
「結構です、エットーレ様!」
思わず強い口調になり、彼をびくりとさせてしまった。
「『結婚相手にも見せられない』と仰ったではありませんか。陛下のご命令でお顔を
エットーレの手がゆっくりと降りた。
「……感謝します。あなたのご配慮と優しさに」
彼はきっと泣きそうなのだと思う。声が苦しそうだった。
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