「第7章 君のオレンジなんか救けなきゃ良かった」(2-2)

(2-2)


 クラクション鳴り響いて、澄人の体全体を揺さぶった。


 まるで世界を壊しかねない轟音。


 振り返ると青い鉄の塊のトラックが近付いてきた。それはどうしてかスローモーションで動いているように見えて、不思議と澄人の心を安定させる。だがそれは一瞬。


 せっかく、彩乃を見つけたのに。


 また頑張ろうと思ったのに。


 彩乃と普通の友達になれると思ったのに。


 雨のように降り注ぐ後悔。


 澄人は、迫り来るトラックに対して、そう考えていた。


 そもそもにおいて栞があろうがなかろうが、死は日常生活で常に存在していて、いつだって遭遇してしまう可能性がある。栞さえ大丈夫なら死なないという考え方は、傲慢なのだ。


 きっと当たったら、痛いだろうな。他人事のような考えが浮かぶ澄人。突如、彼の右腕が台風のような物凄い力で引っ張られる。


「うわっ!」


 スローモーションだった世界が通常再生に回復する。彩乃に引っ張られた澄人は、そのままの勢いで横断歩道手前に倒れ込む。アスファルトと草むらに体が半分ずつ浸かり痛みと柔らかさがこだまする。轟音を鳴らしたトラックは化け物のようにそのまま夜道へと消えてしまった。


「ハァハァ……ッ!」


 澄人の隣では彩乃が荒い息を吐きながら、一緒に倒れ込んでいた。いつもどこか余裕がある彼女がこれ程息を切らして、余裕がないのは初めてだった。


 二人して横断歩道手前で寝転がる。まだ人目が少なくて良かった。


 未だ現実感がなく、ボーッとしたそんな頭で考えていた澄人に彩乃が上半身を起こして、彼の方を向く。


「ったく、心配させないでっ!」


「……ごめん」


 寝転がったまま夜空を見て、澄人は謝罪する。彩乃はため息を吐いてから、立ち上がり澄人に手を伸ばした。彼女の手を掴み、起き上がる。


 視界が上がり立ち上がった時には、体中からビキビキと骨が軋む音がした。


「いてて……」


「こっちだって痛いっての」


 恨み言を溢す彩乃。数時間前、屋上で起きた出来事とは真逆の状況。死のうとしていた彼女に助けられて、助けようとしていた自分が死にかけている。


 冬の夜に冷やされて冷静になった頭が客観視していた。そんな状況が面白くて、つい笑ってしまう。すると、彩乃が眉を潜めた。


「ごめんごめん。変な意味で笑ったんじゃないんだ」


「じゃあどんな意味?」


 眉を潜めたままの彩乃は、澄人を逃さない。彼は困ったように頬を掻いてから答える。


「さっき屋上でやった事とは、逆だから。冷静になって考えたら面白くて」


「はいはい。悪かったですね、ごめんなさい」


 彩乃は口を尖らせた。そして話を続ける。


「大体、こんなところで澄人に死なれたら、意味がなくなるでしょ」


「意味?」


「っそ、意味」


 彩乃の話す意味という言葉が分からない。本人が詳細を話そうとしないのはおそらく良い事ではないのだろう。だけど、今になって隠し事をされると寂しい。


 澄人はこれまでの会話から意味について考える。そしてある結論に辿り着いた。


「……分かった。栞だ」


「えっ?」


 澄人の出した答えに彩乃は、首を傾げる。本気で分からないか、それともとぼけているのか。この時点ではどちらか判明出来ない。彼は続ける。


「せっかく俺の栞を白くしたのに、こんなところで死なれたら、意味がないって事じゃないの?」


「あぁー」


 小さく口を開けて声を出す彩乃。その反応で澄人は間違っていると察した。


「違うよ。こんなところで死なれたら、せっかく今度東京に行くのにって事」


「楽しみにしてるのにって?」


「そうですけど? それなのに澄人ったら酷いなぁ。まるで私が損得感情だけで生きているみたいじゃん」


「それは……」


 純粋に楽しみにしてくれている彩乃の気持ちを軽んじてしまった。澄人は、数秒前にした愚かさや未熟さが入った答えが恥ずかしくなる。耳も熱くなった。


「ごめん……」


「別に気にしてないよ。少しだけしか」


「えー……っと。いや、本当にごめん」


 そんな簡単に元に戻す事は出来ない。それを分かりつつも澄人は再度、謝罪する。すると彼の頭の上に彩乃の手が乗る。


「ちゃんと謝ってくれたから大丈夫だよ。でもどうしてもと言うなら、駅でコーラを奢ってくれると嬉しいかも」


「コーラ?」


 佐川といい彩乃といい、コーラを飲みたがる人が多い。もしかして自分が知らないだけでコーラって流行っているのかとさえ思ってしまう。だが、何にせよコーラぐらいでいいのなら、幾らでも奢る。


「いいよ。コーラ買おう」


 澄人が了承すると、彩乃は両手をちょっとだけ上げて喜んだ。


「わーい。丁度、シュワっとしたの飲みたかったんだよね」


「はいはい」


 彩乃が喜んでくれる姿に安心した澄人は、止めていた足を再び動かし始める。隣の彩乃も歩き始めた。倒れる前と比べて、歩く度に痛みがそれは生きているからだ。

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