「第7章 君のオレンジなんか救けなきゃ良かった」(2-1)
(2-1)
二人はその後、互いの優しさを充電してから非常階段を降りた。携帯電話で時間を確認すると、二十一時を過ぎている。来る時には見えた教師達も帰っているだろうと思ったが、まだ職員室の電気は点いていた。
「へぇ。先生ってこんな時間まで働いてるんだ」
見つからないように裏から回って門に向かっていた時、遠くに見える職員室の明かりを見て、彩乃が呟く。
「授業だけが仕事じゃないって事かな。採点とかプリント作ったりとか、色々あるんだと思うよ」
「そりゃそうか。いつもお疲れ様です」
職員室に頭を下げてお礼を言う彩乃。彼女がお礼を言った職員室の明かりを横目で見つつ、二人は裏門へ到達した。
そこからは長い下り坂を歩いて最寄り駅まで向かう。吹く風はますます冷たくて、吹く度に澄人は体を固くする。
隣を歩く彩乃の様子を見る。彼女は白いマフラーをしているが、澄人のように顔を埋めたりはしていない。吹く冬の夜風も堂々と正面から受け止めていた。
今、二人の間を抜ける空気はどこまでも澄んでいる。裏門から最寄り駅に続く道は住宅街。幹線道路と違い道幅は広くない。ポツポツと街灯が白く光っており、ライトに照らされた範囲だけが正しい場所のように思えてしまう。
それだけで澄人はこの道にすら、屋上のように特別感を覚えた。足元が若干ふわふわとしており、履いているローファーが安定していない。
堂々と歩く彩乃は澄人の様子には気付いていない。だけども彼の視線には気付いたらしく、立ち止まって首を傾げた。
「どうしたの?」
「ううん。何でもない」
「嘘。何か失礼な事を考えてたんでしょう」
彩乃は目を細めて澄人を追及してくる。
「違うって。ただマフラーに顔を埋めないから、寒くないのかなって」
「あぁー」
澄人が説明すると、彩乃は納得いったように頷いた。そして、すぐに悪戯っぽくニヤニヤと笑う。
「ず〜っと屋上で待ってたからね。今更、この程度の風は何ともないのかも」
「それは……、えっとごめんなさい」
「うそうそ。謝らなくていいって。最後にはちゃんと見つけてくれたんだから」
澄人の謝罪を流して彩乃は再び前を歩く。今度は澄人も隣に並んで坂を下った。
二人は住宅街を歩いて幹線道路手前までやって来た。静かだった道路では思い出したかのように山沿いのトンネルから聞こえるトラックの轟音が鳴り響き、澄人の両耳を刺激する。
住宅街から幹線道路へと続くこの道は、車の流れが早いので注意が必要だ。
途中で反対側へと渡る必要があるが、その手段は少し頼りない横断歩道。申し訳程度の信号は付いているが、押しボタン式なので車はスピードを緩めない。
二人は住宅街と幹線道路を繋ぐ横断歩道までやって来た。澄人が押しボタンを押す。するとそれまで点滅していた信号が本来の仕事を始める。
「ねぇ」
青になるのを待っていると、隣の彩乃が声をかけてきた。
「何ぃー!?」
丁度、トラックの轟音と轟音の隙間から彩乃の声が聞こえたので、声を張って返した。すると彼女もこちらに合わせて声のボリュームを上げた。
「今度の未練作りでさぁー! 最後にしようぉ!」
「最後ぉ⁉︎」
「そぉー! 最後ぉ!!」
最後の未練作り。
正弘を退治したグリーンドアで、一度その話が出たが、最終的には流れた。確かに栞の事や自殺の事に答えが出た以上、今までのように続けるのは、違う気がする。
信号が青になった。道が僅かな時間だけ静かになる。澄人は横断歩道を渡りながら、隣を歩く彩乃に尋ねる。
「最後ってもうやらないの?」
「だって栞の秘密は知られた訳だから。もうやる必要がないし」
「それは、そうかも知れないけど」
頑張ると言った数分前の自分は、まずは未練作りを頑張ろうとしていたのにその気持ちが砂上の城のように、彩乃の言葉で作られた波で流されようとしている。
澄人がそう考えていると、彩乃は口をへの字に曲げる。
「この間、グリーンドアでいつまでやるって聞いてきたじゃん」
「この間とは状況が違うよ。今は、あの時から更に頑張るって気持ちでいたから」
「さっきの屋上の話? 確かに頑張ってくれるのは嬉しいんだけど、未練作りに関しては、ココで一旦終わらせたいの」
「終わらせたい……」
彩乃の言葉を復唱する。
今現在、栞を白くさせる唯一の方法が、未練作り。それは他ならぬ澄人で証明されている。その重要性を当然、彩乃だって承知しているはず。
それを捨ててまで終わらせたいと主張する彩乃。口には出さない彼女の想いを澄人は、納得し切れないまでも理解はしようとしている。
黙っている澄人に彩乃は、じっと見て返事を待っている。彼は冬の大気に自分の口から出た二酸化炭素を混ぜて答えた。
「未練作りがどれだけ大切かは、彩乃も分かっていると思う。それを止めるという事は何か代わりを探す事から始めなきゃいけない」
澄人がそう言うと、彩乃は「知ってる」と頷いた。
「澄人が言いたい事は分かってるよ。だけど、止めたいの。迷惑がかかるのは分かってる。ごめん」
「別に迷惑とは思ってない。分かったよ、未練作り以外の方法を考えよう」
「ありがとう。澄人ならそう言ってくれると信じてた」
「なんかハメられてる気がする……」
澄人が口を尖らせると、彩乃はクスクスと笑う。
「そんな事思ってないって。ほんと、澄人は理屈っぽいんだから」
「はいはい」
二人が渡らなくてもずっと青だった信号が、ようやく点滅を始めた。仕事を再開したのだ。
「最後の未練作りは、この間グリーンドアで言ってた東京に行こう? 香夏子さんのノートパソコン借りて調べてたじゃん。二人でもっと行きたい場所を調べようよ。何だったら、泊まりでもいいから」
「泊まり?」
「今まで未練作りで泊まりはした事なかったけど……。最後ならいいでしょ?」
「俺は親に友達の家に泊まるって誤魔化せば大丈夫だけど、そっちは? 昭彦さんに何て言うの? 今日の事があったから流石にダメって言われるんじゃ」
昭彦は彩乃に優しく味方だが、流石にもうその効果は切れてしまっただろう。
「あ、そっか。確かに、今回は昭彦さんに大分申し訳ない事してるからなぁ」
腕を組んで考える彩乃。澄人としては、いくら考えたところで、泊まりに関してはダメだろう。よくて彼女の家に泊まるぐらい。彼がそう考えていると、彼女はとても良いアイデアを思い付いたと言わんばかりに笑顔を見せた。
「じゃあさ、澄人から頼んでよ。二人共、仲良いし」
「っという事は、俺も怒られろと?」
昭彦の怒った顔を想像して、相当怖そうだと澄人が内心震えていると、彩乃は無邪気に笑う。
「大丈夫だって」
「ったく、何が大丈夫なんだか」
「あははっ」
「……分かった。一緒に怒られるよ」
渋々と言った形で彩乃の案を受け入れる澄人。彼が了承すると、彼女はパアッと明るくなる。
「ホント⁉︎」
「ホント」
「やった。ありがとう」
礼を言う彩乃の吸い込まれそうな瞳に照れつつ、視線を外す澄人。
「あ、ちょっと人がお礼を言っているのに、何で顔を逸らすの?」
恥ずかしいからだ。とは言えない澄人は、彼女から逃げるように駅に向かって駆け出した。
普段なら絶対しない。彩乃を見つける事が出来た事や冬の解放感。様々な事が混ざり合い、本人も気付いていない段階で発生した。
これは言ってしまえば、小さな奇跡。
ただ、その奇跡は決して良いとは言えない。
あまり前を見ずに駆け出した澄人。
信号はまだギリギリ青なだけ。彼が渡り始める、ほんの少し前から、点滅をしていた。いくら裏門から帰るから言っても、普段は幹線道路を歩いて通学しているのだ。この道を知らない訳がない。
澄人が渡り切る前に横断歩道は、赤へと変わる。まだ向こうまで半分以上の距離が残っていた。
ブブーーーッッ!!
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