「第7章 君のオレンジなんか救けなきゃ良かった」(1-2)

(1-2)


「私が自殺をしようとしているのは、単純明快。両親を事故で一気に失った事から始まって、二人の遺してくれたお金を狙う親戚達。ご飯の味が分からなくなってきている事、眠れなってきている事。その全てが私の栞をオレンジにした」


「味が分からなくなっていたのは知らなかった。でも未練作りで美味しい物を食べたけど……」


「あぁ。心配しないで。完全に分からない訳じゃないから。でも徐々に薄れてきている。このままじゃ近い内に食べる物が全部消しゴム味になると思う。それに私の味覚が薄れてきている事を知ったら、きっと澄人は未練作りに入れないでしょ?」


 彩乃の言う通り。彼女の症状を事前に知っていたら、外していただろう。


 澄人は頷いて彩乃に肯定する。


「確かに」


「でしょ? だから言わなかった。隠していたっていうよりは、可能性が狭まってほしくなかったから」


 自分とはまた別視点で彼女は未練作りを考えていた。


「毎朝、部屋の姿見に映る栞がどんどんオレンジ色に染まっていくのは分かっていた。でもどうしようも無かった。むしろ納得してるくらい。こんなに大変で辛いんだから、栞がオレンジになるのは当然だって」


 そうか、あれで毎朝濃くなっていく栞を見ていたのか。澄人は彩乃の部屋にあった姿見を思い出す。


「一歩、足を前に出すのが本当に大変で、油断したら涙が出そうになる。油断すると体が重くて動かない。だから私は自殺をしたいの。この重さから解放されたい」


「死ねば解放されると思っているのか?」


 澄人の質問に彩乃は笑顔で頷く。


「この間は澄人に邪魔されちゃった。覚えてる? あの日の事」


「覚えてるよ、一生忘れられない」


「あははっ! そっかそっか。そんなに強烈に覚えてくれるなら、まだいっか」


 澄人の覚えているという発言に笑う彩乃。彼女がこんなに声を出して笑うところを初めて見た。日頃の纏っているバリアを取ると、これ程までに無邪気な笑顔が待っていたのかと驚く。


 そして驚きと同時に悲しさも増えていく。素直に笑う彩乃の笑顔の意味は遥か遠くにあるからだ。どれだけ手を伸ばしても決して届く事はない。


 澄人がそう考えて黙っていると、綾乃は首を傾げた。


「どうしたの? 急に黙っちゃって」


「あっ、いや。なんでもない」


 適当な嘘をついて逃げれば良かった。言った後で澄人は後悔する。


「ふーん。ま、言いたくないなら言わなくていいよ。それ、多分私が聞いても良い事にはならないと思うから」


「あー、うん」


「代わりにさ、私が話すよ。澄人に助けられた時の事」


「教えて」


 話題を変えるだけではなく、純粋に興味があったので、澄人は彩乃に尋ねる。


 頼まれたのが嬉しかったのか。彩乃は気を良くしたみたいで、また笑顔になり「オッケー」と了承した。


「あの日はね、突然だったの。元々、オレンジの栞が見えていた時点でいつか来るとは予感がしてた。だから突然やって来てもすぐに受け入れる事が出来た。きっと栞を持っている人は皆、同じ感覚が来るんだと思う」


「どんな感覚?」


 感覚の正体を質問すると、彩乃は腕を組んで唸った。


「うーん。口で説明するのは難しいな。高級ホテルのベッドに横になったら、体が一気に沈み込むでしょ? あれに近いかなー。目を瞑ればすぐに眠れるような絶対的な安心感」


「安心感……」


 いつかの駅のホームで見かけたサラリーマンを思い出す。彼の頭にもオレンジの栞は挟まっていた。(彩乃程、色は濃くない)彼もまた、彩乃の話す絶対的な安心感がやって来る時があるのだろうか。


「あの安心感が来てくれた時点でノートを取るのを止めた。する理由が失くなったから。教師がうるさいからペンだけは持って、書いているフリはしてたけど」


 あの時の彩乃は顔は黒板を向いて手を動かしていたが、文字を書いていなかった。ただ適当に手を動かしているだけだった。


「そのおかげで教師からは変に注目される事無かったし、寝てる訳じゃないから怒られる事もなかった。……澄人以外には」


「隣の席だったから。そりゃ気付くよ」


「そっか。隣だから気付いたのか。あの時は本当に驚いたんだよ。けど、気付かれたのが澄人でまだセーフかな」


「まだ分からない」


 あの時の結果は出ていない。そう考えて澄人は首を振った。


「確かに、まだ分からないか。さっきも言ったけどあの時は、本当に驚いた。だって、澄人とは一度も話した事無かったから。止められるとは思いもしなかった。だけど、それ以上に驚いたのは君にオレンジの栞が挟まっていた事」


 彩乃の視線が澄人の頭部へと向けられる。彼女の真似をして、手を頭へ持って行くが、自分の栞を掴む事は出来なかった。


「無理無理。簡単には掴めないよ。結構、練習が必要だから」


「練習、したんだ……」


「したよ。嫌だったから」


 毎朝、姿見で自分のオレンジの栞を見る。果たして、どれ程の苦しみなのか。話しても誰にも理解されない。訴えても届く事すらなく、ただ一心に受ける。

 想像するだけで、澄人の体が震えた。


「その練習のおかげで三嶋君の栞を取る事が出来たんだけどね。でも驚いた。自分だってオレンジの栞のくせに助けるんだもん。だから興味を持ってお願いしたの。未練作りを」


 未練作りを頼んだ本当の理由を彩乃から聞かされる。あの時、助けたのがオレンジの栞がある自分だったから、興味を持った。それは自分じゃなければ、違っていたという事になる。その考えが澄人に疑問を生ませた。


「そんな事が理由で始めたのなら、今までの未練作りは全て、間違っていた?」


 とても間違っているとは思いたくない。彩乃だって回数を重ねる内に楽しんでくれていたはずだ。その確信を軸に彼女に問いかける。


「間違ってなんかないよ。だってあの未練作りの効果はちゃんと出ていたから。澄人の栞がどんどん白くなっていたでしょう?」


「それは……」


 彩乃に言われて澄人は言葉に詰まる。彼女の話す通り、栞のオレンジ色が抜けていくのを見えて、効果があるのが嬉しくて。


 嬉しかった効果が違う形となってしまった事に澄人は、上手く気持ちを伝える事が出来なかった。


 彩乃は首を左右に振る。

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