「第7章 君のオレンジなんか救けなきゃ良かった」

「第7章 君のオレンジなんか救けなきゃ良かった」(1-1)

(1-1)


 閉まる直前の地下鉄に飛び乗り、目的地の駅までの間、空いているシートに腰を下ろす。街中を走り回っていた疲れと緊張から解放された澄人は電池が切れた玩具のようにすぐに目を閉じて眠ってしまった。


 目を開けた頃には目的地の駅の一つ前で、澄人はシートから立ち上がり、大きなあくびをした。


 暖かい車内にいたせいか、ホームに降りると一気に外の気温が下がった感覚に陥る。見上げれば夕焼けは完全に無くなり、空は真っ黒に。太陽の代わりにならない星々が点々とした明かりを見せている。


 歩いている時間はないので駅からはタクシーを使って移動した。こんな時間にタクシーに乗り目的地を告げた途端、運転手が少し怪訝な顔を見せたが、そんなものは今の澄人には些末な事で気にならなかった。


 澄人を乗せたタクシーは目的地である学校へと到着した。


 良かった、裏門はまだ開いている。


 正門では閉じられている可能性を考慮して、裏門にして正解だった。開いた裏門から敷地内に入った澄人は安堵する。敷地内から見える校舎は、まだ職員室に明かりが残っていた。


 彼らに見つかって余計な時間を取られないよう、校舎の裏から遠回りして進む。普通に行くよりも大分時間をかけて非常階段に辿り着いた澄人はカンカンッと上がっていく。


 以前に来た時とは違って完全な夜となっている。携帯電話を取り出して時間を確認すると、ボワっとした液晶の光が夜を照らす。


 制限時間までギリギリだった。だが、一応間に合っている。文句を言われる事はあるまい。


 一歩ずつ階段を上がり、屋上が見えてきた。微かな不安がないと言えば嘘になる。もしココで彼女がいなかった場合、どこへ行っても間に合わない。


 少しでも考えないようしていたのに考えた途端、心臓の鼓動が勝手に大きくなる。


 下を向いて、ゆっくりと階段を上がる。


 視界に映る景色が変わり、屋上に辿り着いた。


 普段の学校生活では決して見ない景色。


 何の照明もなく、誰かが来る事を想定されていない小さな屋上スペース。


 そこの隅で体育座りをしている彩乃の姿があった。


「ふぅ〜」


 見つかったという安堵が心を満たして口から息が漏れた。


 良かった。ちゃんといてくれた。


 彩乃は顔を下にしていて、まだ澄人を見ていない。屋上へと足を踏み入れて、彼女の傍まで近寄る。


「彩乃、」


 澄人の声に反応して彩乃はゆっくり顔を上げた。


「遅い」


 三日ぶりに聞いた、彩乃の第一声は澄人への文句だった。


 澄人は彩乃の隣に腰を下ろす。冬の夜で冷えたコンクリートが制服から伝わってくる。


「時間は間に合ってるじゃないか。ほらっ」


 澄人は携帯電話を取り出して時間を見せる。人工的な白の明かりが彼女の表情をハッキリと照らした。頭にはもうかなり白くなった栞が挟まっている。これ程までに白くなっているのにどうして、自殺をしようとしているのか、それが彼には分からなかった。


 眩しそうに目を細めて携帯電話を覗き込む彩乃。


「確かに間に合ってるけど、でもギリギリじゃん。あんなにヒントをあげたのに」


「あれだけのヒントじゃ候補が多すぎる。それにまさか、学校にいるなんて思わなかった。前野と佐川、それに瀬川にまで手伝ってもらったんだから」


「そうなの? 今度、三人に会えたら謝らないと」


 『会えたら』という言い方に少しだけ引っ掛かったが知らないフリをする。


「三人がヨロシクって言ってた。勿論、自殺とかは伏せてる。あくまで探すのを手伝ってもらっただけ」


「そっ。気を遣ってくれた事は、澄人にも感謝しておく」


 彩乃が話す度に口から出るのは白い息。


 こんな寒い場所でずっと待っていたのかと澄人は新ためて実感した。


「聞かせてほしい」


「うん、何?」


「どうして学校に来なかったの? 風邪を引いたなんて嘘までついて。しかも家にもずっと帰らないで」


 澄人がそう尋ねると彩乃は「あぁ」とまるで今の今まで忘れていたかのような声を出した。そして微笑む。


「別に深い理由はないよ。ただ学校に行きたくなかっただけ、同じく家にも帰りたくなかっただけ。……どうしてそんな事聞くの?」


 彩乃が微笑みながらそう答えるので、澄人は背筋が冷たくなった。決して寒さのせいじゃないけど、それでも寒さのせいにして、彼女の質問に答える。


「……だって、未練作りは上手くいっていると思っていたから」


 栞の事を彩乃に言わなくても澄人の視線は、自然と彼女の頭部へと向いてしまう。


「ふーん、なるほど」


 澄人の言葉と目線に対して、彩乃はそう感想を漏らす。


 そして、彼女は何て事ないように自身の頭に手を伸ばした。


 澄人は最初、視線に気付かれてしまった。何か頭に付いていると思わせてしまったと思ったがそれは間違いだった。


 彩乃は、頭上にあるオレンジの栞を手に取ったのだ。


 澄人の思考が瞬断される。


 栞の存在を、その意味を。彩乃が知っていた? 自分だけが見えていると思っていた栞を彼女が掴んだ。それもいつもやっているような自然さで。


 掴んだ栞を彩乃は、スッと手に取った。彼女が取ると栞が挟まっていた場所にもう一つ別の栞が挟まっていた。


 その栞はぼんやりとオレンジ色に光っており、機嫌の悪い満月のようだった。


「はっ?」


 止めていた息と声が同時に口から漏れた。しかし動いたのは口だけで体は未だに動力が止まったまま。彩乃は持っていた栞を澄人に挟んだ。


「返す。これは元々、君の栞だから」


「俺の?」


「澄人君ってさ、自分の栞は見えてないんでしょ? 私はね、ずっと澄人君の栞が見えてたんだ。最初、君に救けられた時に私が頭を触ったでしょ? まあ、覚えてないだろうけど。その時に君の栞を取って、自分のを隠すように挟んだの」


 彩乃は一連の種明かしをする。だが、彼女の説明を受けても脳が処理出来ない。完全に空回りしている。澄人の様子からそれが伝わったのか。彩乃は小さく笑ってから「つまり」と言葉を続ける。




「世界は澄人だけのものじゃない。皆、それぞれの世界があるの」




 自分中心に世界は回っていない。自分の人生を過ごしている内にどうしてもそう思ってしまいがちだけど違う。この地球には沢山の人がいて彼らの分だけ、世界がある。だから、自分にしか知らない世界があるなんて考えるのは、間違っている。


 その事を澄人は彩乃に言われて、ようやく動き始める。


 確かにオレンジの栞が自分だけに見えるなんて考えるのは間違っていた。

 彩乃が自分と同様に、いや自分よりも使える事実を(栞を掴むなんて行為は澄人の頭にはカケラも無かった)考えておくべきだった。


 納得へと思考を向かわせている澄人を余所に彩乃は口を開く。

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