「第6章 期待してるから」(3-2)

(3-2)


 澄人は静かに首を横に振った。


「大丈夫です。ちょっと彩乃を探してるだけです」


「そうなの」


「はい。もし、彩乃がココに来たら連絡を下さい」


 澄人がそう言うと、香夏子は「分かった」とゆっくりと頷く。


 香夏子の頷きに笑顔で微笑んでから、澄人は丁寧にドアを閉めた。


 カランコロンといつもの優しいカウベルの音が響く。心なしか香夏子に応援されてる気分になった。気付けば体中を支配していた焦りは薄くなっていた。


 携帯電話が鳴り、瀬川からの着信があった。


「もしもし?」


「三嶋君。今、駅に着いた。そっちは?」


「佐川と前野が探してくれてる。二人が行った場所をメールするから。そこ以外を探してくれる?」


「分かった」


 電話を切って、澄人は瀬川に箇条書きでメールを書いた。すぐに「了解」とだけ返事が届いた。それを確認した澄人は携帯電話をブレザーにしまう。


 何度も二人で寄り道をしていた書店に入る。


 彩乃とよく行っていた文芸コーナーへ。彼女が手に取っていた小説が置かれていた棚まで来るが姿は見えない。念の為、他の棚や雑誌コーナー等も見回るが姿はない。


 腕時計を確認して書店から出る。


 自然と息が上がる。頭の中では先程行った二箇所が繰り返し再生されて、見落としの可能性を潰している。


 これをあと数件、中々に辛い。


 口で呼吸をして新鮮な冬の冷気を体に取り込む。思考がオーバーロードしないように整えたら、澄人はすぐの次の場所へと走り出した。


 しかし澄人の努力も虚しく、彩乃は一向に見つからない。自分に割り当てた全ての場所を探し終えた澄人は、駅へと向かいながら、三人に自身の割り当てが終わったら駅に集合するようにメールを送った。


 もう、この街にはいないと考えていいだろう。


 そう考えつつ澄人は最初に通った横断歩道で信号が青になるのを待っていた。


 行きは邪魔だと思っていた大勢の人々。今も邪魔だと思う気持ちは残っているが明らかに熱量は下がっている。この感情の変化はどうしてなのか?


 答えは明白だ。自分は諦めかけているのだ。


 時間に追われて必死に探した。自分一人では見つけられず、前野と佐川、瀬川にまで協力してもらって、三人で街を走り回った。にも関わらず、依然として彩乃は見つからない。制限時間だけ刻一刻と迫ってくる。


 街を変更して探す気持ちに嘘はない。ただ熱量が下がっただけ。


 澄人はいつまで経っても青にならない信号に声の入った息を吐いた。


 遠回りを承知の上で、エレベーターに乗り、駅へと続く歩道橋へと向かう。


 エレベーター前には数人が並んでいた。


 こちらまで届く軽快な音のイヤホンを付ける男子高校生。


 ずっと下を向き携帯電話の画面を睨みながらボタンを叩くサラリーマン。


 深々とマフラーをして顔の埋めて寒さから耐えている女性。


 彼らには彼らの理由があってこのエレベーターに並んでいる。しかし、各々の事情をランク付けしたら、間違いなく自分が勝つだろう。


 開いたエレベーターに乗り込む中、澄人はそんな事を考えた。一分にも満たない僅かな上昇をしてから、エレベーターは歩道橋の上へと到着する。ドアが開き、中にいる人間を外へと促す。


 少しだけ空が近くなったからか、風が下にいた時よりも純度が増した気がした。


 澄人は次々と降りる人達の最高尾となり、外へ出た。澄人が降りた途端、エレベーターが閉じてまた降りていく。


 遠くにあった夜がどんどん近付いてきて、夕焼けはあんなに遠くに行ってしまった。微かに空に残っているオレンジ色が残り時間の残酷さを示している。


 残り時間はもう少ない。澄人はゆっくりと駅に向かって足を進める。


 この街以外に彩乃と行った場所。脳内で検索をかければ候補がピックアップされる。でもそのどこにも彩乃はいない気がした。

 彼女が待っている姿が想像出来ないのだ。


 このままでは彩乃は……。


「どこにいるんだよ……」


 澄人は歩きながら弱音を漏らす。その声は本当に小さく周囲の雑踏にいとも簡単にかき消された。


 その時。


 澄人の背後からゴーッと大きな音を立てて風が吹いた。


 街並みの為に植えられた樹が、ザッと風に揺れる。


 まるで誰かに背中を押されているよう。


 突然の威力に正面を歩いていた女子高生が目を瞑った。


 澄人は背中から受けたので目を瞑るまではいかないが、立ち止まった。


 そうか、風。それを認識した途端、澄人の頭に電流が流れた。


 頭の中にあった検索が候補ではなく、結果を導き出す。


 彩乃がいる場所が分かった。


 電流が残った体で携帯電話を取り出して、前野に電話をかける。


「見つかったか⁉︎」


「いや、まだ見つかっていない」


「ああ。今、どこにいる? 俺と佐野は最初に集まった改札で待ってる。早く来い。お前しか分からないんだから瀬川さんも呼んでくれ」


 早く来い。お前しか分からないんだから。


 意味は違うけど、彩乃から言われているようで、思わず吹き出してしまう。


「澄人?」


「あっ、ごめん。分かったんだ?。彩乃がどこにいるのか」


「本当か! どこだ? すぐに皆で——」


「大丈夫。手伝って貰って悪いけど、俺一人で行くよ」


「そうか……」


 僅かな沈黙が流れる。おそらく佐川に説明しているのだろう。駅構内のポーンっという音や人々の足音だけしか聞こえなくなった。


 しばらくして離れていた前野の声が戻る。


「今、佐川にも伝えたよ。じゃあ俺達はお役御免って事で帰らせてもらう。瀬川さんにも伝えておけよ」


「分かってる。手伝ってくれて本当にありがとう」


「気にするな。今、佐川に代わる」


「もしもーし、澄人? 前野から事情は聞いた。和倉さんがどこにいるか分かったんだろ? なら俺達はオーケーだから気にするな」


「すまん」


「良いって。でも気にしてるんなら明日、コーラ奢って」


「はいはい」


 佐川のいつものふざけた要求に笑いながら返す。


「じゃあお疲れー。和倉さんにもヨロシク。前野に代わるわ」


「おう」


「そういう訳だから。澄人、俺達を気にせず行ってこい。あと、佐川だけじゃなくて俺にもコーラを奢って。実は飲んだ事ないからずっと気になってたんだ」


「はっ⁉︎ 飲んだ事なかったのか」


 前野の告白は衝撃的だった。隣にいるであろう佐川は澄人以上の衝撃だったらしく、彼の驚く声がこちらまで届いた。


「うるさい佐川。とにかく切るぞ。じゃあな」


「ああ……。ありがとう」


 衝撃の余韻だけを残して澄人は携帯電話をポケットにしまう。さて、今から行って丁度ギリギリといったところか。あまりのんびりはしていられない。


 活力を取り戻した澄人の足は軽く駅まで駆け出すのは余裕だった。


 地下鉄の改札を抜けると、帰宅ラッシュとぶつかり走れなくなった。逸る気持ちを抑えつつ、澄人は携帯電話で瀬川に電話をかける。彼女は一コールで出た。


「見つかった⁉︎」


「いや、まだ見つかっていない。けど、いる場所が分かった。あそこしかない」


 逆にどうして分からなかったのかと思ってしまう程、今となってはそこしか出てこないくらいだ。


「そこで合ってる? もし間違えたら……」


「百パーセント。いや、千パーセント合ってる」


 ハッキリと自信を持ってそう宣言する。


「千パーセントって……。まぁ、そこまで自信があるなら信じるしかないか」


「いきなり手伝わさせて、ごめん」


「いい。こんな事じゃ足りないけど、ずっとあの子の為に動きたかったから」


「また、今後学校に来たら、彩乃と話してあげてくれよ。友達として」


「彩乃?」


 つい出てしまった名前呼びに瀬川が反応する。


「あっ」


「何? 二人の時は名前で呼んでるの?」


「いやいや、そうじゃないって。今、ちょっと興奮してるから」


 言い訳じみた事を丁寧に説明する。しかし事実なのでどうしようもなかった。


「もう何でもいいや。とにかく早く行って、こんな電話で時間を無駄にしてるのが勿体無い」


「本当にありがとう。また明日、ちゃんとお礼を言うから」


「はいはい」


 呆れたような満足したような声を聞いて、瀬川は電話を切った。

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